魔技師レティシャの優雅なる一日
魔技師レティシャの朝は早い。
窓からは木漏れ日が仄かに降り注ぎ、小鳥の囀りが一日の始まりを静かに告げる。手製の目覚まし装置は不思議と動作していないらしく、部屋は至って静かであり――
どんどんどん。何かが木の扉を叩く音。まどろみの中でやけに大きく頭に響く。
「レティシャのねーちゃーん、いつ店開けるんだよー。昼になっちゃうぞー」
声の出所は窓の外。あるいは家兼店の外か。
ぼやけた頭で誰か探り、言葉の意味をもぐもぐと飲み込み、
――あー……
そうしてレティシャはようやくベッドからはい出した。
ずりずりと窓際まで進んで、見下ろした先にはやはり知った顔がある。近所の子供で、名前はレオルド。歳はまだ十だったか。おそらく商品を受け取りに来たのだろう。
窓を開けようと手をかける――が、見事に引っかかった。力を込めて強引に開けると、ベキっと威勢の良い音と共に半分に折れる。
ため息をつく。寝起きからこれとは頭に来る。とはいえ子供に当たっても仕方がない。
だから普通に声をかけるのだ。
「ちょっと待って。すぐ店開けるから」
「早くねー」
窓の残骸を部屋の隅に放り投げた。既に散らかり切った自室である。今更一つゴミが増えたところでどうにもなるまい。
散々に放り出された部品の隙間を縫うように歩いて、洗面台へ。適当に顔を洗い投げやりに歯を磨きつつ仕事着に着替える。といっても単に地味なシャツとズボンというだけである。
階段を下りて扉を開ければ、縄張りも同然の己の店にたどり着く。作業場が寝室と同化してしまっている分、こちらはそれなりに綺麗なのだ。木造りの床をコツコツ歩き、店の戸をバンっと開ければ、
「おそーい」
小生意気なクソガキの出迎えである。
「しゃーないっしょ。女の身支度は時間がかかんのよ」
「……それは良いけどさ」
レオルドはすっとこちらの頭を指さすと、
「頭ぼっさぼさだよ。せっかく美人なんだからもう少し気にしようよ」
レティシャはぼりぼりと頭をかいて、顔を横に向けた。視線の先には等身大の大きな鏡が立てかけてある。
腰まで伸びた橙色の髪はところどころがびょんっと跳ねて、頭頂部に至っては嵐直後の畑のようだ。中々に芸術的な寝ぐせである。
懐から取り出したヒモで後ろ髪だけを強引にまとめて――よし、とレティシアは頷いた。
「これでいいや」
「……ねーちゃんがそれで良いなら良いけどさ。ところでおれが頼んでたの、出来てる?」
レティシャは頷き、背を向け、後ろ手でちょいちょいと手招きをした。
店の中に入れば、当然レオルドもついてくる。カウンターの中に入って、そっと置かれた木箱を手に取る。大きさは両手で抱えて丁度良いくらいである。
そっとカウンターに置いて、少しわざとらしく手を開く。
「さ、どうぞお客様」
「あっ……あけても、いいの?」
「もちろん」
少々遠慮がちに、あるいは僅かに恐れるように。このあたりはやはり子供である。
蓋は単に被せていただけなので、簡単に取れた。レオルドはそっと中へと手を入れると、目的のものを掴み、持ち上げる。
「うわぁ……」
目を輝かせて、手に持った目的の品――すなわちフラムス細工店特製、木鉄混合魔動人形を掲げ上げた。
大層な名前ではあるが、その実態は単なるおもちゃ。ようは見栄とハッタリである。
胴体に四肢と頭部がついた一応のひと型ではあるが、手足は大きく全体的につるつるで丸っこい。安全性と可愛さとたくましさを兼ね備えた一品に仕上がったと確信している。
「すごい」
単純な言葉。素直な感想。けれどもそんな一言が、製作者の苦労を癒してくれるというものだ。
「さて、かしてみなー」
