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Elvish  作者: ざっか
外伝一
20/117

とあるエルフの一日を 一


 眩しさで目が覚めた。

 両目を軽く擦り、のそりとベッドから起き上がる。柔らかな毛布を払いのけて、大きな大きな伸びをした。

 窓にかかった薄いカーテン越しに、青々とした空が見える。


「朝かぁ」

「昼だってば」


 漏らしたセラヴィアの独り言に、応える声が背後から聞こえた。

 ゆっくりと首を回す。

 木造の壁。床。灰色の絨毯に大きめのテーブルが一つ、椅子が二つ。隅には上半身を丸ごと写せる鏡があり、その手前には白鏡石製の洗面台。水道内蔵の自慢の一品、らしい。

 

 ベッド二つと服を突っ込んだチェスト、さらには無数の水彩版まで並べておいて、部屋はそれでも余裕がある。贅沢をしているという自覚は、まぁ、無いとは言えない。

 

 声の主は、もう一つのベッドに腰掛けて居た。

 体に密着するように細い黒シャツに、下も同じく黒いズボン――というには、太ももを出しすぎだとは思う。

 腕を組み、足も組み、少し機嫌悪そうに。

 

 理由はなんとなく分かってはいるけれど、始まりの言葉が変わるわけでは無い。

 だからセラヴィアはにこりと微笑んで、いつもと同じ挨拶をする。


「おはよう、ノエルちゃん」

「……おはよう」


 少し間はあったものの、簡単に棘は取れた。このあたりは本当に可愛いと思う。

 陶器のように白い肌と、自分と同じ緑の瞳。鼻は少し高くて、顎は細い。大きくも鋭い目とへの字に結んだ口が、野生の猫を思わせる。仏頂面さえ直してしまえば、百人に聞いて百人が可愛いと言うんじゃないかとセラヴィアは思う。

 

 まじまじと顔を見つめていたら、どうしたのと首を傾げた。

 仕草も可愛い。性格だってそうだ。何か一つ運が向けば、それだけで周囲から好かれそうなものなのに。

 ――とはいうけれど。

 セラヴィアはベッドから降りて、室内履きをつっかける。あくびをかみ殺しながら、鏡へと向かった。

 背中越しに、ノエルへと声をかける。


「顔洗ったら、食事にしよっか」

「お腹減った」

「はいはい」


 鏡の隅に写ったノエルの長い髪は、その肌よりも尚、真っ白だ。

 雪のように。ダークエルフのように。あるいは古老お抱えの黒ずくめ共のように。

 理由は知らない。別段重要なこととは思っていない。

 

 同時に、皆が自分のように気にせず接することが出来ないのも、理解はしていた。

 洗面台の縁をなぞり、少量の魔力で軌跡を描く。音も立てずに穴が開いて、引かれた水道から水が出てきた。

 手で掬おうとして――


「つめたっ」

「そりゃ冬だし」


 日差しのおかげか部屋は暖かかった。薄い寝巻きでも平気なほどで、それが油断を誘ったらしい。

 ――そのうちお湯が出る仕組みにしてもらおう。

 覚悟を決めて水を溜め、勢い良く顔にかける。


「うひぃ……」


 一瞬で目が覚めた。

 開く瞳。鏡に写った、もう見飽きた己の顔。

 自分が極めて美しいことは、良く自覚している。

 宝石のように輝く瞳は、光を吸い込むように強く、大きい。歪み一つ無く整った鼻梁に、柔らかくも小さい唇。肩まで伸びた髪は煌く金を束ねたようだった。

 

 美しい。国中探してもそうそう並ぶものさえ居ないほどに。

 美しい。母に似て。そして姉に似て。

 只それだけのことだと、セラヴィアはいつも思っている。

 外見を心から誇れたことは、思えば一度も無かった。褒められれば笑顔で礼を言うものの、説明出来ないもやもやが、胸をくまなく覆っていく。

 

 見合う『何か』を持たないからだと、セラヴィアは前から考えていた。

 大貴族の家系においても、史上最高の天才と呼ばれた母。

 生まれも知らない第三市民出にもかかわらず、剣において並ぶもの無しと呼ばれた父。

 そんな両親をも霞ませる、怪物とすら呼ばれる姉。

 

