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Elvish  作者: ざっか
外伝一
22/117

とあるエルフの一日を 三


 いない。


「ぬーん」


 段々と日は翳ってきたものの、ひとの数に衰えは見えない。並んだ屋台の中には一足先に光石を輝かせて客引きするものまで居る。勢いは夜になるまで変わらないのかもしれない。


「おう、セラちゃん」


 ひとの壁を物ともしない、轟く様な大声だった。群れから頭一つ抜け出た巨体が、のっしのっしとこちらに来る。

 気圧されたのか、ぽかりと開いた空間に、声の主が仁王立ちになった。

 こちらと目が合い、にかりと笑う。

 見上げるような角度のまま、セラヴィアは疲れた声を出した。


「どーも、ラグドさん」


 ラグドは怪訝そうに顔を歪めた。


「元気無いな。どうかしたのか?」

「ノエルちゃんとはぐれちゃって。見てません?」


 彼はゆっくりと首を左右に振った。


「まぁなんだ、珍しい菓子が入ったから一つ食べていけ。多少気力も出るだろ」


 そう言うと背を向けて、通りをゆっくりと歩き出した。彼を先頭に歩けば、それだけで周囲が避けていく。これは楽で良い。

 通りに面した、もはや屋敷とでも言うべき規模の食料品店が、彼の持つ店だった。セラヴィアの自宅よりも確実に大きいので、もはや、ではなく確かに屋敷と呼ぶべきかもしれない。夜は酒場兼食堂にもなるが、そちらは趣味でやっているとのこと。

 

 巨大な冷箱でも通れるようにと、城門のような大きさで作られた扉を開けて、中へ。

 抱えて持てる程度の物から、牛が丸ごと入りそうな物まで、大小様々な冷箱が店の床の五割を占領していた。

 中は肉や野菜、チーズから果物と、冷やす必要がある食材は一通りあると言って良い。外部から仕入れる食料のほとんどがここに集まることもあって、メーデの生命線とでも言うべき店なのだ。

 

 彼は小さな箱を見つけると、蓋を開けた。目に見えて冷気が外に漏れたところを見ると、相当に強く冷やされているらしい。

 冷箱を、内部が凍るほどに冷やすには高い魔力と技術が居る。細かな温度の変化を調整するのも同じく大変だ。そこらの日雇いに魔力だけ注がせれば良いわけではない。

 

 何もこの店に限った話ではなく、この手の大きな食料店を経営するということは、無数の冷箱を扱うということでもある。必然的に店主には優れた腕が必要とされ、それはそのまま周囲での地位に結びつく。

 ちょっとした貴族のような扱いを受ける者も少なくないのだ。もっともラグドにおごった様子は微塵も見えず、外見そのままに豪放である。血に見合わない力しか持たないセラヴィアに対しても、特に見下すことは無い。

 

 まぁ、良くセラヴィアの母と会う立場だから、という理由も、無いでは無いのだろうけど。


「ほら、こいつだ」


 そう言って彼が取り出したのは、串の先に橙色の氷が付いたものだった。果汁を凍らせたものだろうか。確かにおいしいだろうけれど、珍しいものとは思えない。

 手にとって、一口。

 ――んん?

 氷は妙に柔らかくて、あっさりと噛み砕けた。膜の向こうには、何やらクリーム状の触感がある。

 柑橘類の甘酸っぱさ。少し舌に残る甘さ。


「おいしい、けど……これはなんなの?」

「わからん」


 悪びれもせずに、ラグドは言った。


「なぁに、悪くても腹を壊すくらいだ。食って旨ければ問題無い」


 がははと笑う。このおっさんめ、と思わないでも無い。

 ラグドは、こう見えて三百歳は軽く超えているはずだ。先ほどあったサラザよりも遥かに年上だが、見た目はせいぜいが三十に届く程度。魔力量の差、固定化の差が如実に出ている。

 

 不思議なもので、肉体の老化と精神の老化は同調する傾向にあるらしい。力あるエルフは五百を過ぎても性格は若いままの者が多く、逆に弱者は百を超えたあたりで内面も老け込んでしまう。目下の研究課題として人気があるようだ。

