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Elvish  作者: ざっか
第一章
17/117

傍で 三


 斥候からの報告に、ルナリアは小さく頷いた。


「ご苦労。下がって休め」


 小高い丘に差し掛かり、道は緩い上り坂になっている。とはいえ馬車の速度に変化は無い。魔術か、あるいは元から頑強な馬なのか。

 時間はちょうど昼。空には煌々と照る太陽がある。うっすらと冷たい風を、強い日差しがあっさりと打ち消すようだった。

 ルナリアが肩を竦めた。


「この向こう、降りた先にもう布陣してるとさ」

「くふふ、やる気十分ではありませんか。結構なことです」


 エリスが答える。

 肌か、勘か、あるいは空気で分かってしまうのか。報告を受けるずいぶんと前から、エリスの顔には獣のような微笑が張り付いたままだった。

 頼もしい、とは思う。

 少なくとも、戦場が近づくにつれて増す恐怖を多少なりとも誤魔化してくれる。

 ルナリアが、僅かに眉をしかめた。


「数はほぼこちらと同数。会戦にあっさり応じる態度。敵の将は寝返ったアルスブラハク元領主……どうにもね」


 思考をまとめるためか、僅かな沈黙を挟んでエリスが返す。


「審査、なのですかね」

「かもな。永住許可証は私の首か」

「そうだとするなら、舐められたものです。骨の髄まで思い知らせてやらねばなりません」

「無論だ、が。こうも状況が整うということは」

「……裏切り者は、他にも居ると考えるべきですね」


 ルナリアがため息をついた。

 会話の断片をから想像できる現状は、予想以上に悪そうではある。

 ――だけど。

 それどころでは無い、というのがルネッタの心からの本音だった。

 戦になんて、出たことは無い。ましてや最前線だ。降りかかる死の数は、巣から湧き出すアリの如しだろう。

 

 自分が情けなかった。なんでもすると言った。迷惑になろうとも連れて行けと、自らの口で確かに告げたのに。

 すでに丘の頂上が見える。あそこを超えれば、戦場に入るも同然だ。

 ぎゅう、と自分の体を抱く。鈍く広がる痛みが、命を実感させてくれる。

 

 ぐい、と。

 突然体が引っ張られた。良く知った匂いに、鉄とも岩ともつかないものが混じっている。

 漆黒の鎧に抱きしめられた。柔らかくも暖かくも無いけれど、なぜか不思議と優しく感じる。錯覚、なのかもしれない。それでも良い。


「大丈夫」


 ルナリアが微笑んだ。

 恐怖がゆっくりと抜けていく。体の強張りも解れていく。

 大丈夫。彼女達は強い。それは知っているはず。夜には勝鬨と共に酒盛りでもして、祝いと共に帰還して。罪も何もかもそれで消えて。

 薄い根拠であろうとも、思い込むだけで楽になる。

 

 大丈夫、と何度も頭の中で言い聞かせていたルネッタは、

 丘の上にたどり着いて、遠方に構える敵の姿をその目で見たとき、

 文字通り、言葉を失っていた。


「はは、居る居る」


 明るいルナリアの声も、遠いところから聞こえるように感じてしまう。

 ――そん、な。

 数は、大体同数。確かにそう言っていたし、間違いでは無いのだろう。重厚な鎧に身を包んだ歩兵がおそらく三千前後。馬のような『何か』にまたがった、黒い塊とでも言うべき騎兵が、およそ千。

 

 問題は、別にあった。

 整然とした陣。その前方。置かれた分厚い鉄の板から、それぞれ突き出す鏃のように『それ』は居た。

 象の巨体。虎の姿。黒い毛皮。ルネッタが最初にこの国で見た、非現実の象徴とでもいうべき巨獣。

 人間の百や二百は蹴散らしそうな暴力の塊。

 その数――実に三十は下らない。

 

 唖然とし、口をぽかんと開けたまま、それでもルネッタの腰が抜けなかったのは、脇の二人のおかげだった。

 獣の群れをその目で見ても、二人の表情には毛ほどの動揺も見えない。

 慣れているのか、虚勢なのか、それとも問題無く処理できる程度の脅威なのか。もはやルネッタに判断できる状況では無かった。

 

