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Elvish  作者: ざっか
第一章
14/117

手にするために 四


 気づけば五日が経過している。

 ベッドに俯せに倒れたまま、ルネッタは必死に口を噤んでいた。

 むき出しの背中を摩るエリスの手が、甘い痺れを全身に奔らせる。やがて下へ下と伸びる手は、お尻を超えて太股のあたりで一度止まった。ぼんやりと暖かな感触。水のように広がる心地よさ。ふくらはぎまでたどり着き、そのまま足の裏をゆっくりと撫でる。

 ふにふにと土踏まずを揉まれて、ついに声が漏れてしまった。


「く、くすぐったいですっ」

「我慢してくださいねー」


 どうにも平坦な言い方だった。彼女は手を緩めず、足の裏を執拗にふにふにと押し続ける。

 気を緩めれば大笑いしてしまいそうなところを、歯を食いしばって耐える。

 ぴくぴくと痙攣し、息も絶え絶えになったころ、ようやくエリスは解放してくれた。

 さすがに抗議をしようかと振り返るが――彼女の表情を見て言葉を失う。


「ごめんなさい」


 くすぐったことを謝っている、のではなさそうだった。


「元を正せば私の所為。だというのに、これくらいしか出来ません」

 

 憂いを帯びた瞳には、後悔の色が強く出ている。

 どういう言葉を返せば良いのだろうか。あなたの責任では無いと言っても、なんの気休めにもならないだろう。こうして疲労を治してもらえるだけで心底ありがたいのだけど、それで済むなら最初から落ち込むはずも無い。

 剣の訓練をガラムに変わってもらったことが、何よりも堪えている気がする。とはいえ、こればかりは戻すわけにもいかない。

 

 ――ええ、と。

 あれこれと考えた末に、そしてある意味無意識に、ルネッタはぎゅ、と、エリスの手を握っていた。

 顔を見つめて、言葉を――やっぱり出てこない。少しうつむく。それでも視線は外さない。せめて何かを伝えようと、指を絡めて力を込める。

 エリスは少し不思議そうに首を傾げ――やがて、ふわりと微笑んだ。彼女はお返しのように、絡めた指をくりくりと動かす。


「反省は、終わってからにしますかね」


 頷く。あいていた手が伸びてきて、すりすりと頬を撫でられる。

 お互い無言で、一分近くそうしていただろうか。

 もうずっとこのままで良いと思うほどだったけれど、聞きたいこともある。


「あの」


 見つめる瞳。小さく開く唇。少し緊張しながらも、


「レシュグランテとは、何かあったんでしょうか」


 絡み合わせていた彼女の指に、明らかに力が籠もった。

 少しの沈黙を挟んで、エリスは低い声で告げた。


「父の仇、のようなものです」


 答えは、今まで見せた怒りに相応しく、重いものだった。親の居ないルネッタには、底の底まで察することは出来ないけれど。


「細かいことは勝ってから。ですから、がんばってくださいね」


 口を引き締め、大きくルネッタは頷いた。



 

 時間はあっという間に過ぎて、もう明日は決闘だった。

 ルナリアの私室の机で、こつこつと準備に取りかかる。手持ちの火打ち石を使う気だったのだが、上位互換のような石があるらしいので、用意してもらった。

 一通りを紙でくるんで、出来上がり。ふう、と小さなため息をついた。


「しかし、良く耐えたな」


 ルナリアの言葉に、ルネッタは首を傾げた。


「体の疲労はなんとかなる。次の日に残らない程度にはね。ただ、心はそうは行かない。丸一日剣で斬り合い、それを何日も続けたんだ。相当消耗しているはずなんだけど」

「ガラム隊長の、教え方が巧かったのだと思います」


 ルネッタが心身ともにへばる、本当にその一歩前で、いつも彼は剣を止めてくれた。決して甘くは無かったが、間違い無く優しかった。見た目に寄らず、とはこのことだと思う。

 ルナリアは苦笑すると、


「それエリスに言うなよ。泣く」

「う……」


 彼女の魔術が無ければ初日に倒れてそれきりなのだから、そう落ち込むことも無いと思うのだけど。


「ガラム隊長は……何か、わたしについて言ってましたか?」


 間が開く。少し悩んだらしい。


「逃げ腰すぎるが、守りや避けはそこそこ。ただ根本的に力が無いので、攻めは全然駄目だとさ」


 その言葉に、がくりとルネッタは肩を落とした。

 ――分かっては、いたけど。

 昔言われたことと同じだった。自分では相当な猛特訓を積んだつもりではあったのだけど、十日かそこらで変わるようなものでは無いらしい。

 あるいは、もう上達しないのか。

 

