わたしの彼女は剣闘士 六
本業が賭場だからか、店そのものは相当に広い。それこそ五十に届くいばらのすべてを押し込めるほどであろう。五分の一しかいない今では、閑散として見えるのも道理だろうか。
並が五。良が三。死体が一。そして一目で分かる上質が一。
慌てふためく酒場の中で、ただ一人。未だ椅子に腰かけたまま、静かにエリスを睨みつけるその相手は、腹を空かした狼のような男であった。細い体、決して高くは無い背丈。それこそ貧相にさえ見える体躯に、有り余る魔力が漲っている。錬騎兵。腕はそれなりか、それ以上か。こいつがフィレンで間違いあるまい。
「ふざっ……けやがってぇっ!」
最もエリスの近くに居た男が、叫びと共に飛びかかってきた。手には短刀、目には殺意。恐れず踏み込んだ心を褒めてやる優しさは、残念ながら持っていない。
真っ直ぐ突き出される刃を避けて、体は半身のまま一歩踏み出す。
魔力を流した肘の先端が、相手の心臓を綺麗にとらえた。
胸骨が砕ける。心臓が潰れる。そして壁まで飛んでいく。当然即死である。
酒場は、その一撃で静かになった。
フィレンを除いた全員が、強張った表情で動かぬ中――この場の頭目らしき男が、かすれた声で言った。
「てめえ正気か? 街中でこんな騒ぎ起こして……頭おかしいんじゃねえのか。いくら高名なる剣闘士サマだって、通らない道理ってのはあるだろう」
「あんたらがよく言う」
下らぬ寝言をほざく相手を、エリスは鼻で笑った。
「復讐は合法。決闘も合法。あんたらをブチ殺すのはエティンのおかえしで、そっちの偉そうな隊長サマとは、今から剣闘の真似事をするだけ」
意思を伝える。可能な限り分かりやすく。後ろからぞろぞろと店に入ってきた流木の連中も、異論一つ挟まない。二つの死体を見れば手遅れなのが分かるから、か。
「カハ、ハ、ハハ、ハ。てめえら、喧嘩を売る相手を間違えたみてえだな。偶然オレがいるから良いものの、そうでなきゃこの場に居る奴皆殺しじゃねえか。調子に乗りすぎるからこうなるのよ」
フィレンがのそりと立ち上がった。手には、長剣。
目は爛々と輝き、口元は深く裂けたように笑っている。これで騎士団の隊長だというのだから、笑い話以外の何物でも無い。山賊頭が天職であろうに。
「そういうあんたもこいつらのお仲間でしょ」
「いやいやまさか、な。オレはなじみの店で呑んでるだけよ。たまたまこうして寛いでいたら、突然やってきた狂人に絡まれた。だから切り殺す。分かりやすい話じゃねえか」
「ふふ、同感」
エリスは一歩踏み出す。周りが怯えて一気に離れる。魔力を纏う。強く、強く。あたりがミシリと音を立てる。
「邪魔すんじゃねーぞ、死にたくなけりゃな」
奴が剣を抜いた。壁と天井、つまりは三方からなる魔力光に照らされて、見事な刀身は美しく光り輝いている。そう、輝いているのだ。
エリスは嗤った。そして一気に床を蹴った。
「はははっ」
その声は、どちらのものだろう。
勢いそのままに殴り殺してやろうという意思を、氷のような予感が止めた。床を砕く勢いで踏み、咄嗟に横へ。
一瞬前までエリスがとっていた軌道を、静かな軌跡が通り過ぎた。
「良く避けた!」
フィレンは叫び、次を繰り出す。
見た目や気配からは想像できない、実に綺麗な剣技であった。エリスは頭を下げ、腰を捻り、下がりながら辛うじて刃を避け続ける。
途中にあるテーブルを、椅子を、カウンターですらも碌に音も立てずに切り裂いて、フィレンは剣を振り続ける。
――こいつ、は
甘く見ていた。乱暴に繰り出される一撃をすり抜け、心臓を砕いて終わらせる。そこまで行かなくても重症を負わせる。そう描いていたのだ。
太刀筋は無駄に飾らず、それでいて素早い、たとえるならば素直な貴族の剣である。決して大振りなどせず、隙を晒さぬことを意識し続けている。実に厄介だ。
「ちっ」
エリスは大きく退いた。背後は壁。左右にはいばらの連中。臆しているのか、襲ってはこない。
奴は追い詰めるかのようにゆっくりとこちらへ体を向けると――剣を平らに構えた。それは突きの動作であろう。
「大した動きだが、逃げてるだけじゃ勝てねえぞ」
「知ってる」
誘いである。煽り、乗らせて、さっさと突き殺す。顔に瞳、魔力の流れと全身のすべてがそう語っている。
エリスは両の踵に力と魔力をぎちりと籠めて――渾身の嘘をついた。
魔力だけを前に弾き飛ばすように送った。フィレンはエリス自身が踏み込んできたと思ったのであろう。間にある空気ごと抜くような、すさまじい突きを放った。
その時、エリスはすでに横に飛び、棒立ちのままでいたいばらの一人の影へ。
「はん、安い工夫を」