 ラグドは、自分用にと追加の串を取り出すと、


「そういえば、ラムリア様は祭りには来ないのか?」

「……うん、やらないと行けない仕事があるって、家に篭ってる」


 老大樹の調律に出かけたこと。そして丸一日は戻れないであろうこと。この二つは、出来れば知られないほうが良かった。例えラグドが相手であっても。


「そうか、残念だな。後は……あー……」

「気になることでもあるの?」

「剣刺の儀を、セラちゃんがやると聞いたんだが」


 一拍、返事に間が開いてしまった。


「そうだよ。祭りが終わって、日付が変わるくらいにやる予定」

「……危険だぞ? 悪いが何かあっても俺には助けられん」

「分かってる。大丈夫だよ」

「そうか。まぁがんばれ」


 表情から、真剣に心配してくれているのが分かる。良いひとなのだ、基本的には。

 固定化とは別に、古くから続く貴族の間には一人前と認めさせるための儀式があるのが普通だった。やり方はそれぞれ家によって違うが、当然容易いものは無い。成功すれば立派な跡取り候補として認められ、失敗すれば財産の継承権が大きく後退する、というのが通例である。大貴族は大抵が領地を持ち、老大樹を維持する必要があるのだから、当然の話ではあった。

 

 剣刺の儀、とはベリメルス家に伝わる、戦士足りえることを証明する儀式だった。

 方法は、本当に単純で。

 研ぎ澄まされた長剣で自らの腹を背まで刺し貫き、その後己の力のみで傷を塞ぐのである。

 致命なほどの自傷をするだけの度胸。苦痛に耐えながら、あるいは苦痛を誤魔化しながら治療するだけの技術。そして純粋に、腹にぽかりと開いた穴を塞ぐだけの魔力量。

 

 なるほど、合理的ではある。少なくとも、一人前の戦士となりたいのであれば、どれも必要不可欠な要素であった。

 とっくに本家とは袂を分かったのだから、こんな下らないものをやる必要は無いと母は言う。もっと穏便に、あるいは安全に、力を見せる手段くらいはあるだろうと。

 

 だからこそ意味があると、生意気にもセラヴィアは思うのだ。

 ――怖くないわけじゃ、無いんだけど。

 突然見知った感覚が首筋を奔り、セラヴィアは勢い良く顔を上げた。


「どうした?」

「見つけた」


 ようやく、ようやくノエルの気配を感じることが出来た。店内にもひとは多いが、外よりはマシだ。そのおかげかもしれない。

 向こうは――ぴたり、と止まった。同じく気づいたらしい。

 気配の場所は店の前である。しばらくそうして動かなかったが、諦めたのか、門のような扉を開けてノエルが中に入ってきた。

 肩に、巨大な箱を乗せている。


「あの、ラグドさん……これを」

「おおっと、運んでくれたのか。すまんな」


 駆け寄るラグドに、ゆっくりと冷箱を渡した。


「外れのラーラ精肉店からです。その、私は温度の調整が出来ませんので……」

「なぁに、大した距離じゃないから大丈夫だろ。ごくろうさんよ」


 ラグドは荷物を抱えて奥に消えていく。

 他に客も店員も居るけれど、まるで二人になったような気がした。

 目線を逸らしたまま、ぽつぽつとノエルが言った。


「友達は、大事にしないと……だから、私は、ええと――」


 ずんずんと、ノエルとの距離を詰めて。

 両手で彼女の頬を挟み込んだ。勢いをつけていたため、ぱちんという音が響く。

 ちょっと痛いかもしれない。知ったことかと思う。


「それ以上言うと怒るよ」

「……ごめん、セラ」


 沈んだ顔を解きほぐすために、ノエルの頬をむにむにと揉む。

 くすぐったそうに笑う。やっと笑顔が見れた。

 髪の色に加えてもう一つ、ノエルには複雑な事情があった。魔力を体外に放出できないのだ。

 

 一切の魔力を持たないエルフは無泉と呼ばれ、差別対象になってしまっている。持たぬ者、という感覚的なことに加えて、力が劣るという明確な優劣まで絡んでくるので、嫌になるほど根深い問題になっていた。当然、市民権をもらうなどは夢のまた夢だ。

