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Elvish  作者: ざっか
第五章
115/118

転・魔技師レティシャの優雅なる一日


 レティシャは十二地区の片隅で生まれた。

 親の顔は知らない。おぼろげな最初の記憶は、寂れた孤児院の一室である。管理役の大人達はそろって口を濁すものの、つまりは捨て子だ。育てに困ったどこぞの女が、最後の頼みとばかりにこっそり置いて逃げて行った。それだけの話である。

 

 現在は第一市民であるレティシャだが、魔力の兆候自体は生まれた時からあったのだという。戸籍登録の時点でそれなりに、十五の審査時には見事に第一に届くだけの量だった。

 

 可能性は二つ、ある。一つは純粋な奇跡の類だ。両親が共に力の乏しい存在であろうとも、子が素晴らしい力を持って生まれることもあり得る。ただしそれは、極めて稀であることは言うまでもない。

 

 二つ目。それは良くある話、なのだという。

 第一市民たりえる力を持った者。貴族、金持ち、あるいは強き戦士が、そこらの娼婦や侍女を孕ませ、扱いに困って捨てさせた。片親は貧相な魔力なれど、残った一人は紛れも無い上層である。子に強い力が宿ってもなんら不思議は無い。

 

 どうせ後者なのだろうと、レティシャは思っている。あるいはそれさえ下らぬ問答か。どちらであろうと、親に捨てられたその事実は変わらないのだから。

 

 孤児院での生活が特別嫌というわけでも無かったが、やはり息苦しさはあった。周囲との大きな差が何よりの原因であろうと、今は思う。何しろ周りは大人まで含めて皆が第三市民なのだから。

 

 だからレティシャは第一市民権を得たその日に孤児院を出た。市民権のおまけとしてついてきた支度金の大半を置き土産にし、残った金で十一地区の捨てられたボロ屋敷を買ったのだ。

 

 中から外まで一通りを改装し、フラムス細工店をどうにか開いた。フラムスとは市民権と同時に得たレティシャの姓だが、同時に孤児院との一文字違いでもある。結局自分はあそこの子なのだと、決して忘れないようにと。

 

 商売の要となる細かな手作業は、子供のころから好きだった。少なくとも木彫りの出来に限るならば、魔力の差はそれほど大きな意味を持たないからだ。

 売れる付加価値をつけるために結局は魔力に頼ってしまったが、それ以外の生き方が思いつかなかった。とはいえほぼ税金分しか稼げていないのだから、胸を張れるようなものでは無いのだけれど。

 

 強く望めば――そして借金にでも頼れば――それこそ第一地区に店を持つことだって可能だったろう。向こうは無駄に広く土地余りで、常に新規を探しているという話である。何しろ第一市民権持ちというのは、それだけ珍しいのだから。

 

 それでもレティシャが十一地区を選んだのは、極めて単純な理由であった。孤児院時代に出歩いたことのある場所が、そこまでだったからなのだ。細工品を稼ぎにしようと考えたのも同様、子供のころから経験があったからに過ぎない。

 

 つまりは、枠である。

 己の分、己の限界。消極過ぎると言われようとも、それが己の性根なのだと、レティシャは常に考えている。それを守れば相応の幸せが、破れば手痛い不幸が来ると。

 だから、


「くそ、どこに……!」


 こうして行方不明の子供を探して街中を駆けずり回るのは、己の分を超えているのではないかと不安にもなる。

 王都は広大だ。走り回って探せる部分など高が知れているのだが、他に取れる手段も思いつかない。貧しい第三市民の子供一人、行方不明だと届けたところで官憲は碌に動いてはくれないだろう。

 

 既に心当たりは調べ終えて、可能な限りの話も聞いた。それでも収穫は無しである。

 次はどうするか。第二市民の済む区画まで探す範囲を広げるべきか、あるいは――。

 十字路の真ん中で次なる手を必死に考えていると、


「レティシャさんっ!」


 声と共に駆け寄ってくる少女は、当然クヴィラである。時刻は既に夜、彼女には出来る限り安全な場所を駆け回ってはもらったのだが――その表情を見る限り、成果は無かったようだ。