 剣にこだわりがあるわけではなかった。自衛さえ出来れば良いし、この国においては最初からそれさえ不可能だと、骨身に染みさせてもらった。助けを求める以外に手は無く、一人で襲われれば死ぬだろう。

 だが、明日に限っては、自身の力が必要だった。

 紙で包んだ固まりを見る。やはり、使うしかないのか。


「とにかく勝てばいいさ。口げんかは私がする」


 優しく言って、ルナリアは明かりを弱めた。手招きされるままに、毛布へと入る。

 明日のために早く寝ろよ、と声。すべすべの肌、柔らかい体、甘い匂い。慣れとは恐ろしいもので、隣で寝る彼女の存在は、安らぎを与えてくれるようになっていた。

 心臓が破裂しそうなほど緊張していたのも、だいぶ前の話に思えてくる。

 だというのに。


「寝れないか?」


 ごろり、とルナリアが体をこちらへ向けてきた。小さく頷く。

 いざとなると怖い。当然の話ではあった。寝れば明日が来る。負ければ――殺される、のだろうか。

 ぶるりと震えた体を、ルナリアがそっと抱きしめてくれた。


「言うと気が抜けるだろうから、内緒にしてたんだが……寝不足よりは良いか」


 なんだろうと首を傾げる。手が伸びてきて、ぺたり、と頬に添えられた。


「勝てばお前は第二級市民。負ければ今期の税の三割。要するに、賭の内容にお前の死が入っていない。協定があるから言うまでもないと思っているんだろうな」

「ですが、それは――」

「ごねるさ。いざとなれば、あらゆるツテを使ってごねる。死なせはしないよ。だからお前は安心して、勝ち方だけ考えていれば良い」


 言葉は本当に嬉しい。だけど、そう何もかも巧く行くとも思えない。

 それに。

 ルネッタの所為で、この金欠にさらに拍車をかけるようなことになれば――

 ぐい、と体ごと引き寄せられる。こつん、という音。額同士がくっつく感触。

 ルナリアの緑色の瞳の中に、自分の姿が鮮明に見える。吐息が、かかる。


「余計なことは考えるなと言ったろう?」


 慣れたはずの心臓は、驚くほどに速く動いた。彼女の顔も、少し赤い。

 頷く代わりにずるずると動いて、彼女の胸元に顔を埋めた。小さな声が聞こえる。拒絶はされなかった。

 こうして自分から甘えるのは、実は珍しい気もする。受け身ばかりではなんだか悪い。恥ずかしいけど、気持ち良い。

 寝れる、気がした。




 それはまさに闘技場だった。

 造りは円形で、高い壁によって区切られた上部は観客席になっている。不思議なのは天井があることだった。壁や床も艶を放つ石で出来ており、圧倒的な高級感を放っている。


「ここは剣闘用じゃなくて霊決用だからな。お高いのさ、いろんな意味で」


 表情だけで理解したのか、ルナリアが疑問に答えてくれた。

 場所は城のすぐ横で、専用の通路すらあった。ルネッタ達三人はそこを通り、こうして決闘者用の入り口へとたどり着いたわけだ。

 ちょうど正面。広場の向こうに、同じような穴がある。あそこから、対戦者であるラディアラクが出てくるのだろう。

 

 歓声が一際強くなった。そろそろ時間だからだろうか。

 観客席は満席に見えたが、広さはそれほどでもない。せいぜいが千人といったところか。そのかわり、でも無いのだろうが、いる客は皆一様に身なりが良い。それなりの地位があるものなのだろう。男女の比率もほぼ同数だった。


