腹は空いたそばから満たす
「とりあえず……夕食にしましょうか」
直前までの流れを全て無視して、地下室の中央で唐突に、アンジェがはっきり宣言した。
その堂々たる姿はまるで自分の屋敷にいるかの如くだ。とはいえ事実として凄まじく偉いひとなので、特に何がおかしいという話にはならないのだけれど。
「そうね……どうせだからルナの行きつけのお店に行ってみようかしら。愛しいあの娘の普段を知る。とても素敵なことだとは思いませんか?」
「……いや、良いけどね」
悩まず、臆せず、躊躇せず。
アンジェは返事を聞くと即座に歩き出した。慌てて追うディア、呆れてついてくルナリアと、他三人。
まばらな団員になど目もくれず、外に出ても迷いもせずにてくてくと。
日は暮れ始め、あたりを赤光が舐めている。仕事帰り、あるいは酒場に繰り出す最中か、通りにはかなりの人影があった。
目立つ。何しろ目立つ。元から顔が売れているルナリア、エリスは当然として、一目で只者ではないと分かるアンジェと、これまた容姿に関しては文句のつけようもないエレディアだ。しかも二人ともほぼ半裸ときている。これで見るなというほうが無理がある。
そんな注目の中、ルネッタは体を縮めて後を追う。視線が痛い。もはや実物の槍で刺されているような錯覚をおぼえる。
「この道で良いのね?」
「ああ。すぐ見えてくるよ」
アンジェが尋ねて、ルナリアが応える。
今更ながらに思うが、移動手段が徒歩だ。馬車を使うような距離ではないとか、用意するほうが手間だとか、もちろん理由なんて幾らでもあるのだろうけれど。
それでも王族に匹敵するほどの大貴族が、夕食のために自分の足で店まで歩く。しかも庶民と食事を一緒に取るのだ。人間の世では相当に考えづらい状況だとは思う。
――あ、ここって
ルナリアが指差し、アンジェが微笑む。たどり着いたその店は、ルネッタにもおぼえがあった。あれは確か、ルナリアと二人きりでの昼食だったと思う。
落ち着いた木造り。上品な雰囲気。王侯貴族様級とまではいかないまでも、十分すぎるほどによいおみせ。
中に入るとすぐに給仕がやってきた。彼の顔も、おぼえている。
「これはルナリア様。お待ちしておりました」
「うん、今日は部屋、空いてるかな」
給仕はなぜかそこで言い淀み、
「大変申し訳ないのですが……その……」
「満席か」
「いえ、そうではなく、ですね――」
彼は大きく深呼吸を一つ。そしてつづけた。
「ここしばらくの支払いがなされておりませんので、大変心苦しいのですが、まずはその……」
「……へ」
ルナリアはぱちくりとまばたきをした後に、顔を歪めた。
「そうか、活動停止だからこっちは最低限の維持費扱いされてないのか。まいったな……」
「なんだか拗れていますけれど、ようするに金銭のお話なのでしょう? ディア」
「はっ」
めんどくさそうなアンジェの声に、忠実な従者は即座に答えた。懐から取り出した革袋から、きらきら輝く硬貨を五枚。それを給仕にさっと手渡す。
「これ、は……ライリアス宝硬貨? なぜこんなものを……いえそれよりも、これほどの金額を頂くわけにはまいりません」
「いいのよ、今日の分も合わせて、なのですから。後は見合った料理を出していただけるかしら」
「は、はい。それはもう」
やや強引だが話はまとまり、そのまま部屋へと案内された。以前ルナリアと一緒に来たのと同じ場所。上品で豪奢な上客用の個室。
個室といってもテーブルは最初から相当に大きく、今日は椅子も無数にあった。
皆が思い思いの席に座り――アンジェが言う。
「品は任せますわ」
「はいっ、お待ちくださいませ」
大げさなまでに頭を下げて、給仕は急ぎ足で出て行った。
蒼髪の彼女は、部屋を見渡し静かに一言。
「良い店ではありませんか」
「まーね。おかげでおいしく腹を満たさせてもらってるよ」
ルナリアは応えて、僅かに背筋を崩した。
少々待っただけで、すぐに料理が運ばれてきた。これはあくまで予想なのだけれど――他の客よりも優先して作ったのではないかと思う。