「見つからない?」


 少女は頷く。力強く二度。それは胸中をこれ以上ないほどに表しているように見えた。


「……分かった。じゃあ後はあたしに任せて、クヴィラちゃんは帰りな」

「えっ……で、でもそれじゃあ!」

「良いから。ちょっと手を広げて危ないところも見てみるつもりだから、一緒に来られると困るんだよ。守ってあげる余裕も無いの。ね?」


 クヴィラは俯き、唇を噛んで――やがて頷いた。今度は小さく弱々しく、ではあったけれど。


「よし。じゃあ絶対見つけてくるからね」

「お願い、します」


 言葉を交わして、そのまま別れた。素直に帰ってくれるように祈りながら。


「さて」


 ふぅ、と息を吐いてからレティシャは目的地に向かって駆けた。

 場所は第十地区と十一地区の境目。広い王都の隅も隅、ごろつき通りなどと呼ばれる路地である。

 暗い路地に立ち並ぶのは賭場と酒場と娼館ばかり。どれもこれも、錬団や盗賊まがいの連中が根城にしている建物だ。

 

 半裸で客引きをする娼婦に、酒瓶片手の剣呑な男。剣をぶら下げらたままの男女が一組、二組。人影はまばらながらも、熱気という意味では中々のものであろう。

 レティシャにしてもこの場所を訪れる機会などそうは無い。昔に迷い込んでしまったのが一度、商品を届けに来たのが二度といったくらいである。


「ここ、か」


 路地の片隅で足を止めて、レティシャはその建物をじっと見上げた。ぼろくも無く、立派でも無く。つまりはごく普通の酒場である。拠点としている錬団の名は連なる新樹。主な稼ぎは賭場の管理と――盗品の売買。つまりは昼間少々揉めた相手であった。

 

 扉に近づけば、喧噪が漏れてくる。それなりの人数がいるようだ。

 ――ほら、何をびびってんのさ

 喧嘩をしにきたのではないのだ。あくまで情報、話し合いが目的である。仮にもこちらは第一市民だ。相応の態度で持って臨めば、いきなり剣を抜かれるようなことは無い、はずだ。

 

 レティシャは大きく唾をのんで、震える背筋を強引に正した。

 扉を開ける。中に入る。そして喧噪がぴたっと収まる。

 入ってきた奇妙な客に、店の中にある全ての視線が集中する。

 

 ――八、九、十……十二人か

 何かあれば逃げるのも困難な人数である。けれど恐れていては何も出来ない。レオルドを助けることだって。


「こ……こんばんわ」


 情けなくも震えた声に、けれど相手は笑うことも無く。


「ん? て、てめえ昼間の!」


 最初に声を上げた男には見覚えがあった。レティシャ自身が本日張り倒したその相手だからだ。


「ああ、あの時はどーも」

「ふざけてんのか! だいたい……何しにきやがったんだ。酒でも飲みてえのか?」

「いやその、ね……ええと」


 落ち着け、と思う。同時に引くなとも。


「昼間さ、あたしの隣に子供が居たでしょ。男の子。その子の姿がさっきから見つからなくて。それで……」

「で、なんだよ。まさか俺たちが攫ったとでも言いたいのか?」


 返答に、迷う。とはいえ時間に余裕も無いのだ。


「違うの?」

「馬鹿言え。誰が好き好んでガキ攫いなんぞやるかってんだ。あんまり舐めた因縁つけてんじゃねえぞ」

「そう……じゃあ、何か心当たりは無い? なんでもいいんだ、頼むよ」


 発言の裏は取れないのだが、とりあえずは信じるしかない。しかしそれは同時にアテが外れたに等しい。

 男は鼻を小さく鳴らして、


「犯人扱いしておいて、情報をよこせだ? そんな口を叩くからには、相応の見返り用意してるんだよなぁ」

「それ、は」


 懐にある金など高が知れており、これといった財産も無い。他に何があるのかといえば――あまり考えたくはない。

 言い淀み、顔色を窺い、口を開きかけたその瞬間、横から声が飛んできた。


「お嬢ちゃん」


 足音もさせずに前に出てきたのは随分と背丈の小さな男だった。外見だけならば見習いのごとき姿ではあるが、纏う雰囲気、周囲の反応、何よりもにじみ出る魔力の質からそれなりの相手であることは推測できた。

