横槍程度に怯むことなく
錬団同士の血で血を洗う縄張り争いから、暴力に満ち溢れた剣闘の数々。
その一通りを語り終えると、ガドルは木製のコップを一気に傾けた。中身は恐らく酒だ。仕事中の店員だというのにお構いなし――なんてことは、そもそもこんな話をルネッタに聞かせてくれている時点で今更すぎるだろうか。
「ふぅ……これでもまだまだ片鱗よ。あの姉さんの刃傷沙汰なら、マジで一晩じゃ終わらないくらいはあるぞ」
「な……なるほど……」
返事に困った。
昔話に出てくるエリスは、それはもう凄まじい。向かう先々でもめ事が起きるし、ぶつかるたびに死人が出てるし、剣闘のほうでは狂った獣扱いだし。
――でも、なぁ
想像できない、とは言わない。彼女の戦う姿も暴れる様子もこの目で溢れるほど見ているのだ。敵に回せばどれほど恐ろしいか、考えるまでも無い。
「なんだ、疑うか?」
「いえそんなことは……ない、です」
だけど、と思う。
それと同じかそれ以上に、優しいところや可愛いところに触れているのだ。一から十まで血に飢えた狂犬扱いされると、異論の一つも浮かんでくるというものだ。
言わないけれど。実際にこのひとは散々苦労させられてる立場なのは確かなようだし。
「あの……」
ルネッタと同じように、黙って話を聞いていたティニアが小さな声を出した。
「そろそろ、もどらないと、いけません」
「あ、ごめんね付き合わせちゃって」
ふるふる、と首を横に振る。
「おかしのおかね、はらいます」
「いいよ、そんなの。せっかくだからわたしに払わせてほしいな。ね?」
にこにこ笑顔で、けれどしっかりと押し切るように。
ティニアは迷ったようだけれど――こくん、と小さく頷いてくれた。
懐から硬貨を取り出して、ガドルに渡して頭を下げる。
「お話ありがとうございました。お菓子とお茶もとてもおいしかったです」
「ああ……くれぐれもよろしくな。くれぐれも」
「……はい」
店を出る。
さすがに時間がぎりぎりなのか、ティニアは急いで頭を下げるとそのまま小走りで通りの向こうへ消えてしまった。
少し、寂しい。
――わたしも帰ろう
お菓子の甘さ、お茶の爽やかさ、そして昔話の凄まじさをかみしめながら、ルネッタは一人帰路についた。
「戻りました」
「おかえりなさーい」
出迎えてくれたエリスの声はとても弾んでいた。
相も変わらず執務室のソファーにだらりと腰かけつつも、表情だけは上機嫌。おそらく原因は手元の鉄塊か。
エリスはそれをぴっとこちらに掲げて、
「どーーですか、これ」
「ど……どう、とは」
「かわいくできたとおもいません?」
自信に満ち溢れている。お手製の泥人形を自慢する子供のようにさえ見える。
まるで未開の呪物に使うがごとく、不揃いな腕がたくさん生えた蛇。あえて一言で表すならばそんな感じ。短時間でこれほどのものを、挙句小刀で鉄を削ぐ技を、けれど仕上がったのはこの禍々しさ。
どう評価しろというのだろうか。
「か、かわいい、とおもいま、す」
「そうでしょうそうでしょう」
ぬふーと満足気。表情に限ればとてもかわいい。あえて手元は見ないようにしようと思う。
彼女はわずかに小首をかしげて、
「ところでルネッタ」
「はい?」
「おみやげはどこに?」
「……あっ」
忘れていた。完全無欠なまでに、頭の中から消えていたのだ。
昔話の濃厚さと、ティニアとのばたばたと急いだ別れに飲まれて、水で綺麗に流されてしまった。
「るーねったぁーーー」
「ご、ご、ごめんなさい。あの……もう一回出て何か買ってきますので」
「そーゆーのは違うんですよーもう」
彼女は鉄像をごとりとテーブルに置いて、席を立った。そのまますぐ傍までやってくると、
「ひゃっ」
ルネッタをひょいと抱えてしまった。運ばれる。運ばれる。彼女はソファーに腰かけて、ルネッタはそれに跨るように。態勢はもちろん向かい合わせだ。
「ぷんぷん」
「ぷ……ぷんぷん、ですか」
演技丸出しのエリスの顔。口を尖らせ子供のように拗ねて見せる。なんだか久しぶりに見る気がする。とてもあの昔話と同一人物とは思えない。
彼女の手がそっと伸びてきて、おなかから脇を抜けて肩を通り頬にぴたり。それぞれの人差し指をそっと立てて、
「ぷにぷに」
「ええ、と」
頬をつつかれる。両方同時に、次は交互に。くすぐったくて、こそばゆくて、けれど不思議と嫌ではなくて。
「ぷにぷにぷにぷに」
「……ご自由にどうぞ」
もはや身を任せた。パンでもこねるかのように、存分に存分に頬を揉んで――ようやく満足したのか、エリスはにまり、と笑った。どこか淫靡に。
「ねぇルネッタ。舌、出してください」
ごくり、と唾をのんだ。することは分かっている。もう数えきれないほどしている行為だとは思う。それでもこの瞬間はいつも緊張する。
エリスの顔が、ゆっくりゆっくり近づいてきて、深く深く、重なる重なる。
彼女の背中に手を回して、彼女もこちらに手を回して、二人の体がこれ以上ないくらいに近づいて、がちゃりという音が響いて。
――がちゃり?
音のしたほうを、見る。ゆっくりと。
扉は、なぜか、開いていて。
蒼い髪、白い肌。幻想的なまでに美しい、見知った顔がそこに一人。
彼女――アンジェはこちらの様子をじっくりと観察するように見渡して、
「ふむ」
腕を組み、体をわずかに扉に預けて、
「どうぞ、つづけて」
そんな、ことを、言った。
――え、ちょ、え、え?
真っ白になる。状況が飲み込めていない、のではない。きちんと理解してしまったからこそ、とんでもない現状がルネッタには受け入れきれないのだ。
ルネッタは正面に視線を戻した。もはや助けを乞うかのように見つめたエリスの顔は、リンゴのように真っ赤であり。
彼女は眉を震わせ、口元をひくつかせ、きょろきょろきょろきょろと視線を動かし――なぜかぐいっと前に来た。
唇が合わさる。もはや開き直ったかのように、エリスは怯まず止まらず。
――つ、つ、つづけたぁっ!?
快感よりも何よりも、驚きの方が遥かに強く。
そんな開き直ったエリスの暴走は、ルナリアが帰ってきて二人を引っぺがすまで続いたのだった。




