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Elvish  作者: ざっか
第一章
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境界を越えて 下


 背嚢を背負い、皮のブーツを履いて脱衣所から出ると、通路に二人の姿があった。


「急ぐぞ。ああそれと、フードはしっかり被っておけよ。理由は……言わなくても分かるね?」


 団長の言葉にルネッタは小さく頷いて、まじまじと彼女を見る。

 艶さえ放つ白地に、美しい青と金の刺繍が施されていた。襟元は軽く開いており、下はズボンだ。男物の礼服だろうか。足下は頑丈そうなブーツで、羽織った外套には毛皮が裏打ちされている。どちらも染み一つ無い純白だ。

 肩まで伸びた金髪を、服の白が引き立てる。目を見張るほどの美しさだった。


「惚けてないでくださいますか」


 いらだちを含んだエリスの声が響いた。

 彼女は――予想通りと言えばいいのだろうか。頭に乗ったカチューシャはそのまま、黒い長袖に白のエプロンドレス。まさに侍女の服装だった。目立つのはスカートで、標準からすれば相当に短く、脇にスリットさえ入っている。足下はこちらもごついブーツ。色は漆黒だった。

 右手に、布に包まれた『棒』を持っている。形。長さ。きっと剣だろうとルネッタは思う。

 並んだ姿を見るかぎり、背丈に差はほとんど無い。ルネッタとも似たようなもので、特に大柄というわけでは無かった。自分より大きく見えたのは纏った雰囲気によるものだったらしい。全員横並びだということだ。少なくとも胸以外は。

 

 二人が背を向け歩き出した。ルネッタは小走りで後を追う。

 建物から外に出ると、あたりは紅に染まっていた

 ――夕焼けか。

 国や場所が違っても、夕陽の美しさは変わらなかった。

 優しく照らされる光が石造りの町を染め上げている。

 数え切れないほどの屋根と延々と伸びる道が、町の規模を雄弁に語っていた。

 

 大きい。これほどの場所は生まれて初めてかも知れない。

 路面は石畳のように見えるが、表面は驚くほどなめらかだ。とはいえ歩きづらいわけではなく、ブーツが滑る感触も無い。いったいどんな技術なのか、ルネッタには想像もつかなかった。

 

 ところどころに雪が積もっているけれど、不思議と歩道には残っていない。脇に細い溝があるところを見ると、そこへ流すように作っていると思えるが、

 ――どうやって溶かすんだろう。

 そういえば、とルネッタは思う。

 屋根を雪が覆うような場所の割には、あまり寒さを感じない。現に町中に残っているのだから、季節外れというわけでも無い。

 十字路に出た。

 

「こっちだ」


 一声かけて団長とエリスは右に曲がった。普通に歩いているはずなのに恐ろしく早い。背嚢をしっかりと背負い直し、ルネッタは駆けるように後を追った。

 左右には様々な店が建ち並び、屋台らしきものも多い。だというのに人影はまばらだ。もう店じまいだろうか。

 ――いや。

 道の遙か向こうに、蠢くような人の塊があった。どうやら一カ所に集まっているらしい。団長が言った『事態』の原因とやらが、その先にあるのだろう。

 

 道ばたの子供が何かに気づいたように騒ぎ出した。箒を抱えた老人は拝むように両手を合わせ、屋台の片付けをしていた若者が憧れで塗り固めた瞳を向ける。

 彼らに微笑み、手を振り、好意に応えるそぶりを見せながら、団長は歩を進めている。

 

 ――今なら。

 この辺りには脇道も多い。彼女達の意識は住民に、何よりも道の先の異変にあるはずだ。このまま逃げ出せば追ってこないかもしれない。そうすれば――

 どうなるのだろう。

 当てもなく、知り合いの一人さえ居ない地で、逃げることにどんな意味があるのだろう。現状を上回るほどの好機に、果たして巡り会うことが出来るだろうか。

 