 その時、だった。

 一頭の馬が勢い良く駆けてくると、嘶いて、馬車の横で止まる。

 煌びやかな鎧に身を包んだ、エルフの男性が乗っている。兜には金細工すら施されていた。

 若い。外見はルナリアと変わらない程度の年齢に見える。もちろん実際は分からない。


「ルナリア殿」

「これはラフィリス殿。こちらから向かうところでしたのに」

「ご冗談を。今回の指揮権はあなたにある。よって我ら第三騎士団も全てあなたの指揮下にあるのだ。当然のことをしたまで」


 名はラフィリスか。おそらく彼が、第三騎士団の長なのだろう。

 遠方を一瞥して、彼は言った。


「想定より犬が多く、陣も硬い。どういう手で行くのか。お聞かせ願いたい」

「ふむ」


 ルナリアが荷台から飛び降りた。手には斧槍を持ったまま、丘の下をゆっくりと見渡す。

 青々と茂った草原が、どこまでも広がっている。戦局に影響するような地形は、とりあえずは見当たらない。


「分かりやすく売られた『喧嘩』です。であれば素直に受けましょう。丘を下り、二列横隊にて布陣。両脇にそれぞれ騎兵を。歩兵の前列は我々第七騎士団が受け持ちます」

「我らの騎兵に、望むものは?」

「防御、です。包囲だけは避けねばなりません。他の全てを捨ててでも、敵騎兵の足を止めていただきたい」

「了解した。歩兵は如何する」


 ルナリアが、彼へと体を向けた。顔に浮かぶ笑みが、段々と鋭さを増しているように思える。


「同じく防御を。列の維持を最優先に、もしも前列が崩れれば埋めていただきたい。そうして受け止め、勢いを削いだのちに、中央を私が抜きます」

「……攻勢は、あなたの部隊だけで行うと?」

「いいえ」


 ゆっくりと、ルナリアは左右に首を振った。


「私が、中央を抜きます」


 言葉の意味を、理解したのか。ラフィリスは、あっけにとられているように見えた。


「まさか、いやしかし……あなたであれば、か」

「ラフィリス殿」


 どこか楽しげに、それでいて冷たい声で、ルナリアは続けた。


「今回のこれは、戦では無いのですよ。敵はアルスブラハク。憎憎しき裏切り者です。奴の裏切りによって、第五騎士団は事実上の壊滅。領民は無残に殺され、老大樹はぼうぼうと焼かれ、大量の富は『向こう側』へと渡りました。許されざる、などという言葉すら下らなく思える相手でしょう」

「それは、そうだが」

「ゆえに今必要とされることは、勝利では無い。これは処刑ですよ、ラフィリス殿。兵の一人も残さずに、満遍なく鏖殺する。裏切りの代償がどれほど高いか、国中に余すことなく見せ付けてやらねばならない。怠れば――いつ第二のアルスブラハクが出るか、分かったものではありません。その点の理解が甘い老人が、どうにも多い気がしてなりませんがね」


 ラフィリスは苦々しく顔を歪めた。


「返す言葉も無い。私とて、奴への思いはあなたと同じだ。だからこそ、ここに居る」

「それは結構。そうそう、追撃はお任せいたしますよ。今申した通り、兵の一匹さえも逃がしたくは無いのです。派手に真ん中を砕いた後に、アリのように逃げる兵を片っ端から潰して回る。まさしく騎兵の利点でありましょう」

「……了解、した」


 再び大きく嘶いて、馬は来た方向へと引き返していった。

 その背中を見送ったエリスは、ひょいと荷台から飛び降りると、ルナリアの隣へと並ぶ。

 とても嬉しそうに、彼女は言った。


「調子が出てきたではありませんか。ふにゃふにゃのままだったらどうしようかと思っていたところですよ」

「そりゃあんなに堂々と並ばれたらね……ルネッタ」


 呼ばれた。降りて駆け寄る。


「種族も国も違うお前だからこそ、見えるものもあるだろう。気づいたことはなんでも言ってくれ。疑問も同じだ。出来る限り答える」

「わ、わたしの戦に対する知識など、書物と言伝が全てです。とても意見なんて……」

「そう重く考えなくて良いさ。別にそれでどうしようってわけでも無い」


 ルナリアが、遠くの敵集団を指差して、首を傾げる。早速何かないか、ということだと思う。

 一つ、あるにはあった。


「ええと……現状、丘の上を占拠しております。そしてここはエルフの領地でもありますので、補給も敵よりは簡単なはずです。待てば援軍も来る……のですよね、確か。にもかかわらず、降りて会戦を受けるのですか?」