「三種類居る。分かるか?」

「なんとなく、は」


 向けられる視線。その表情。嫌悪もある。好奇心もある。


「一つは古老側……と単純には言えないが、とにかくお前に敵意を抱いている者達だ。協定違反の人間は死ぬべきである。分かりやすくはあるな」


 ルナリアの手が肩に置かれた。


「二つ目は反古老、ないしは反レシュグランテ。お前をどう思うかよりも、とにかくレシュグランテが嫌いで嫌いで仕方がないという層だな。人間一匹の運命なぞより、奴らが負けて吠え面かく様が見たくてここまでやってきたわけだ」


 エリスの頬が、ぴくりと動いた。


「三つ目は、純粋にこの決闘を楽しんでいる層だ。人間はいったいどう戦うのか。それに対してレシュグランテのぼんぼんはどう受けるのか。公平なこの連中は、お前に対して好奇心しか向けない。敵意も悪意も無い。そう言うとまるで良い奴らのようだが――」

「……血が好きなだけですね」


 呆れたように、エリスが言った。

 さらに呆れたように、ルナリアが返す。


「私やお前が言えたことかねそれは」

「ごもっともです」


 エリスは悪びれもしない。いつか見た小さな時計を取り出して、ちらりと見た。


「時間ですね」


 さらに勢いを増す歓声。僅かに震える足。手に持った両手剣は、やはりまだ重い。

 ぽん、と優しく背中を押される。


「勝てよ。そして生き残れ」


 しっかりと、頷いた。

 両手剣を力の限り握りしめて、闘技場の中央へと足を進める。もはや強風にすら感じる声は、何を言っているのかさえ分からない。

 向こうから、エルフが一人、やってきた。

 手に長剣。整っていながらも、どこか品の無い顔立ち。あまり高くない身長。見覚えのある姿。

 

 ラディアラク・レム・レシュグランテ。最初に見たときには、こんなふうに再会するとは想像も出来なかったけれど。

 お互い、鎧などつけていない。三級にそんなものは許されないのだそうだ。穢れるという建前だが、ようは客が面白く無いのだと。

 最初から、ルネッタはいつもの服装で来ていた。人間であることが幸いしたのか、持ち物の確認すらされなかった。品は懐に仕込んである。いつでも、出せる。

 

 剣を構える。距離はまだまだあるが、なにしろ合図など無いのだという。油断なんて出来る立場じゃない。

 緊張は、もうどこかへ消えていた。今は只、やるべきことをやるだけだ。

 ラディアラクは無造作に距離を詰めてくる。ごりごりと右手の剣を床に引きずり、目は血走っているように見えた。

 狂気。殺気。明らかに、正気では無い。

 

 ほんの少し腰が引けた。殺さないという取り決めでは無かったのかと、漏れ駆けた弱音を飲み込む。

 それが、隙になった。

 ラディアラクは走り出した。ぼんぼん。並以下。馬鹿息子。それらが強者の視点故のものだと、あっという間に詰まる距離で実感する。

 

 左下からうなりをあげて、長剣が迫ってくる。構え、受け、そして後ろに自ら飛んだ。

 ――ぐ、う。

 まだ一撃だ。それだけで手が痛んだ。

 基礎が違う。力も速さも、そしておそらく体力もだ。長引けば確実に負ける。

 追撃が来た。今度は頭上から。剣の腹で反らすように受ける。流されて男の姿勢が崩れる。隙。斬りかかる。首筋を狙った一撃は、しかしあっさりと受け止められた。

 

 三つ切り結んで、さらに下がる。相手は冷静さの欠片も無い。ただ目の前の相手に剣を叩きつけて、自分に向かい来る何かを払っているだけだ。

 剣技、などと呼ぶのもおこがましい。それでも、ルネッタには十分すぎる驚異だった。

 受けて、避けて、逃げて、下がれば、当然やがて壁につく。背中に当たる感触。必死に脇に飛んだ。高く、それでいて重い音。振るった剣が壁に当たったらしい。大きく崩れる体勢に、つけ込まない道理は無い。

 