 男は低く、


「子供が一人攫われた、ということで良いのかな? 心当たりは既に探して、最後にここにやってきたと」

「……はい」

 

 威圧されたわけでも無いのに、口が乾き腹のあたりが締め付けられる。

 男は小さく唸ってから、続けた。


「倉庫通りの場所は分かるかい」

「第九地区の北東……ですよね?」

「そうだ。最近そのあたりにガラの悪そうな余所者を何人か見かける、という話を聞いてね。人攫いなんぞやらかすのは決まって外から来たものだ。そうだろう?」

「その、信用して良いんでしょうか」

「これはおかしなことを言う。もう他に可能性が無いからたった一人でこんな場所まで来たのでは? ならば悩む余地などあるとは思えんがね」

「それは……いえ、ありがとうございました」

「いいとも。それより急いだほうが良い」


 頭を下げて、背を向ける。何も要求されず、引き留める声さえ無い。もっともそんなことを気にする暇があるならば、倉庫通りに急ぐべきなのは確かだ。

 店を出て扉を閉めた、その直後。


「おい、連絡しておけ」


 店の中から、確かにそんな言葉が聞こえた。

 誰に、何を。確かめるには何もかも足りない。

 だからレティシャは真っ直ぐに第九地区へと駆けた。

 

 ――今日は良く走るなぁ

 急いで急いで、それでも最低限の体力を残しながら。

 普段から大して出歩くほうでは無いのだ。今日一日の移動量だけで一月分に相当するのではと思う。

 

 たまにすれ違う人に気を付けて、固い路面を進み進んで――突然、足が止まった。弱々しい魔力光に包まれた路地は、奇妙なほどに静かである。

 ――余所者?

 出来る限り考えずにここまで来た。けれどそれも限界である。

 

 相手が街の無法者なら交渉もできた。自分への嫌がらせというならいくつかの道もあったろう。しかし外部から来た人攫いとなれば、すべての前提が変わってくる。

 ――走って、見つけて、そのあとは?

 ごくり、とレティシャは唾を飲んだ。握りしめた手にはじっとりと汗が浮かんでいる。

 

 戦いは、嫌いだ。

 殴るのも、殴られるのも。ましてや殺し合いなんて。

 

 血の気の多い貧民街で暮らす身だ。その手のもめ事なんてそれなり以上に経験はしている。その中にあってもレティシャは武器も使わず、せいぜい平手で叩くに抑え、なにより魔力の脅しで話をつけるようにしているのだ。それが一番血が流れずに済むのだから。

 けれど、この先は。

 

 ――くそっ

 レティシャは再び駆け出した。考えてしまえば動けなくなる。怖いと思えば引き返してしまう。そしてきっと後悔する。下手すれば死ぬその時まで。

 

 ついにはわずかな人影も消えて、無数の建物が立ち並ぶ狭い路地にたどり着いた。つまりはここが目的の倉庫通りである。幸いにして数度は来たこともある。

 

 足音と息を可能な限り殺して、レティシャは路地を静かに進んだ。あたりに精一杯の神経を張り巡らせて、針の落ちる音さえ拾うつもりで。

 魔術で探れば一瞬で分かるのだが、それでは居るかもしれない人攫いにまで、自分の存在を知らせてしまう。あくまで最後の手段であろう。

 

 聞き耳を立てながら、歩く。歩き、歩いて、

 ――声?

 掠れて、消えそうで、けれどそれは確かな子供の泣き声だ。鼻をすすりながら漏らす嗚咽だ。

 

 発生源を必死に探れば、丁度脇の建物のようだ。

 正面の巨大な木の扉はしっかりと閉じられており、一周した限り裏口は一つ。窓もあるが場所が高く、侵入には苦労しそうだ。

 扉に近づき、耳を当てる。押し殺したような子供の泣き声が、確かに聞こえる。

 

 ――……行くか

 息を整え、腹に力を入れて、恐怖も何もかも押しつぶし。

 扉を蹴破るために魔力を整えようとした、まさにその瞬間。

 レティシャの背後でどす黒い殺気の篭った魔力が膨れ上がった。

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