「へぇ」


 嬉しそうに、ルナリアが声を漏らした。


「いや、当然か? まぁいいさ。良く聞いてくれよルネッタ。細かな点は数あるが、さっさと会戦に訴える大きな理由はざっと二つだ」

「ふたつ?」

「一つは土地の問題。前にも言ったが、奴らが居座るだけで地脈が乱れるんだ。可能な限り早く追い出すなり、殲滅する必要があるわけだ」

「そういえば、そうでした……」

「二つ目は、まぁ、なんというか」

「いうか?」

「敵を目の前にして待機を命じると、うちの連中の士気が井戸の底より低くなる。細かいことはどうでもいいから戦わせろって話だな」


 これも、そういえば、ではあった。


「援軍を待てないとか、派手に勝つ必要があるとか、他の瑣末ごとはぜーんぶ政治的な理由ってやつだけどね」


 さて、と彼女は続けて、馬車のほうへと戻っていく。そのまま通り過ぎると、坂の途中に延々と連なる軍勢へと、手にした斧槍を向けた。

 ゆっくりと、穂先が弧を描く。合図、なのだろう。

 布陣。

 戦だ。




 見事としか言いようが無かった。

 前列を第七騎士団の重装歩兵。後列を第三騎士団の重装歩兵。左右を重騎兵が固めている。

 いわゆる散兵の類は見当たらない。弓を持った兵も居るようではあったが、数は少なかった。布陣そのものは基本と言って良いが、構成する兵員はまさに正面決戦のためのものだ。

 

 歩兵の装備は統一感が薄い。盾と兜で固めたものも居れば、むき出しの頭部に胸を覆う程度の鎧、余った重さを注ぎ込んだような両手斧を持った兵も居る。

 法則があるとすれば、外へ行くほど武器が巨大化していることか。逆に中央には重装甲の兵が集っているように見える。

 

 十人に一人、その程度の割合で鎧に漆黒が混じる。そのさらに数人に一人は、全身を炭のような甲冑で固めていた。おそらく黒い鎧こそ特別――となればあれが極光石なのか。エリスの純白も、また特別なのだとは思うけど。

 武器も似たようなもので、ところどころに染め上げたような黒が混じっている。百人長以上と思われる地位の兵は、皆一様に漆黒の得物を掲げていた。

 

 中央の、そのまた中央。そして列のもっとも前方。

 いまだ矢の射程外と思われる敵陣へと視線を送っていたルナリアが、ゆっくりと振り返った。

 陣は基本であると。それは嘘では無いが、たった一つだけ、例外があった。

 図ったような真ん中に、ルナリアは立っている。その後方はぽかりと空間が開いていた。兵も護衛も何も居ない。たっぷりと馬が駆け抜けられるほどの隙間が、陣を縦一文字に切り裂いていることになる。

 

 彼女の背後に居るのは、ルネッタ、ただ一人だった。

 持った石弓を強く握る。手で引ける程度の弱弱しい物だ。それでも、手ぶらよりはマシだと思う。

 ルナリアと目が合う。彼女は少しだけ微笑むと、すぐに顔を引き締めた。

 不思議な風が、彼女から放たれているように感じられる。


「全員、良く聞け」


 声は、陣の端まで届くようだった。風に乗せているのか。そういう魔術なのだろうか。


「眼前に構えるはアルスブラハク。灰化の魅力に負け、もたらされる力の誘惑に身を委ね、己が領地と領民を売り払った悪魔である。殺すのに躊躇などあるまい。元同胞であろうとも、いや、同胞であるからこそ、決して許せぬ相手であろう。裏切り者を討つ。これ以上の大儀があるだろうか。諸君らが今日振るう剣は、まさしく正義のための刃となる」