 

 ノエルはまた特殊で、身体の強化や傷の治療は問題無く出来る。しかし放出が出来ないということは、明かり一つ満足に消せないという事実に変わりは無い。

 同一視されるのも、仕方の無い話ではあった。

 

 現在のノエルの立場は、対外的にはセラヴィアの家の使用人ということになっている。市民権は、三級すら持っていない。扱いは犯罪者以下とも言える状況だ。

 

 だからなんだという話だった。セラヴィアは、家族だと思っている。母も姉もそうだろう。メーデの住人の誰もが好意的で無いことは確かだが、ラグドのように受け入れてくれる者とて少なくない。もっと胸を張っていれば良いのだ。

 嫌な目から守ってあげる。そのくらいは、してあげたい。出来ると思いたい。

 ノエルの手を、しっかりと握る。


「まだお祭りの途中でしょ。回ろうよ」

「あ……うん」


 はにかむ様に笑う彼女の手を引いて、店の外へと飛び出した。




 最初に見た肉の串焼きを二人で齧りながら、曲芸師の技を見る。

 単純な身体能力の発露では到底芸にならないわけで、やってくる芸人は個性を出そうとあらゆる手を使っているようだ。

 今日は光と水と氷と火。つまり売りは美しさらしい。水が虚空に絵を描いて、軌跡を追いかけるように光が追う。触れた先から氷となって、中に見事な獣の絵が現れた。皆の拍手を受け終わると、突如氷は炎となって、あたりに火の粉をまいて夕焼けに消える。思わず二人で拍手をした。

 

 たっぷり堪能して、次へ。

 ノエルの手を引いたまま、人ごみの中をするすると。絞った果汁を二人分。途中で注がれた嫌悪の視線に睨み返してやる。

 祭りと言っても小規模なもので、これといった特色も出し物も無い。買って歩いて食べるがほとんどである。そんなもので、良いのだと思う。

 

 途中友人達と再会した。向こうが軽く頭を下げて、ノエルも同じように下げ返す。これで万事解決とはいかないが、無駄に拗れなかっただけでも御の字だ。

 誘われたが、合流はしなかった。今日は二人で良い。

 

 一通り笑って、食べて。

 そうして日が落ちきる前に、二人は屋敷へと帰ってきた。


「楽しかった?」


 ノエルが頷く。これだけで、探した甲斐があったと思う。

 顔を引き締めて、ノエルが呟いた。


「今日、見たこと無いひとが多かったね」

「そりゃお祭りだもん」

「そうだけど、そうじゃなくて……ごめん、気にしないで」


 セラヴィアは首を傾げた。波に飲まれて疲れたのかなと思う。


「それじゃ、着替えてくるね」

「……うん」


 儀式の準備をするために自室へ向かった。

 正装のようなものが、一応はあるのだ。

 下着まで含めて全部脱いで、白いローブに首を通した。輝くような素材はうっすらと透けているし、そもそも露出が激しい。油断すると胸やお尻が零れてしまう。中々に強烈だと思う。

 足元は蔓と木で作ったサンダル。遥か昔の踊り子のようだ。

 

 着替えも終わり、ノエルの元に戻った。くい、とお尻を上げてポーズを取ってみせる。


「やらしいかんじ?」

「バカ」


 呆れたような、照れたような。不思議な反応をノエルは返した。

 実際のところは、そんな甘い理由でこういう造りになっているわけではなく。

 白く薄く輝く布地は、腹から吹き出た血が映えるように。

 下着まで全て取り払うのは、魔術の篭った品による誤魔化しを防ぐため。

 つくづく、可愛くない家系だなと思う。

 

 外を見る。ちょうど、日も落ちたようだ。

 まだ時間に余裕はあるが、それまで家に居ると気力が萎えてしまうかもしれない。


「さて行こうかな……ついて、きてくれる?」

「当たり前」


 今度はノエルから手を繋いでくれた。暖かい。恐怖も、多少は和らぐ気がする。

 外に出た。


「さ……さっむい」


 当たり前の話ではある。体温の維持とて身体強化の魔術の一種なのだけど、まさにそこが苦手分野なのだ。どうしようもない。


「ん……」


 ノエルが小さく声を漏らして――ゆっくりとセラヴィアの背後まで移動すると、ぎゅっと抱きしめてきた。彼女とて服装は昼と変わらず、太ももはむき出しのままである。この差はそのまま体温維持の技術差だった。