レティシャは人形と優しく受け取ると、テーブルにまっすぐ立たせた。人差し指で背筋をなぞる。魔力を流しつつ二本の脚をするすると。
「よし」
言葉に応えたかのように――ただしそんな機能は無く、単に偶然なのだけど――人形は一歩一歩とテーブルの上を歩き出した。ぎこちなく、けれども転ばず確かな足取りである。
「う、わ、うわっ!」
レオルドが喜ぶ。顔に満面の笑みと、たくさんの驚きを浮かべながら。
人形はそのまま十歩進み、ゆっくりと振り返って――止まった。
「どーよ」
「すごい! すごい、すごい!」
歳にふさわしくはしゃぎまわるレオルドは、再び恐る恐るといった様子で人形を手に取った。
「今のどうやるの?」
「おしえてあげる。でも、今くらい動かすのは難しいぞー?」
「そ、そうなの……?」
「大丈夫、ちゃんとがんばれば出来るようになるから」
ぐしぐしと頭を撫でて、レティシャは手順を一つ一つ説明していく。
子供の遊びのようでいて、魔力の細かな操作を学べる。中々によくできていると思うのだ。何個か作って、どこぞの子煩悩な金持ちに高値で売りつけてやるのも良い。
やり方を教えて、試させて。
動かず、動かず、それでも動かず。レオルドが涙目になり、それでもあきらめずもう一回で――ついに、人形が一歩を踏み出した。
たった一つの動作で終わってしまったが、それでも大したものである。第三市民の子供だと思えば十分すぎるほどの結果か。
「やった、やったよねえちゃん!」
「うんうん、よかったよかった」
こちらまで嬉しくなってくる笑顔の子供を、ふたたびガシガシと撫でて、
「さて、お客様。それでは代金のほうですが」
「あ、うん。ちょっとまってね」
レオルドはズボンの後ろポケットから、一枚の硬貨を取り出した。彼はそれをこっちに渡そうとして――顔が曇る。
「あの、さ」
「うん?」
「本当にこれだけで、いいの? だって……この人形凄いよ。こんなの他じゃ見たことないもん。他で売ったら、きっとすごく高くなるよ」
「……まーたこいつは、子供らしくもない」
ぺんぺんと頭を叩く。レオルドはしかし動じず、どこか申し訳なさそうだ。
「いいかい、レオルドくん。きみはそのお金を得るのにどれくらいかかったんだい?」
「えと……おかあさんの手伝いとか、近所のみんなの手伝いとかで……一か月くらい」
「うん。で、あたしはこいつを作るのに一週間かかった。それなりに苦労したけれど、良くできたと自分でも思うよ」
人形を手に取り、そっと差し出す。
「あたしの一週間と、きみの一か月をこいつで交換する。つまりあたしはすごく得してる。どう?」
「それは、ええ、と……」
「じゃあいらない?」
「いる! ほしい! けど」
押し付けるように人形をレオルドの手に渡して、やや強引に硬貨と引き換える。
「だったらもらっておきなって。あたしもお金もらって一仕事終えた。みんなしあわせ。良い?」
「……うん! ありがとうレティシャのねーちゃん!」
やっと子供らしく笑った。それで良い、とレティシャは思う。
人形を木箱に戻して、丁寧に布でくるんでレオルドに渡す。子供には少々大きな箱だが、重くは無いので平気だろう。
見送りも兼ねて一緒に店の前まで向かう。外に出たが、時間が半端だからかあまり人通りは無い。とはいえ元から大して賑わっているとは言えないのだが。
「じゃあ帰る。ありがとうねーちゃん、ぜったい大事にするから」
「それも良いけど、ちゃんと遊びなよ。壊れたら持ってくれば修理してやるから、細かいこと気にせず力いっぱいね」
「はーい!」
レオルドは駆け出そうとして――その場で足が止まった。
「あれって」
視線は通りの向こう、裏路地への脇道へとまっすぐに。
――ん?