 そこまで言い終えたルナリアの顔に、突如、底意地の悪い笑顔が浮かんだ。


「とまぁ、綺麗ごとはこの程度で良いだろう。言うべき点は別にある。それはとてもとてもとてもとても大切な事だ」


 彼女はゆっくりと、敵陣へと斧槍を向けた。


「あそこに居るのは裏切り者だ。当然どこからも信用されない。ダークエルフの中にあっても同じこと。信が欲しければ差し出すしか無い。領地? 足りぬ。領民、富? 足りぬ、足りぬさ。であればなんだ。血を好む我らと、血が馴染んだ奴らの間で、信じるに足りる『何か』とは?」


 どん、と。

 彼女は斧槍を地に刺した。


「我らの背後には一万の援軍が来ている。が、それが役に立つことはあるまい。恐らく奴らは逃げるぞ。この一戦が終わればすぐ逃げる。我らを殺し、その首を掲げ、こんな手柄を上げました、だからぼくたちをダークエルフの仲間にしてくださいと、奴らの母にねだるためにな」


 くつくつと、ルナリアは笑って――ゆっくりと、皆を見渡した。


「我らは森の豚だとさ。おいしく太ったお肉だと。どうだお前ら。こんなに舐められて、許せるのか?」


 怒号、だった。

 熱気すら感じる兵たちの声が、あたりの空気を震わせている。

 殺気を向きだす様子を満足げに見て――ルナリアが斧槍を頭上に掲げた。

 ぴたり、と。

 その動作だけで、皆の声が静まった。


「結構。とはいえやることは変わらん。奴らの所為で土地も穢れた。であればその死体でもって、土地を耕してもらうとしよう」


 ルナリアが、再び敵陣へと体を向ける。

 声はどこまでも静かだった。


「矢の距離まで、前進」


 集団が、動き出した。


「ルネッタ」


 声。すでに術は解いているのか、音は小さかった。駆け寄って、彼女の隣に立って歩く。

 足元は草原。空は晴天。向こうには、黒き軍勢。奇妙な熱さと不愉快な寒さが、ルネッタの体を蝕んでいる。


「いつもどおりの手順で行う。お前は私の後ろで見ていてくれ」

「は、いっ」


 返事は裏返ってしまった。


「そう緊張するなって。まだ様子見だからな」


 敵も動きだした。隊列を維持したまま、着実に前へと進んでくる。

 鏡合わせのような互いの軍勢が、ぴたり、と同時に止まった。

 弓を持った兵達が、集団から一歩前へと出る。

 構えた。

 再び魔術を使ったのか、響き渡る声で、ルナリアが告げた。


「放て」


 弦が風を裂く音が、次々と周囲に撒き散らされる。矢。弧を描いて、空を黒く染めて飛ぶ。せいぜい百。それでも脅威には違いない。

 向こうも、同時だったのか。イナゴの大群の如き矢が、天から降り注いでくる。

 ――ひ。

 ルネッタは身を竦めた。死を乗せた鏃は雨のようにやってくる。

 ルナリアが、言った。


「風」


 ごう、と。

 まさしく暴風とでも言うべき衝撃が、空へと向けて放たれた。見れば列を構成するほぼ全ての兵が、片手を頭上に掲げている。

 雫のような鏃の群れは、魔術の風であっさりと吹き散らされてしまった。

 勢いを失った矢を、歩兵が面倒そうに受け止め、あるいは弾いている。


「すごい……」

「向こうも同じだけどね。曲射じゃお互い被害にならん」


 漏れた声に、ルナリアが答える。

 確かに彼女の言うとおりだった。こちらの放った百の矢も、まるで損害を与えていないように見える。


「とはいえこれだけの距離だ。直射で撃てるものは限られるし、射線を通すにも一苦労だ。そして――」


 ルナリアの左手が素早く動いた。ルネッタの前に突き出されたその手の中には、一本の矢が握られている。


「出来たところで、こんな遠距離からの射撃なぞ、脅威となるわけもない」


 射られた矢を、彼女があっさりと掴んだのだと、やっと分かった。

 同時に、ルナリアが止めてくれなければ、ルネッタの顔を貫通していたことも、分かった。


「ぐぁっ」


 悲鳴。釣られて見れば、胴鎧を着込んだ兵士が地面に倒れていた。むき出しの二の腕には、深々と矢が突き刺さっている。


