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Elvish  作者: ざっか
第四章
106/118

わたしの彼女は剣闘士 七


 試合の日が来た。


「行ってくるね」


 準備を整え、マティアに声をかけて家を出た。相変わらず彼女の瞳は不安そうである。

 日差しは既に赤々と染まり、やがて来る夜の前の一輝き。路面も壁も何もかも紅い。

 

 とりあえず、エリスは自宅の正面にある花屋まで歩いた。といっても狭い道を跨ぐだけだ。花は店先に一つも並んでおらず、今日は早めの店じまい。理由はもちろん知っている。

 とんとんとん、と扉を叩く。


「どぅーがーちゃーん、いーきまーすよー」


 一声かければ、バタバタと慌てたような足音がする。 

 扉を開いて出てきた彼からは、僅かな酒の匂いがふわりと。


「祝杯はまだじゃないのー?」

「いやそうなんですが、空いた時間の潰し方に悩みまして。何しろ男三人ですることも無く……」


 やたらと早く出てくる言い訳と、妙に落ち着かない声音。どうやらこれはそれなり以上に飲んでいるらしい。


「いーけどね、別に。それで……一応付いてくるんでしょ?」

「無論です」


 そう言って、彼は一足早く歩き出す。エリスも苦笑し後を追う。

 あの日――フィレンの頭部を蹴りつぶしたあの夜から、今日で果たして何日目だったろうか。すでに記憶はおぼろげになりつつあった。その程度と、脳がより分けてしまったのだろうか。


「あいつら、今も元気なのかな」

「流木ですか? それなりに順調のようですよ。なにしろいばらがほとんど崩壊扱いですから。何人か吸収さえしたようで」

「へえ。たくましいこと」


 適当な相槌を打って、エリスは続けた。


「あの二人、今日もやってくれるって?」

「ええ。信用はして良いと思いますよ。古い馴染みですので」


 首だけで軽く振り返ると、花屋から二人の男が出てくるところが見えた。剣で武装し、隙は無く。一目で良い戦士だとわかる。

 彼らはそのまま道を渡ると、エリスの自宅の扉の前に。そこでくるりと振り返り、門番のようにまっすぐと立つ。

 

 ようするに、彼らは一時的な護衛だ。守る対象はマティア、想定する敵は――いろいろ。何しろエリスの名前はあの一件でさらに売れてしまったのだ。行動の過激さを思えば、面白くないものも多数いるだろう。いばらの残党などはまさに第一候補である。


「……時間で落ち着くと良いんだけど」

「大丈夫ですよ。どんな物事も時の流れには勝てません」

「そう、だね」


 励ましに、素直にうなずく。

 結論から言うと、エリスは見事に無罪放免になった。

 酒場に襲撃をかけ、その手で直接三人を殺害するという大事件なのは確かだったが、いばらに非があることなど少し調べれば簡単に出てくる。

 

 向こうの行い、死者を出した順番、そしてトドメの騎士団隊長の不祥事。結局官憲はこの件を掘り下げることもなく、簡単な質問をされた程度でエリスは解放されたのだ。正当な復讐、正当な決闘、いずれも合法であると。

 しかし、


「エリス嬢、今日の試合……なんと呼ばれているか知っていますか?」

「ううん、ぜんぜん」

「懲罰試合、だそうです」


 エリスは小さく嗤った。

 法に照らし合わせて無罪になることと大量の恨みを買うことは、まったく別の問題である。

 

 碌に決まらぬ試合があっさりと決まり、日時の都合は完全に向こうの自由。どのような力が動いたのか、想像は難しくない。


「それで今日のあたしの相手は、ドゥーガちゃん知ってるの?」

「はい」


 彼は少しだけ、言い淀んだ。


「バズガック、覚えてますか?」

「とーぜん」


 通り名は新人殺しだったか。記念すべき、初めての剣闘相手なのだ。忘れられようはずもない。


「ようはアレと一緒です。ただし腕は数段上。えげつなさも……数段上です。男は刻むように徐々に殺し、女は犯し、殺し、また犯す。残虐極まる『演劇』を存分に演じ上げる大役者にして、騎士団長にさえ届くと言われる腕を持つ錬騎兵。名をシーザ・ラグ・サレク」