瑞々しい野菜、油で揚げたと思しき鶏肉。香ばしく焼かれたパンと、魚の切り身が浮いた鮮やかなスープ。そして何より、どかんと置かれた巨大な牛肉。やはりというか、基本は肉食だ。
今回はあり合わせを全てたたき込んで作るという巨大なスープ一品ではなく、目移りするほどに多数の品が並んでいる。金貨の力か、容姿と雰囲気か。いずれにしてもアンジェの影響であることは間違いないだろう、と思う。
「では」
アンジェがナイフとフォークを手にすると、皆が一斉にそれにならった。散々に見てきたことではあるけれど、祈りや挨拶の類は、やはり無い。
彼女は躊躇なく牛肉へナイフを奔らせ、かなり大きめにスパっと切って、そのまま口へ。あむあむごくん。顔は変わらず妖精のそれだが、やはり食べ方は豪快だ。
「あらおいしい」
「だろー。といっても、今回のは明らかに普段と違うけど。いつもより肉の質が二回りは上だな……」
呆れたようにそう言って、ルナリアも続きを食べる。こちらも力強くガツガツと。
――多い、なぁ
もちろん味はおいしい。それこそ口に含んだだけで頬が緩むほどだ。肉だってとても柔らかいし、なのに少しも油がきつくなくて。
しかしおいしければ無限に入る、なんてことは当然ありえない。ルネッタの胃袋からすれば一品でさえほどほどに満足、二品でしばらく動けない。全部食べれば――たぶん途中で吐く。
「無理はしなくて良いぞ」
ルナリアの声。誘われたように横を向くと、彼女はわずかに苦笑して、
「たぶん、同じ量があと四回は来るから」
「よっ……えっ……これ全部が、ですか?」
「うん」
驚きを通り越して感心する。随分慣れたと思ったが、やはりまだまだのようだ。
「好きなのだけつまめば良い。残りは誰かが勝手に食うさ」
少し考えたけれど――ここは素直に言葉に甘えようと思う。
皆が思い思いに肉を齧り、ルネッタも適度に美食に甘え。そんな時間が過ぎる中で、ふと気になるものがあった。
それはテーブルの向こうに居るエリスと、その隣のエレディアだ。エリスのほうは相変わらず恐ろしい勢いで食事を堪能している様子だが、なぜかエレディアはあまり食べていないように見える。
彼女はそっとフォークを置いて――隣のエリスに声をかけた。
「あの……これ、どうかしら。とてもおいしいわ」
皿をそっと、エリスのほうに。どうやらこれが一回目では無いようで、エリスの前には既にそうやって『捧げられた』と思しきものが、数枚。
エリスは、ぱちくりとまばたきをして、
「……食欲が無いのですか?」
「ち、違うわ。そうじゃないの、そうじゃなくて……その、あなたは沢山食べる必要があるかも、と思って……それで」
エリスが、ふぅ、とため息をつく。その動作を見ただけでエレディアの顔が曇り、体は怯えたようにわずかに縮む。
安心させるためか、エリスは驚くほど柔らかく微笑んだ。
「あなたもきちんと食べてください。そうしないとさすがに私だって気後れしますし……なにより、一緒に食べたほうがもっとおいしいですよ。ね?」
まるで子供をあやすかのような言葉は、優しさからか本心からか。
エレディアは、ぼう、とエリスを見つめて――ふ、と顔を逸らした。
赤い。赤い。それはもう、スープに浮かんだ茹でた野菜の如くだ。
そのまま俯き、何やらもじもじと体を動かして、ぽつりと。
「そんなこと言ってもらえたの、はじめて、だわ……」
彼女は再び顔を上げて、今度は体ごとエリスへと向き直る。ずいっと前に出て、エリスの肘あたりにそっと両手を乗せて、
「あの、あの、ね……私と、その……お友達に、なってもらえる? あなたとは、その、いろいろあったから、こんなことをお願いするなんて非常識かもしれないけど……でも、でもね」
「良いですよ」
少しだけ被せるように、けれど顔はとても穏やかに。
エレディアは――もう眼尻に涙さえ浮かんでいる。
「ほ、ほんとう? ほんとうね? 後で嘘だったとか言わない?」
「いやいや、さすがにそんな真似しませんて。過去は過去、今は今、友達は友達。それで良いですか?」
「ええ、ええ。今度、今度ね、セルタに遊びに来てほしいの。今わたし、一つ一つ勉強しているのよ。絶対に前のようにはならないわ。だから、だからね――」