 ――なんで迷う。

 上手く行きすぎてると感じるからか。未知への恐怖が大きすぎるからか。

 どうせ選べる道など無いというのに。

 強く右手を握りしめた。そうだ、とルネッタは思う。幸運に幸運を重ねて命を拾った。貴族らしき相手にも接触できた。これ以上何を望むのだろう。

 出来ることをするんだ。そうすればきっと生き残れる。

 

「ゴアアアアアアアアアアア!」


 ――えええええ……

 かろうじて振り絞った勇気を、軽く粉砕しかねない音だった。

 獣の咆吼だとは思う。思うのだが、これほどの威圧感と迫力を備えた声を、ルネッタは生まれてから一度も聞いたことが無い。肌がしびれるような衝撃なのだ。

 

 自然と膝が笑った。声の主はきっと広場にいる。状況の正体も想像がつく。

 大丈夫なんだろうか。

 緩んだ歩調に気づいたのだろう。エリスがこちらへ振り返った。表情は――不思議と優しく見える。


「私の側から離れないでください」


 声は変わらずぶっきらぼうだが、その一言だけで落ち着ける気がした。

 人の群れにたどり着いた。

 やがて一人がこちらに気づくと、側に居た者を肘でつつく。あるいは誰かが指さして、声を上げて周りに知らせる。認識の輪が広がっていく。

 団長の到着を皆が理解したのか。

 まるで遠い昔話、海が二つに割れたように、住民の波が中央から分かれていく。

 

 広場が見えた。

 屋台の残骸と思しき木片が飛び散り、所々の路面にヒビが入っている。広大な空間の中央に『それ』はいた。

 ルネッタはかつて象を見たことがある。まだ若いという話だったが、それでも途方もない巨大さに腰が引ける思いだった。優しい目をしていたことだけが救いでもあった。

 

 象を彷彿とさせる巨体を、その獣は持っていた。

 黒々とした剛毛に全身を覆われている。四肢で地面を踏みしめる姿は虎に近いが、なにしろ大きさが違いすぎる。目は爛々と輝き、裂けるように開いた口の中は血で染めたように赤い。ルネッタの手首ほどもある牙が四本。噛まれれば即死であることは考えるまでも無かった。

 獣の周囲には、十数人の武装した兵の姿があった。長い槍の穂先を獣に向けて、懸命に牽制しているようだ。

 

 もう一度、獣が叫んだ。

 目下の敵である兵を威嚇しているのか。あるいは団長への『歓迎』なのか、ルネッタには分からない。

 団長が輪の中へと歩き出す。エリスも続く。仕方が無いのでルネッタも続く。本音を言えば近づきたくないが、二人から離れるほうがもっと恐ろしい。

 足を止めた。獣まではまだ距離がある。

 団長が、右手だけをエリスに向けた。


「つるぎを」


 エリスは『棒』に撒かれた布を解いた。精巧な細工の施された鞘が、夕陽に照らされて紅く光る。

 鞘をエリスの手に残したまま、団長がゆっくりと柄を握った。抜き放たれた長剣は光を吸い込むように真っ黒だった。

 

 団長だけが歩を進める。剣はぶらりと下げたまま、無造作に距離を詰めていく。

 住民から大きな歓声が上がった。興奮の絶頂に居るのだろう。言葉は分かるはずなのに、単語の一つさえ理解出来ない。

 無理も無い、とルネッタは思う。

 

 金色の髪を風に流しながら、白い衣をまとって、剣を片手に魔獣へ立ち向かう。まるで叙事詩そのものだ。自分もこの町の住人であったなら、きっと顔を真っ赤にして声を上げていると思う。

 周囲を取り囲んでいた兵士が、一斉に離れていく。

 広場の中央には、一人と一匹だけが残った。

 ゆっくりと、そして優雅に、団長は剣を胸元に構えた。

 ――と。

 

「あらら」


 呆れたようなエリスの声。ルネッタは思わず目を見張ったが、見間違いとは思えない。

 怯えたのだ。獣が。

 全てを食い散らかすようだった口は閉じられ、凶暴さを振りまいていた瞳には、はっきりと惰弱な光が宿っている。

 団長の舌打ちが、ここまで聞こえた気がした。

 