「さらに」


 ルナリアの声に答えるように、男はのそりと立ち上がった。

 躊躇も無く、矢を引き抜く。どくどくと流れたのもほんの一瞬で、あっという間に血は止まってしまう。表情は変わらず、戦意に微塵の衰えも無さそうだ。


「矢の一本や二本では、我らは死なん。戦闘能力を奪うことにすらならん。じゃあなんでいちいち射撃戦なんぞするのかと言えば……運よく誰か死ねばいいな、とその程度だな。慣習だから、というのもある」


 彼女が再び斧槍を掲げる。合図だろう。弓を持った兵士が、一斉に陣へと引き返す。大きな被害は皆無のようだ。

 入れ替わるように、百程度の兵が前に出た。


「撃て」


 声と共に、無数の火の玉が青空に尾を残す。矢の代わりとでも言うように、弧を描いて放たれた火炎球は、


「え……」


 じゅう、と耳にこびりつく音を残して、敵集団の直前で消えてしまった。

 ルナリアが、小さく舌打ちをする。


「だろうな」


 お返し、なのだろうか。敵の前列に大小様々な光が点ると、勢い良く撃ち出された。

 落ち着いて、ルナリアが号令する。


「防げ」


 まるきり同じだった。風を裂いて迫る光弾は、こちらの列の直前で霧散してしまう。被害は当然出ていない。


「魔術というのはな、放つよりも防ぐほうが圧倒的に簡単なんだ。不自然の極みとでもいうべき代物だからな。加えて、放出魔術を束ねて使うのは恐ろしく難しいが、防御の障壁を重ね合わせるのは容易い。そこそこ使えるものであれば、この手の壁など無意識に張り続けているようなものでね」


 彼女の合図で、魔術を放った兵も戻る。

 隊列が、最初に戻った。

 空気も、変わったように思う。

 ルナリアが首をこちらに向けた。


「つまり我らの戦は、歩兵と歩兵が、騎兵と騎兵が、歩兵と騎兵が、その首根っこを切り落とさんと暴れまわるのが基本というわけだ」


 どん、と、彼女は斧槍を地面に叩き付けた。


「さていよいよ本番だが……その前にもう一つやることがある」


 ルナリアが、ゆっくりと歩き出した。列から抜け出て、三歩、さらに進む。たった一人、集団から抜け出る。斧槍を両手でしっかりと持つと、地面に僅かに突き刺した。


「ルネッタ」


 声をかけてきたのは、エリスだった。いつのまにやってきたのか、両手剣を軽々と持ち、傍まで駆け寄ってくる。

 どうしたんですか、と聞く暇も無い。

 彼女に勢い良く引き寄せられて、包み込むように抱きしめられる。


「な、ななっ」

「良いですか、ルナリア団長はあなたの敵ではありません。あなたを攻撃することはありません。復唱してください」

「え、え?」

「復唱」


 すぱり、と。

 言われるがままに、ルネッタは繰り返した。


「ルナリアさまは、わたしの敵じゃない。わたしに攻撃なんかしない」

「そうです。頭でそう繰り返しつつ、お腹の下のほうに力を入れてください」


 身を引き締めて、力を篭める。

 何か、するつもりなのだろうか。

 深く、深く、獣のように、エリスは微笑んでいた。


「美しく優しければ民の信は得られます。しかるべき血と立場がありながら反抗すれば、老人共の不信も得られます。では、我ら戦士の信頼は、どうすれば得られると思いますか?」

「え、と……」

「くふふ。ついでに聞くならば、私と団長、どちらが強そうに見えました?」


 ――それは。

 ルナリアのほうが強い、のでは無いかと思ってはいた。前にエリスがそう取れることを言っていたとか、団長という立場故だとか、根拠といえばその程度のもので。

 どちらも化け物じみている、という程度しか、ルネッタに言えることは無かった。


「これで分かります。ほら――来ますよ」


 言葉で身構えた、次の瞬間。

 鈍い圧力を持った何かに、全身を殴りつけられたように感じた。ぞわぞわと背筋が総毛だつ。恐怖という恐怖がつま先から頭まで走り回る。皮膚を余すことなく、鋭利な刃物が撫でていく。死。怖い。殺される。誰に。