顔をきらきらと、まさに少女のように輝かせて。そこには欠片の邪気も感じないわけで。
ルナリアが、呟いた。
「なぁルネッタ」
「はい」
「あれは、誰だ?」
「……わかりません」
空しい問答に応えたのは、アンジェだ。
「あら、素直でよろしいではありませんか。たとえ元が多少の悪童であろうと、それも幼心故となれば楽なもの。仕込みがいがありますわ」
「いや、うん、あえて私は何も言わないけど」
ルナリアがわずかに首をひねった。
「ところでアンジェ、この後はどうするんだ?」
「わたくしもセルタに。まだまだやることは山積みですから」
「……しかし、あんたが直々に来るとはね」
「これはおかしなことを言いますわね」
とてもとても、本当に凶悪な顔でアンジェは笑った。
「街一つ丸ごと手に入る機会ですのよ。わたくしが来て当然の事態では無いかしら」
さすがのルナリアも両手で顔を覆い、深く深く俯いて、
「正直だな」
「あなただからよ。まさか他で言うわけもありませんわ、こんなこと」
「そりゃそうでしょうよ」
こほん、と一つ咳払い。
「もう一つ。さっき言ってた、そのうちわかるというのは?」
「そのうち……では不満なのよね。では少しだけ。最近中央に盗賊が出ますの。かなりの範囲で、けれどまばらに。流れを追っていくと段々と東に移っているようですわ。もうすぐ王側での被害も出始めることでしょう」
「……それが私にどう関係してくるんだ?」
アンジェはそれには答えずに、
「ただし盗賊というのは便宜上のこと。より正確に言うのであれば――ひとさらい。ねらい目は子供。しかも大した魔力も持たない第三市民」
ぴくり、とルナリアの耳が動いた。
「でもねルナ、これは違いますわ。以前あなたが絡んだものとは別口……だというのに、おそらく終着は同じ。さすがに今度のは規模が大きすぎますわ。たとえ同じ卓を囲むもの同士といえども、見過ごす限度を超えました」
「もう一度聞くが、それが私にどう関係してくると」
「うふふ、単純。あまりに単純よ。あなたの騎士団を戻すにはわたくしとさらにもう一人は欲しい。そのもう一人は力を貸す代わりに働いてほしい。遠くないうちに、正式に届きますわ」
アンジェは肉を食いちぎる。わざとらしく、乱暴に。
「様々な事象は枝分かれして、けれど一つに帰ってくるもの。これはこれで、大きな道の一つ。今はそれで納得してくれますか?」
「……わかった」
ルナリアの声は重く、低かった。
店を出ると、その場でアンジェ達とは別れることになった。
振り返りもせず、蒼い髪をなびかせて去っていく妖精と、何度も何度も振り返り、もはや涙を我慢しながら歩く領主。
見ごたえのある光景だとは、思う。お尻揺れてるし。
「いやー食べた食べた。食べましたよ」
エリスがぽんぽん、と自分のおなかをたたいている。なぜか全然膨らんではいないけれど。
「しっかし、ほんとに第一印象だけで判断できんものだな」
「あー……まぁなんというか、子供なだけなのかなーとか、前に思ったりはしたんですけどね」
特に細かな説明は無くても、何の話かなんてすぐに分かる。
もちろんわかってはいる。特に誰かへの悪意も無いし、そして邪な何かも無い。いたって純粋なのだろう。
でも、と思う。だからルネッタはのそのそ動いて、エリスの背後へ。
にゅっと手を回して、お腹の前で交差させる。顔を首元に、体は出来る限り密着して。ここが往来であることも、この際考えないようにして。
「お、おお? どうしたんですルネッタ」
「……きょうはいっしょにねます」
「あれでも、今度は確か団長の日で」
「ねます」
もちろんわかってはいる。これはつまらない、そして醜い感情の一つ。きっと自分だけが深刻に考えているだけのもの。
だけど、と思う。生まれたこのもやもやは、こうでもしないと消えないから。
「ま、良いけど」
ルナリアの諦めたような、でも優しい声。それに甘える。エリスにも甘える。
そういえば、と思う。こういうのも、生まれて初めての体験なのだと。