 恐ろしく優れた血筋にあって、セラヴィアはどこまでも平凡だった。

 洗い終えて、柔らかな布で顔を拭い――今日の責務を思い出して、少しだけ、肩が震えた。


「セラ?」

「ん、大丈夫。食堂行ってて良いよ」

「……分かった」


 出て行くノエルを見送った後に、セラヴィアは大きく深呼吸をした。

 自分は、領主の娘である。だから果たさねばならない。

 立派な母に応えるように。偉大な姉に恥をかかさぬように。父は――次に顔を見れたら考えよう。

 

 セラヴィア・レム・ベリメルス。

 母の名はラムリア。父の名はヴァラ。

 そして姉の名を、ルナリアという。




 顔を洗って、着替えも済んだ。白いワンピースに、空色の上着を着込んで、茶色の浅いブーツを履いた。スカートが短く、脚がやや寒い。とはいえあまり長くては格好が付かない。

 見栄を張るのも、まぁ、自分の仕事だと思っている。

 

 食堂にたどり着くと、もうノエルはテーブルへと向かっていた。食器は一通り並んでいる。料理器具も同じく。後は――セラヴィアが作るだけだ。

 苦笑して、台所に立つ。戸棚から大きなパンを取り出した。焼いたのは確か昨日で、問題無く食べれるはずだ。隅に積まれた大小様々な冷箱から、手のひらほどもあるハムを四枚。別の箱から葉物の野菜を少々。チーズはどこだったか、と悩んだところで、手が止まった。

 顔は向けずに、言う。


「そういえばさノエルちゃん」

「なに?」

「パンとハムとチーズくらいはあるんだからさ、お腹減ったなら待たずに食べれば良かったのに」


 息を呑むような雰囲気がして、それきり返事は無い。

 振り返る。


「せっかくだから一緒に食べたいとか、そういうかんじ?」


 ノエルの目がきょろきょろと泳いで、やがて小さく頷いた。視線は逸れたままで、頬はやや赤い。

 たまらない。思わず駆け寄ってしまった。

 背後から頭を抱えて、胸に沈み込ませてやる。無駄に大きな自分の胸も、こういうときは役に立つものだと思った。


「うーん、かわいいやつめ」

「ばっ……ちょっ……離してってばっ」


 もぞもぞとノエルが抵抗する。もちろん本気では無い。嫌なら自分などあっという間に跳ね飛ばされている。

 五秒ほど彼女を堪能した後、小声でセラヴィアは言った。


「でも、料理を手伝う気は無いんだよね?」

「ええ」


 悪びれもせずに。

 こいつめ、と腕を回して、ノエルの首をぎりぎりと絞めた。

 まるで効いていない。最も、それが分かっているからこんな攻撃に出たとも言えた。強化も含めた筋力の差は猫と牛ほどもある気がする。

 ――仕方ないとも思うけど。

 腕を緩めて、するりと離れた。台所へと戻る。

 

 隅に置かれた『鉄の塊』へと手を伸ばした。形は浅い鍋のようで、大きさはトレイほどだ。黒々とした立派な見た目よりはだいぶ軽い。木造の取っ手を掴んで、手始めにと軽く魔力を通す。

 全体がある程度熱を持ったところで、箱から取り出した小さな脂身を放り込んで、表面に塗った。

 

 料理用の便利鍋、とでも表せば良いのだろうか。

 鉄と暖石を組み合わせた器具で、魔力を増幅するための紋様も刻まれている。取っ手の繋ぎには熱が伝わるのを防ぐための冷石も入っている、という話だった。

 

 魔術で直に火を出すよりも、遥かに効率良く、かつ細かな調理が出来る。薪もいらない。多少値は張るものの、一度使えば手放せない品だった。

 欠点はと言えば――魔力が無ければ、役に立たないことくらいか。

 

 ハムを刻んで放り込み、卵を三つ投入する。雑で手抜きでまっすぐな料理だけれど、凝ったものを作る気力は無かった。

 ある程度火が通ったところで、上からぱらぱらと調味料をかけた。

 肉にも卵にも良く合うそれは、シリカと呼ばれる木の実を粉に砕いたもので、西方からの輸入品だった。当然のように高いが、種から自分で作っても同じ味が出せなかったのだ。そのうち研究してみようとは思う。

 