「ふーん、全然知らないや」


 なにしろ今回は急である。碌に調べる時間も無く、同時にその気も無かったのだ。

 エリスは――にまりと微笑んだ。


「で、聞きたいんだけどさ」

「なんでしょう」

「そんな危ないのがあたしの相手だっていうのに、なんでドゥーガちゃんは平然としてるの? 心配してくれないのかな」


 彼はわずかに肩を竦めた。


「はっきり言って、負ける気がしませんので。むしろ相手に同情しますよ。本当に今のあなたを殺したいのであれば、すべての見栄を捨てて一番上を連れてくるべきでしょう」

「あっはは」


 過剰とも言える信頼。けれどエリス自身にはそうした油断は無かった。それ以前の問題なのだから。

 

 戦いたい。只々、戦いたい。少しでも多く、少しでも強い敵と。

 一戦ごとに力が増すこの実感。凝縮した果実のごときこの甘さ。それを味わいたい。骨の髄まで味わっていたい。もはや剣闘などそのための食卓に過ぎぬと、己の根が叫んでいた。

 

 エリスは歩く。いつもの道を進んで闘技場へ。正面からは入らず地下に。

 今回の等級は一である。虐殺も凌辱も全てが許される究極の見世物。どちらかが死なねば終わらない狂乱の宴。供物のごとき立場におかれ、しかし恐怖など微塵も無い。

 

 入口から中へ入ると、ほのかな甘い香りが鼻孔をくすぐった。血生臭さを消すせめてもの努力といったところか。以前は無かったはずである。

 広い部屋にはわずか数人程度の人影があった。闘技場側の者が数名に、派手な服を着た客が数名。そして。


「あれか」


 エリスの視線の先には、一人の男がすばらしく良い姿勢で立っていた。


「わかりますか」

「そりゃあね」


 綺麗な顔である。整った身体である。男性のエルフであることは間違いないが、その容姿は美しい以外に表しようが無かった。金色の長髪から覗く瞳は宝石のようである。

 涼し気で、なおかつ表情をほとんど出さない顔つきからは、春風のような穏やかさを感じる。

 

 ――これで、か

 張り詰めた魔力。一切無い隙。実力のほどは測るまでも無い。明らかにフィレンなどより上である。ただ何より、これほど柔らかな空気を纏った男が、鬼畜で表現しきれぬほどの行為を生業としているとは、にわかには信じがたかった。

 あるいは――だからこそ割り切って仕事にしている、のかもしれないのだが。

 

 男――シーザは一瞬エリスを見たが、それだけだった。動かない。微動だにしない。その静けさから意図を図るのは不可能に思えた。

 だからこそエリスはさっさと意識を切り替え、受付へと向かった。

 

 到着を知らせると、待機場へと案内された。職員はすぐに姿を消し、残るはエリスとドゥーガのみだ。

 大きく深呼吸する。不快なはずの地下の匂いが、なぜか懐かしく感じた。


「防具は自由だそうです。そして……武器はこれを、と」


 そう言ってドゥーガが手渡してきたのは、立派な両手剣だった。


「……なにこれ、極光石入りじゃない。なんでこんな上等なものを」

「言い訳を作らせたくないのでしょう。意地を抱えて自殺するようなものでしょうが」

「ふん」


 下らぬ見栄だが、ならば存分に利用させてもらおう。手を抜いてはつまらない。真剣に力を振るわねば、あの上達の甘美さを貪れないのだから。

 慣れた皮鎧を着こんで、武器を軽く振り回した。

 悪くない。いや、すこぶる良い。


「じゃあいこっか」

「まだ時間には早いですが」

「通路で待ってればいいでしょ。ここに居ても面白くないし」

「……そうですね」


 闘技の場へと進む。ドゥーガも当然のようについてきた。

 もはやお付きの従者のようにこき使ってしまっているが、彼がそうしたいと言ってくれているのだ。ありがたいと思いつつ、甘えさせてもらう。

 お返しに最高の試合を見せてあげねば、とエリスは思う。

 

 暗がりの先に、明かり。

 そこに入れば血濡れた円形だ。

 エリスは直前まで通路を進み、壁に肩を預けた。


「さすがにまだ来てないか」

「ゆっくり待ちましょう。心を落ち着かせつつ」

「ふふ、大丈夫」


 通路から見える範囲で、観客席をぐるりと一瞥する。

 相も変わらず客は派手だ。人数自体はそう多くないが、篭った熱量はその十倍と考えても足りまい。

 

 第一市民、貴族、金持ち、上流階級。彼らは何を求めてやってきたのだろう。

 無残に敗北し、死体すら犯され、ぼろきれのようになるエリスの姿か。

 あるいは最近勝ち続けている剣闘士が、さらなる死体を積み上げる姿か。

 