レティシャも気になって目で追ってみれば、小さな人影が飛び出してくるところだった。
やはり子供。けれどレオルドよりは二つ三つ上に見える。
見える、というよりは知っている顔である。
クヴィラという名の第三市民の少女で、レオルドの姉貴分みたいなものだ。その子は駆けて、駆けて、息も絶え絶えに店の前までやってきた。
声をかける。
「どしたのクヴィラちゃん、そんな急いで」
「はぁっはぁっ……レティシャ、さん、これは……えっと……」
歯切れのよくない返事。答え合わせでもするかのように、脇道からやってくる人影数名。
今度は全員が大人。それもやたらと人相の悪いごろつきといった様子である。
「いたな、ガキめ」
声音は殺気立っている、とまでは言わないが穏便には程遠い。
レティシャは縋るように傍に来ていたクヴィラに、尋ねてみる。
「これはどゆこと?」
「それは、その……」
割り込むように、ごろつきの一人が言った。
「そこのガキが、屋台の金取って逃げやがったんだ。良いからこっちに渡しな。手癖の悪い奴を庇ったところで良いことはねえぞ、女」
「よっ……よく言うよ! あんたらの屋台の品、全部盗品じゃないか!」
文字通り言い返すように、クヴィラが叫んだ。恐怖からか声は震えている。
――なるほど、ね
事態を把握するのに十分すぎるほどの情報は出そろった。となればやることは単純である。
レティシャは手をゆっくりと振り上げ――ごん、とクヴィラの頭にゲンコツをたたき込んだ。もちろん手加減はしてある。
「いっ……!? レティシャさん何を……!?」
ぐいっと顔を寄せて、クヴィラを正面から見る。じっと。
「盗みはダメだよ、クヴィラちゃん。たとえ相手がごろつきだろうと殺人鬼だろうと。悪いことは悪いことさ。分かる?」
クヴィラは驚いたように目を見開いて、口を結んで小さく震える。泣きそうである。とはいえまだ必要なことは終わっていない。
レティシャは手を開いて、クヴィラの前へ。
「盗んだ金、出しな」
「……はい」
出てきたのはわずか数枚の下層硬貨。余りに慎ましい金額である。奴らが追いかけてきているのは面子のほうが大きそうだ。
レティシャは手にした硬貨を、ごろつきたちへと投げ放った。硬貨はゆっくりと宙を飛んで、一人の手元にふわりと届く。
「金は返したし、お仕置きもした。これで勘弁してやってよ。何しろ見てわかるように、相手は子供だ」
「あぁ? ふざけんなよ、女。そんな程度で済ますわけにはいかねえんだ」
ずんずん、と一人来る。クヴィラは目に見えて体を縮こませる。
――ったく
ごろつきの手が伸びて、クヴィラへと届く、その寸前。レティシャは割り込むように一歩踏み出しつつ、平手で男の顔を打った。
ぱん、という威勢の良い音。そして吹っ飛んでいく体。ごろごろごろ、と路面を転がり、仰向けに倒れて動かない。どうやら気絶してしまったらしい。
レティシャは言う。脅しも兼ねて魔力を見せつけながら。
「あたしこれでも第一なんだわ。勘弁してくれないっていうなら、その辺踏まえてよろしくね」
「…………ちっ」
舌打ち一つ、それでごろつき達は背中を向けた。どう見ても第三か、良くて第二といったところだ。得物も無い。喧嘩の勝敗がどうなるかは、あまりに明らかなのだから。
レティシャはため息を一つついて、クヴィラの頭に手を乗せた。今度は優しく、撫でるように。
「まったく、無茶をする……なんでこんなことしたんだい?」
クヴィラは答えず、かわりに目が泳ぐ。その中でもちらちらと、レオルドの木箱を見ていることが分かった。
「……これの代金を稼いであげようとか思ったの?」
クヴィラは――ゆっくり頷いた。眼尻には涙が浮かんでいる。
――はぁ
言葉を考え、ゆっくりと。
「いいかい、クヴィラちゃん。悪いことは悪い、それはもう良いよ。さっき言ったからね。あたしがもう一つ言いたいのは、自分の枠で解決できそうもないことはするなってこと。たとえそれが何であってもね」
「……はい」
「無茶はダメだよ。やったあなたも、助ける周りも、誰も彼も不幸にする。分相応ってのは本当に大事なことなんだ。分かるかな?」
頷く。顔つきからすれば本当に反省しているように見えた。
「うん、じゃあもういいさ。あの人形よくできてるから、クヴィラちゃんも一緒に遊びな。いいよな、ロナルドくん」
彼も頷く。それはもう、待っていたかのように。
「で、気に入ったらまたあたしのところにおいで。そしたら今度はクヴィラちゃんが望む何かを作ってあげるから。一か月分のお手伝い料か何かでね」
やっと顔がほころんだ。少女を撫でる。くしくしと。少年も撫でる。ぐしぐしと。
「じゃ、またねー」
去る二人に手を振った。念のため、ごろつきが諦めたのかを確かめるよう僅かに後をつけて、安全確認して店に戻って。
「……何か食うか」
そういえば起きてから何も食べていないと、今更ながらに思い出した。
レティシャの長い一日は、まだ始まったばかりである。