「エリス!」


 彼女は一声叫んで、同時に右手の剣を天高く投げ上げた。

 エリスは盛大なため息をつくと、持っていた鞘を掲げた。口は空へと向いている。

 僅かな時間を置いて、剣が空から落ちてきた。

 それは狙い澄ましたかのように――実際にそうなのだろうけど――エリスの掲げた鞘に吸い込まれた。

 きん、と。金属の鳴らす高い音が、広場の端まで届いていた。

 

 住民が響めく。投げた団長、受け止めたエリス。どちらも間違い無く神業だった。だけどそんなことよりも。

 ――素手。

 本気だろうか。あの象のような巨体を。その細くしなやかな指で。

 それとも。

 噂に聞く、過去の書物にだけ残る、アレをこの眼で見られるのだろうか。

 

 獣はまだ警戒している。団長は一歩を踏み出さず、その場で大きく肩をすくめた。

 ルネッタの場所からは背中しか見えない。けれどもどんな表情をしているのか、何となく分かる気がした。

 獣が吠えた。短い一声ではあったが、今までのどんな叫びよりも鋭いものを感じる。

 あの獣はとても賢いのだとルネッタは思った。だって侮辱されたと分かるのだから。

 

 団長が歩き出した。散歩でもするように。獣など存在しないかのように。

 それが、憤怒の引き金になったらしい。

 獣が地を蹴る。早い。巨体など嘘のように。風を裂いて迫る。団長は引かない。 飛び出した勢いをそのままに、獣は丸太のような前足を振るう。左上からたたきつけるように。敵を肉片へと砕くために。

 

 重い、音がした。

 ルネッタはぽかんと口を開けて、ただ目の前の光景を見ていた。

 獣の全力を込めた右前足の一撃を、団長は左手一本で受け止めていた。

 住民はもう騒がない。ただ静かに戦いを――処刑のような何かを見ている。


「そうら」


 楽しそうな声を上げて、団長は左腕を払った。獣の上半身が泳ぐ。隙だらけの腹が見える。

 けれども団長は何もせず、獣が姿勢を整えるのを待っていた。

 対峙する。火蓋は切って捨てた。今更逃げられないのだろう。

 

 獣が再び地を蹴った。牙。赤い口元が迫る。

 団長はまるで曲芸師のようにするすると身を躱すと、獣の体に手をかけて飛び上がった。

 首の上に跨がる。暴れ馬のように、獣が身を悶える。

 団長は、天を掴むように右手を振り上げると、

 真っ直ぐに、振り下ろした。

 

 頭蓋を砕く堅い音。脳を掻き出す湿った音。

 混ざり合った異音が、ルネッタの耳にこびり付いた。

 団長の右手は、肘の部分まで、獣の大きな頭部に埋まっていた。

 ごぼり、と音を立てて、ゆっくりと腕が引き抜かれる。噴水のような血が吹き出る。

 団長の半身、白く輝く外套を、獣の赤黒い血が染め上げていく。

 獣が崩れ落ちた。軽い地響き。団長は獣の体を蹴って宙に飛んだ。

 空中で体を一回転させ、綺麗に足から着地すると、恭しく一礼して見せる。今宵の見世物は終わりだと、体中から滴る返り血が語っていた。

 

 凍り付いたように静かだった民衆は――しかし、団長が顔をあげたのを見ると、今までで最大の歓声を上げた。

 興奮冷めやらぬ様子はもはや狂乱と言った有様で、乗り切れないルネッタには恐ろしげに見える。

 ――ああ。

 やっとわかった。

 彼らが酔っているのは、甘い叙事詩などでは無いのか。

 美しい外見も、煌びやかな衣装も、素晴らしく絵になる立ち姿も、全ては『おまけ』にすぎないのだ。

 もっと単純に、もっと分かりやすく。

 彼らは、団長の振るう力そのものに酔っている。

 