 

 ぎゅう、と篭められた力と、嗅ぎ慣れた優しいエリスの匂いで、どうにかルネッタは正気に戻った。

 わずか一瞬で、服はびっしょりと汗に濡れている。


「かははっ、たまりませんよねこれ」


 楽しそうに笑うエリスの額にも、僅かな汗が見て取れた。

 ――これは。

 なんとなく、分かった。前にエリスが同じことをやっていた。単純に殺気なのか魔術なのかは分からないけど、要するに『脅しつけて』黙らせる。

 違いがあるとするならば、その規模と力だった。

 

 エリスの放った『殺気』は、大部屋を丸ごと埋め尽くしていた。

 同じことをしたルナリアの力は――燃え広がる野火のように、戦場全てを覆ってしまった。

 それがいったいどれほどのことなのか、魔術など使えなくても理解できる。


「無論これは単なるハッタリですよ。兵の一人も殺せません。少し知恵があれば、脅しだと分かってしまいますから。しかし――獣はそうは行かない。犬がぞろぞろいる戦場で、これをやるかやらないかは大違いでして。疲れを補って余りあります」


 そう言って、彼女は手を離す。


「馬に関しては乗り手が何とかしているでしょう。あちらも同様。残るはいつもどおり、血みどろの斬り合いというわけです」


 勢い良く、エリスは手にした両手剣を振った。


「周りを見てください、ルネッタ」

「え……?」


 見渡せば、無数の視線があった。甲冑を着込み、来るべき殺し合いに目を血走らせている戦士の瞳が、いくつもいくつもルネッタを見つめている。

 けれど、不思議と、怖くは無い。


「魔術も使えぬかよわいあなたが、戦に、それも前に出る。たとえ団長の背後であろうと、それは十分すぎる危険を孕み――ゆえに、戦士たる皆は、その行いを評価しています。後は、今日この場を生き残るだけです」


 エリスが微笑んだ。


「なに、簡単ですよ。団長のあとをおっかなびっくりついていけば良い。それだけのことです」


 では、と続けて、彼女は列の中へと消えていった。

 このためだけに、来てくれたのだろうか。

 ぎゅう、と手を握り締める。死ねない、と思う。まだここに居たい。もう少し、でも良い。

 ルナリアが戻ってきた。風を使い、静かに皆へと呼びかける。


「さぁお待ちかねだぞ。血と肉はすぐそこにある。存分に喰らい、存分に飲め。醜悪なる裏切り者で、許されざる無礼者で――その上灰化された精強なる兵共だ。これ以上の獲物はそうは無い」


 ゆっくりと、彼女は斧槍を頭上に掲げる。今日だけで何度も見た動作だというのに、明らかに、放つ鬼気が違っていた。


「前進」


 鬨の声は、無かった。静かに、それでいて乱れず、四千の軍勢は歩を進める。

 それが合図にでもなったのか、黒い集団も進軍を開始する。

 一歩、また一歩と。互いが互いへと向かうのだ。ずいぶんと長く見えた距離は、あっという間に詰まっていく。

 先頭に立って進むルナリアの背を、ルネッタは小走りで追いかけた。

 

 敵の姿も、よりはっきりと見えてくる。白い髪。浅黒い肌。日を反射させて輝く甲冑に、血を求めるような武器の数々。獣じみた殺意。押しつぶされそうな圧力。

 何よりも、巨大な黒犬。

 

 石弓を握り締めた。矢は懐に五本あるだけ。そもそも役立てるとは、思っていない。

 逃げたい。逃げない。

 振り返らず、ルナリアが言った。


「行く先から平らにする。お前はゆっくりとついてくれば良い。それで晴れて無罪放免だ」


 ほんの少し、彼女は首を傾けて、


「出来れば……いや、良い。忘れてくれ」


 静かに、周囲へと告げる。


「接敵したのちは、その場を維持することを最優先せよ。進む必要は無い。ただし下がるな」


 穂先を敵陣へと突きつけて、今日始めて、ルナリアは声を張り上げた。


「突撃!」

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