 出来た料理を皿に取り分けて、次はパンに取り掛かる。

 ざくざくと大雑把に切った後は、火の魔術で軽く表面を炙った。加減が難しいものの、こればかりは鍋では出来ない。

 ほんのり焦げ目が付いた。文句の無い仕上がりだ。野菜は――もう面倒なのでそのままでいいか。

 一通りをテーブルに並べて、仕上げに一塊のバターを中央に。出来上がり。


「じゃ、たべましょか」

「うん」


 もりもりと食べるノエルの様子はとても微笑ましい。にやける頬をどうにか正して、セラヴィアも料理を口に運ぶ。

 ややしょっぱい。入れすぎたか。まだまだ『おいしい』の範囲ではあるので、良いけれど。

 大きなパンを掴んだノエルの手が、ぴたりと止まった。


「昨日は、やっぱり寝付けなかった?」

「……まぁ、ね」


 結局眠りにつけたのは、うっすらと空が白んできたころだったか。だからこそ目覚めたのは昼過ぎだったわけだけど。

 そういえば、とセラヴィアは尋ねた。


「母さんは?」

「朝一番で大樹のほうに行った。丸一日帰ってこないって」

「そうか。そうだよね」


 パンを齧る。味が変わったような錯覚を覚えた。

 この地に植えられた老大樹、名をメーデという。それはそのままこの町の名でもあった。治める領主はラムリア・レム・ベリメルス。即ちセラヴィアの母である。

 

 領主、と一口に言っても、その勤めは様々だ。

 小さな政まで己で仕切るものも居れば、仕事の大半を雇った部下に投げるものも居る。王への税、あるいは古老への上納さえ途切れず払えるのであれば、自治はどこまでも認められている。

 

 領主が領地の方向性を決める、と言っていい。隣り合った『ご近所』同士であっても、まるで違う色を見せるのはこのあたりが理由だった。

 ある種自由に見える領主という立場にも、只一つ、共通の役目がある。上納よりもさらに重要ともいえるその仕事――老大樹の『調律』に、母は朝から出かけたのだ。

 

 土地を耕し、水を潤し、魔力を辺りに染み渡らせる。エルフの生において、決して切り離せない木。

 圧倒的な力を持ち、命の糧とさえ言える老大樹だが、同時に恐ろしく扱いの難しい代物でもある。

 

 周囲に放つ魔力が強すぎれば、作物が育つどころか種や果実が破裂する。水が毒へと変わることすらあるのだという。当然魔力が弱すぎれば、もはや存在する意味さえない。養分を吸い尽くすだけの害になってしまう。

 大樹を理想的な状態に保てること。それが領主の領主たる資格であり、領地の力そのものにもなる。

 

 当然だが、困難極まる。嵐のように吹き荒れる魔力の塊を、時には綻びを紡ぎ、時には固まりを解きほぐすのだ。そこらの凡人が行おうものなら、魔力の並に飲まれて死ぬこともあるという。

 領主の腕が、土地の豊かさに直結する。そういう点では、メーデは国中探しても並ぶものが無いほどの、極上の土地であった。

 なにしろ母は、エルフの中でも頂点に位置するほどの魔術使いだからだ。

 食事も終わり、後片付けも済ました。

 今日はちょっとしたお祭りなのだ。当然見回る予定ではあったが――その前に、


「ちょっと畑見てくるね」


 ノエルが小さく頷いたのを確認して、食堂から出る。僅かに軋む廊下を歩いて、裏口から外へ。

 日差しと空と緑と土と柵と蔓。

 屋敷の裏に広がる小さな畑が、セラヴィアの『領地』だった。

 柵を開けて中へ。作物を踏まぬよう慎重に歩きながら、畑の中央にたどり着いた。

 

 太さは自分の腕くらい。高さはだいたいお腹まで。外見はちょうど、老大樹を小型にしたようなもので、名前もそのまま小樹という。

 老大樹が振りまく魔力を、効率よく周囲に伝えるための、いわば中継地点のようなものだ。

 無くても作物は育つが、差はしっかりと出る。

 

 老大樹には遠く及ばないが、やはり調律は難しい。それでもセラヴィアはあくまで自分でやっていた。それが――唯一と言ってもいい、自慢だからだ。

 実際効力は素晴らしく、畑の世話の九割は、この小樹の調律だけでどうにかなってしまう。貴重な品ではあるのだけど、必死に頼んだ甲斐はあったというものだ。

 ――大樹もこう出来るなら、良いんだけどね。

 