 どうでもいいか、とエリスは思う。

 全ては些末だ。これから起きる至上の時間に比べれば、道端の小石にさえ劣ってしまう。

 頬が歪む。唇をかみしめる。剣の感触を確かめる。そして向こうの通路を見る。

 

 ――来た

 最初はそう思った。だんだんとはっきりしてくる人影が、それを間違いでは無いと証明するはずだった。


「なにあれ」


 足を引き摺り、全身くまなく血に染まり、あまつさえ腹からは腸すらこぼれかけていた。

 右腕は根元からなくなり、残った左腕は臓器を落とさぬように必死に自分の腹を抑える。傷が深く広すぎるのか、再生すら碌に出来ていないようだ。

 金の髪は血がしたたり、美しかった顔には、刻み込まれたような恐怖。


「ひ……ぁ……ぐ……ひ……」


 息も絶え絶えに、そして救いでも乞うかのように走ってくる男は、間違いなく、シーザだった。

 ざわめく観客。息を飲むドゥーガ。突如やってきたとびきりの異常。

 それを終らせたのは――シーザ自身の背後から、一直線に飛んできた巨大な戦斧だった。

 

 弧を描き、シーザ―の頭部、まさにその中心を立ち割り、そのまま地面に突き刺さる。

 命令機関を失った体は、力なく闘技場の床へと倒れた。あたりに血と臓物をまき散らして。

 

 声がした。不可思議で、性別さえわからぬような。その手の魔術で加工されているのがすぐわかる、声が。


「お騒がせして申し訳ない。ただ……勘違いしないでくれ。おれぁ代わってくれと頼んだだけだ。そこをそいつが問答無用で斬りかかってきたんでな、ついついしっかり反撃しちまったと、そういう話だ」


 通路の向こうから、ゆっくりと。

 見事な両手剣を肩に掲げて、声の主は現れた。

 顔は分からない。なぜなら全身全てが、漆黒の鎧に包まれているからだ。


「バカな」


 呟くように言ったのは、ドゥーガだった。


「黒衣の、戦士。なぜ、いま」

 

 エリスは思わず顔をしかめた。

 黒衣の戦士とは、特定の誰かを指すものでは無い。かといって正体不明の通り魔を指す言葉でもない。

 それは一種の制度である。


「聞く相手がいなくなっちまったんで、皆様に問おう。今回の剣闘、俺が代わりに出たいんだが、どうかね?」


 顔を出せぬもの。表向き剣闘になど出れぬもの。それはつまり大貴族の一員や、王に連なるもの。あるいは古老そのものなど、国中に名の通った大物が、どうしてもと願うときに使う『仕組み』なのだ。


「かの戦女神エリス。その再来とまで謡われる、東の偉大な剣闘士、エリス・ラグ・ファルクス。こんなおいしい女を相手取るのに、この程度の屑で良いと思うか?」


 黒鎧が問う。観客が騒めく。すでに死んだシーザなど、忘れられたかのように。


「エリス嬢」


 突如、ドゥーガに肩を掴まれた。彼の顔は、固まっていた。


「逃げましょう」

「……はぁ?」


 眉をひそめて言葉の真意を探る。左の耳には黒鎧の声が飛び込む。


「これほどの逸材はそういない。であれば極上の場と相手を用意するべきだ。シーサだか何だか知らんが、こんな雑魚には到底無理だ。こうしてわざわざ高い金をはたいて見に来ているお前らも、どうせなら良い試合が見たい。そうだろう?」


 観客のざわめきが消えた。かわりに怒号のような歓声がおこった。認めた、のだ。

 肩に食い込むドゥーガの指は、痛いほどの力が篭っている。

 エリスは尋ねた。


「あれ、誰だか分ってるの?」


 目を閉じ、重くうなずく。そして彼は言った。


「見ただけで、半分。そして口調で完全に。知っている相手です。俺も、アルセウス様も」


 黒鎧は肩に掲げた剣を下ろして、空中で一度振った。その一太刀で風が巻き起こり、あたりには砂が散らばった。


「よおし。さあ準備はできた。観客も認めた。さっさと出てきな、エリス・ラグ・ファルクス。あまり待たせるのは失礼というものだ」


 奴が誘う。エリスは一歩を踏み出しかけて、未だ放さぬドゥーガの手に止められた。

 彼は言う。もはや怯えさえ隠さぬ瞳で。父も知っていたというその相手を。


「アレはヴァラ・レム・ベリメルス。この国最高の剣士です」

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