 倒れ伏している獣の死骸が、びくんと動いた気がした。ルネッタが目を見張った次の瞬間に、獣の体は黒い霧に変わってしまった。

 立ちこめ、揺らぎ、やがて風に流され消えていく。何もかもが冗談のようだ。

 服にこびり付いた血さえも、霧となって消えたのだろう。純白に戻った外套をはためかせて、団長は兵士へ指示を飛ばしていた。

 騒ぎ立てる住民をなだめ、それぞれを解散させて元の場所を帰す。どうやらその手の内容らしい。せわしなく動く兵士に促され、一人、二人と背を向けて、広場からの撤収を始める。

 

 波になれば後は早かった。

 広場には屋台の残骸を片付ける住人に、念のためと見回る数名の兵士。後はルネッタと団長とエリスの三名だけだ。

 日はさらに傾いて、夕焼けも弱まりつつある。

 今までの騒ぎが嘘のように静かだ。

 言いつけることも無くなったのだろう。団長がこちらへ戻ってきた。

 エリスが声をかけた。


「お疲れ様です」

「ん……犬一匹殺すより、うける演出を考えるほうが疲れる」

「それも仕事の一つですよ」


 軽いため息をついて、団長はルネッタを見た。

 

「さて、自己紹介の続きだな」


 外套をはためかせ、胸を張って、彼女は言った。

 

「私はルナリア。王下直属第七騎士団団長、ルナリア・レム・ベリメルスである」


 これを言うまでが長かったなぁ、とルナリアは柔らかく苦笑した。

 相も変わらず美しい。なのに、ルネッタの背筋にはべったりと恐怖がこびりついていた。

 ルナリアが目を細める。


「こちらから聞きたいこともある」

「は、はい」

「なぜあの山を越えた?」


 声の調子は変わらないのに、心臓をわしづかみにされたような感覚が、ルネッタを覆った。


「自殺にしては大げさすぎる。犯罪者なので逃げてきたというには険しすぎる。我らに仇為すためとしては、あまりに若くてかわいすぎるな。お前はいったい何者かな?」


 エリスも体をこちらに向ける。

 ごくり、とルネッタはつばを飲みこんだ。

 返答次第で――どうなるのだろうか。表情は相変わらず優しい。きっと彼女はごく普通の質問をしているだけなのだ。だから緊張した様子も無いし、威圧するようなそぶりも見せない。

 

 ――なのに。

 先ほどの姿が、象のような巨獣をあっさりと括り殺した姿が忘れられなかった。

 こちらを見るルナリアの瞳に写る感情が、今のルネッタには判断できない。

 背中へと意識を向けた。背嚢は二番底になっており、そこには自衛用の『とっておき』が入っている。役立つと信じて持ち込んだはずだけど。

 

 ――到底通用しない気がする。

 開き直りに近い心境に包まれて、ようやくルネッタの体は動いた。

 片膝をついて、頭を下げる。この動作がどう写るのか分からない。だからこそ、自分が知っている礼を尽くした姿勢を取った。


「私はルネッタ・オルファノ。流れの商人です。騎士団長であられるルナリア様に、是非見ていただきたい品がございます。商の基礎とは貿易、こちらの『あまり』をそちらの『あまり』とかえること。既に溢れた我らの国より、まだ見ぬかの地こそが金脈であると信じ、あの山を命がけで超えようと思ったのです」

「商人、ねぇ……」


 彼女はぼりぼりと頭を掻いた。考え込むように口を閉ざしていたのもほんの一瞬、まぁいいか、と呟いて、ルナリアは微笑んだ。


「とにかくルネッタ、お前は本当に運がいいぞ。拾われたのが私で無ければ……良くて流れるように断頭台。下手すればその場でなぶり殺しだ」


 明らかに恐ろしげなことを、とても楽しそうに言う。上機嫌なのは本当のようだ。なぜなら彼女の『大きく長い耳』が、ぴょこんぴょこんと揺れているのだから。

 ルナリアは両手を大きく開くと、


「なにしろここは、傲慢ちきで鼻持ちならない、我らエルフの国なのだから」


 最高の笑顔で、そう締めくくった。

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