 柔らかい感触が伝わってきて、頬が緩むのを我慢できない。


「おお……ぬくい」


 だらしない声が出た。何の解決にもなっていないけれど。

 耳元で、低く、ノエルが言った。


「このままさ」

「んー?」

「離さないでおけば、儀式、やめてくれる?」


 声は、とても、真剣で。

 だからこそ、セラヴィアも真面目に答える。


「それは……ちょっと怒る」

「そう、か。うん、わかった」


 ゆっくりと、ノエルが離れた。それでも手は繋いだままだ。

 自分の恐怖も見せないように、可能な限り明るく、セラヴィアは言った。


「さ、行こう」


 儀式は室内で、今は集会場も同然となった神殿で行うことになっている。まともに神を信じる者が珍しくなってしまった昨今においては、豪華な石造りの建物に過ぎない。それでも儀式はわざわざ神殿で行うのだから、なんだかんだと忘れられないのかもしれない。

 

 道は暗く、脇に埋め込まれた光石が放つ明かりだけが頼りだった。あれだけ居たひとが嘘のようだ。皆宿に引き返したのか、あるいは都市へと出発したのか。道さえ選べば夜道でも大した危険は無いはずである。

 ――良いけどさ。さすがに恥ずかしいし。

 見知らぬ誰かに見せたい姿では無いが、かといって友人に見せたいわけでも無い。

 

 神殿には、メーデの有力者、実力者だけが集まる予定になっているはずだ。認めさせるには、その程度で良い。

 目的地が見えてくるのも、あっという間だった。

 高さはあたりの建物の倍。横は三倍か。積み上げられた石は光沢すら放っていて、ヒビの類は見当たらない。

 歴史は、メーデよりも古いのだという。昔は何も無い草原にぽつんと、この神殿があったのだとか。

 

 扉は無い。石柱の間をくぐれば中に入れる。

 中に。


「……セラ?」

「ごめん、ちょっと、先に入っててくれる?」


 心配そうに見るノエルに、明るく返す。


「中央まで行かなくて良いから。通路で待ってて。ね? 大丈夫、ちょっと深呼吸してくるだけだから」


 たっぷり十秒以上悩んでいたが、やがて諦めたようにノエルは歩き出した。後姿が神殿の中へと消えたのを確認して、セラは道の脇へと駆け出した。

 建物の隙間に入り込む。道の明かりもろくに届かず、吸い込まれるように真っ黒だ。


「はぁっ……はぁっ……」


 屈みこんで、胸を押さえた。握り締める。痛いくらいに。

 怖かった。

 刻一刻と時間が迫るたびに、押しつぶされるほどに怖かった。

 立場上、戦う訓練はしている。殴られる蹴られる程度は耐えられる。それでも結局は皆甘いし、刺されたことなどあるわけもない。

 

 ――失敗したら。

 他人を治すのは、恐ろしく難しい。はらわたの刺し傷なんていう致命的なものになれば、治療出来るエルフなど本当に限られてしまう。

 メーデに限って言えば、恐らくは母だけだ。その母は老大樹の調律にかかりきりで、絶対にここまでは来てくれない。

 失敗すれば、たぶん死ぬ。

 

 仮に生き残ったとして。

 どんな顔で、母に会えば良いのか。無理を押して希望したのに。家族の顔を潰さぬための足掻きで、より酷く顔を潰すのか。

 ――だけど。

 セラが死ねば、ノエルは自由になれるのだろうか。

 それが良いのか、悪いのか。もう何も分からない。

 

 暗い。寒い。怖い。震える。

 気配。

 足音。

 なんだろう。

 立ち上がり、振り返る。その途中で、衝撃が奔って。

 セラヴィアの意識は、闇に飲まれた。

 


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