気づいたフィレンの横殴りの斬撃。一切の躊躇無く、いばらの男を腹から両断する。吹き出る血しぶき、舞う肉塊。視界が一瞬閉ざされる。
――ここか
エリスは踏み込む。血さえくぐるように低い姿勢で一気に距離をつめた。敵は未だ剣を振りぬいたままの態勢である。間に合っているのは瞳だけ。
視線が交錯する。
エリスの選択は蹴りであった。狙いは敵の脇腹。骨の隙間を抜いて臓物を抉る。地を這うような低さから、魔力の爆発だけで右足が敵へと一直線に。
フィレンの瞳に――覚悟を決めたような光が灯る。
蹴りは確実に敵の腹部を捉えたが、不満極まる手ごたえ。咄嗟に魔力を全て腹へと回したのか。
行くにしろ退くにしろ、足を戻さねば始まらない。その一瞬を狙ったかのような銀刃が、確かにエリスの視界を抜けていった。
脇のあたりに奔る熱さ。思わず大きく退けば、垂れた血が酒場の床を汚す。
もらった一太刀は服と肉を裂く程度のもので、致命傷には程遠い。それでも、反撃を受けたのも確かだった。
再びできた距離の中、互いの視線がぶつかった。
「恐ろしい女だな」
フィレンが忌々しげに呟いた。
「互いに武器か、互いに素手なら、とっくにオレは殺されてるわ。確実にうちの副長よりつええぜ。だが……運と開き直りが足りなかったな」
口の端からは血が垂れている。しかし怯む様子は無い。確かな精兵である。
エリスは――嗤った。もう一度。
予想より強い。剣技も確かだ。それでも最初に気づいた敵の失態は、今のでより濃く感じることが出来た。
エリスは正面から、どうどうと突っ込んだ。敵は強い。であればそれなりを差し出さねばなるまい。
フィレンの顔が驚愕に歪む。自殺にでも見えたのだろうか。
剣が来る。清々しく素直な太刀筋が、首を薙ぐ軌道でするりと舞う。
エリスは――避けず、その左腕を差し出した。どろりと歪む時間。集中の末にやってくる錯覚。フィレンの顔は不可解で満たされて。
魔力が奔る。
剣は服を裂き、皮を貫き、肉を抉って――骨で止まった。鉄同士がぶつかったような音が響いた。
奴は驚愕し、次に恐怖した。
――なまくら
造りは美しい。刀身も良く磨がれていよう。それでも、極光石さえ使っていない刃物ごとき、魔力を漲らせた骨で止められぬはずも無い。
「っは!」
蹴り。同じ場所をもう一度。先ほどの倍する勢いに加えて、今度は奴の油断も乗る。
骨を砕く固さと肉を潰す柔らかさが同時につま先に伝わってくる。
フィレンは口から血を吐きながら、壁までまっすぐ飛んでいく。椅子を蹴散らし、テーブルを吹き飛ばし、石作りの壁に半ばめり込んだ。
轟音。そして悲鳴。
エリスは両の足に力を込めて、飛んだ。腕に刺さった剣がこぼれて落ちる。血が吹き出てすぐ止まる。問題無い。どうせいらない。
空中でくるりと体をひねって、肉から骨まで余すことなく、魔力を滑らかに流動させて。
そうして放った上段への後ろ回し蹴りが、いまだ動けぬフィレンの顔面に直撃した。
店が揺れ、壁には巨大な穴が生まれ、そして奴の首から上は肉塊となって石にべちゃりとしみ込んだ。
壁に刺さってしまった足を引き抜き、しっかりと両足で床に立つと、エリスは大きな深呼吸をした。
勝った。
殺した。
――く、は、は
勝ったのだ。騎士団の三番隊隊長とも言われる男に、剣を持ったまっとうな錬騎兵相手に、素手で。
「あは、あっははは」
思わず右手で顔を覆った。
エリスは嗤う。たまらぬ快感が全身を走り抜けて我慢できない。
確かな上達の実感。己の力が増幅している確信。強くなったという証明。この瞬間を上回るものなど――果たしてこの世にあるのだろうか。
エリスはぐるりと振り返った。酒場は静まり返っている。敵も味方も棒立ちであろう。だが居る。まだ居るのだ。
「次。はやく」
手を開き、誘う。この快感を終らせたくない。勝利の余韻を、そしてなにより上達の証拠を強く強く刻み込みたい。もっと、もっと。
もはや吐息さえ熱くして手をこまねくエリスを前に、
「……ひ、ひぃ」
いばらの連中が背を向けた。無様に足を滑らせながら、蜘蛛の子のように逃げていく。裏口から、あるいは流木の隙間を縫って正面から。彼らもまるで止めようとしない。
――なんだ、それ
エリスはぱちくりとまばたきをした。熱が抜けていく。もはや性欲にすら似た何かが、急速に冷めていく。
エティンの復讐、来た目的。全てが馬鹿馬鹿しく空しく下らなく思えた。
逃げる敵を追わず、かといって固まったままの味方にも声をかけず、エリスはそこらに転がっていた酒瓶をつかんで、コルクを引き抜いた。
傾けて含めば喉を焼く。美味い。美味いが、こんなもの、さっきまでのアレに比べれば泥水のようだった。