 領主というのは、基本的には世襲である。それにはもちろん、確かな理由があった。

 エルフの最大の特徴とは即ち魔術の行使であるが、その能力は流れる血に非常に強く影響される。

 端的に言えば、親が腕の良い魔術使いであれば、大抵はその子も優れた素質を持って生まれるのだ。逆もしかりで、親が不出来ならば子も恵まれない場合がほとんどである。

 

 優れた力は簡単に地位に結びつく。そうして貴族となったエルフの子供は、当然親の優れた素質を受け継ぐ。

 実力主義を謳い、事実そうであるはずのエルフの社会で、権力の逆転が滅多に起きない理由だった。

 

 もちろん、例外はある。

 セラヴィアの父は貧民出身で、親を知らないという話だった。にもかかわらず圧倒的に強い、はずだ。姉の騎士団にも、似たような話があったと思う。

 血にかかわらず、素晴らしい力を見せる場合も、確かにある。

 

 逆に。

 優れた血に生まれても、碌な才を持たぬ子も、居る。自分のように。

 小樹の幹へと手を当てた。魔力の流れが指先から二の腕へ、体を通って頭にまで届く。

 薄緑に輝く光の河、という表現がセラヴィアの感じる形をもっとも正しく表しているように思う。

 

 とはいえこれも個体差が大きい。別の誰かに触らせれば、緩やかに燃える炎と言うかもしれないのだ。

 小樹に淀みは無い。源流がどうにも不安定のようではあったが、そちらは母の領分である。セラヴィアに出来ることは、何も無い。

 

 地面に屈んで、蔓に触れた。青々と茂ったそれは親指ほども太く、ぽつぽつと赤い果実がついている。

 この種も、西方からの輸入品だった。名はいくつかあったが、どれもぼやけて正確に覚えていない。試しに食べたが程よく甘く、瑞々しい。

 良いものだと思ったので、姉に送って見た。おいしかったと手紙にはあった。喜んでくれたのであれば、何よりだとは思う。

 

 ――そういえば、帰ってくるのは明日だっけ。

 本来であれば、今日の昼には帰ってきている予定だったのだが、どうしても外せない仕事が入ってしまったのだとか。

 立ち上がる。畑に問題は無さそうだ。

 ルナリア・レム・ベリメルス。強く、美しく、優しく、明るい。国の歴史に名を刻むほどの戦士で、台風の目とさえ言える危険人物でもあり、ダークエルフを次々と葬る英雄でもあって。

 

 そんな、これ以上無いほど立派で誇らしい姉が、セラヴィアは大好きで――その好意と同じくらい、苦手だった。

 屋敷の中へ。食堂には戻らず、玄関へと向かう。やはり黒い上着を羽織って、ノエルが待っていた。

 声をかける。


「じゃ、いこっか」

「うん……その、さ、セラ」

「なーに?」


 少し、沈黙があって、


「本当にするの?」

「今更、やっぱり出来ませんとは言えないよ」

「やめても誰も責めないよ。ラムリアさまだって、ルナさんだって、町のみんなだって」

「それは、そうかもしれないけどさ」

「せめてラムリアさまが居る時にしようよ。明日なら、エリス副長だって来るんでしょ? 何かあったときに、治せるひとがいないのは……怖いよ」


 だからこそ、意味がある。思っても言葉にはしなかった。


「お祭りの締めなんだから、今日やらないと来年になっちゃう。それはかっこ悪いじゃない」

「かっこなんてどうでもっ」


 ノエルの言葉を遮るように、勢い良く玄関を開けた。


「とにかく今はお祭りに行こうよ。大丈夫、本当に無理そうだったら泣いて謝って逃げるから」

 

 渋い顔をしたままのノエルを引っ張り出す。

 空は青く、日差しは強く、風は少し冷たい。良い日だと思う。お祭りにも、そして儀式にも。

 成人の儀、では無い。それは即ち固定化のことで、二十歳前後に行うのが一般的だ。身体的に優れた時間で止めるのは当たり前の話であるし、何よりセラヴィアはまだ十六歳である。ノエルも、きっと似たような年齢のはずだ。予想では一つ上。

 

 今日、セラヴィアが行うのは――言わば継承の儀。より正確に言うのであれば、その権利をもらうための儀式だった。

 どちらにしても、夜の話だ。今は考えなくて良い。

 不満顔のノエルの頬をたっぷりと揉み解した後、二人はゆっくりと歩き出した。

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