 横薙ぎに、全力で剣を振るった。回避も受けも間に合わない。剣が脇腹にめり込んだ。刃を潰しているとはいえ、鉄の塊なのだ。

 感触からすると、骨は砕けた。内臓にも傷が出来たかもしれない。これなら――


「くっ!?」


 振るわれた剣を、下がって避ける。無理矢理振っただけだ。威力も精度も無い。

 男の息は目に見えて荒い。口の端から見える血は、喉から逆流してきたのだろう。それでも戦意に衰えはまるで見えない。

 負けられない、のか。

 ――それは。

 こちらも同じことだった。

 

 剣を構え直した。このまま戦えば、いずれは傷を問わない男の勢いに飲まれるだろう。

 ――武器を。

 当初の通りに行く。それしかなかった。

 殺気がふくれあがった。もはや隠す気など微塵も見えない。男の剣撃はさらに凶暴さを増し、ルネッタは受けるだけで精一杯になった。

 明らかに致死狙いの剣を、どうにか力を逃して堪える。ガラムの手ほどきが無ければとっくに死んでいた。

 

 縦から二度。斜めから一度。溜めて、渾身の横。受けきれず、ルネッタの体勢がぐらりと揺らぐ。

 尻餅を、ついた。

 男の顔に狂喜が溢れた。観客の声は歓喜を放っていた。

 振り上げられる剣。狙いは頭。ここだ。

 懐に手を伸ばしつつ、ごろりと転がる。尻餅は予定通りなのだ。動けて当然だった。

 

 剣の終着点に紙袋を投げ捨てて、ルネッタは背を向けた。

 ぼん、と。

 男の振り下ろした剣は、紙袋を貫いて、中にある『石版』を叩き、生まれた火花が、詰め込まれた火薬を燃焼させる。

 密封されてもいない。分量も少ない。こんな程度では武器になんてならない。

 

 とても、とても、驚くだけ――そして、それで十分だった。

 立ち上がりつつ体を捻る。回転する力を乗せて、ルネッタの振り絞れる全てを両手剣に注ぎ込んだ。

 狙いは男の顔。そして、守るべく掲げられる――剣。

 心地よい金属音が、闘技場に響き渡った。

 

 呆然とする男。宙を舞う剣。しかしまだ。ルネッタは冷静に、それでいて素早く、男の喉元へと、剣を突きつけた。

 後一押し、それで肉を裂く。死を間近に捕らえさせつつ、告げる。


「終わり、です」


 男の顔から狂気が消えた。涙とよだれをぼろぼろとこぼしながら、床にへたれこむ。油断なく、剣を喉から離さずに――大きく、大きく、ルネッタは息を吐いた。

 大歓声が巻き起こった。

 好感、悪寒、殺気、狂喜。様々な思惑が、この声には乗っているのだろう。

 

 通路の入り口に、ルナリアとエリスの姿が見える。お互い抱き合って、飛び上がるほど喜んでいる。

 ――ああ。

 嬉しい。とても嬉しい。すごく嬉しい。まだ一緒に居られる。彼女達もあんなにも喜んでくれる。騎士団に損害を与えるようなことも無かった。今までこんな気持ちになったことがあっただろうか。


「……ぅ……」


 くぐもった声。なんだろう。男を見る。

 あふれ出る涙。開きっぱなしの口元。敗北という事実を受け入れたはずのラディアラクは、

 ――あれ?

 妙だ。なんだろうこの表情は。負けた者のする顔じゃない。かといってまだ戦うつもりがあるようにも見えない。

 

 泣いていて、それなのに笑っていて、そして全てを諦めていて。

 なんだろう、この表情は。

 ひゅう、と。

 風が吹いた気がした。涼しい。気持ち良い。あれ。室内なのに。

 

 ごう、と。巻き込むような強い風が、ほんの一瞬、確かにルネッタの周囲を渦巻いた。

 たたらを踏む。転びかけた姿勢を整える。変な感触が、手に、ある。

 ――え?

 男。笑っている。真っ赤な液体を首から吹き出しながら。目はどこか定まらずに。

 

 ――え。

 ルネッタの構えた両手剣が、ラディアラクの喉を貫いていた。

 震える。剣から手を離す。男が崩れ、三回小さな痙攣をして――それきり、動かなくなった。

 ――なん、で?

 間違い無く。

 死んでいた。

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