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Elvish  作者: ざっか
第四章
105/118

わたしの彼女は剣闘士 六


 本業が賭場だからか、店そのものは相当に広い。それこそ五十に届くいばらのすべてを押し込めるほどであろう。五分の一しかいない今では、閑散として見えるのも道理だろうか。

 

 並が五。良が三。死体が一。そして一目で分かる上質が一。

 慌てふためく酒場の中で、ただ一人。未だ椅子に腰かけたまま、静かにエリスを睨みつけるその相手は、腹を空かした狼のような男であった。細い体、決して高くは無い背丈。それこそ貧相にさえ見える体躯に、有り余る魔力が漲っている。錬騎兵。腕はそれなりか、それ以上か。こいつがフィレンで間違いあるまい。


「ふざっ……けやがってぇっ!」


 最もエリスの近くに居た男が、叫びと共に飛びかかってきた。手には短刀、目には殺意。恐れず踏み込んだ心を褒めてやる優しさは、残念ながら持っていない。

 

 真っ直ぐ突き出される刃を避けて、体は半身のまま一歩踏み出す。

 魔力を流した肘の先端が、相手の心臓を綺麗にとらえた。

 胸骨が砕ける。心臓が潰れる。そして壁まで飛んでいく。当然即死である。

 

 酒場は、その一撃で静かになった。

 フィレンを除いた全員が、強張った表情で動かぬ中――この場の頭目らしき男が、かすれた声で言った。


「てめえ正気か? 街中でこんな騒ぎ起こして……頭おかしいんじゃねえのか。いくら高名なる剣闘士サマだって、通らない道理ってのはあるだろう」

「あんたらがよく言う」


 下らぬ寝言をほざく相手を、エリスは鼻で笑った。


「復讐は合法。決闘も合法。あんたらをブチ殺すのはエティンのおかえしで、そっちの偉そうな隊長サマとは、今から剣闘の真似事をするだけ」


 意思を伝える。可能な限り分かりやすく。後ろからぞろぞろと店に入ってきた流木の連中も、異論一つ挟まない。二つの死体を見れば手遅れなのが分かるから、か。


「カハ、ハ、ハハ、ハ。てめえら、喧嘩を売る相手を間違えたみてえだな。偶然オレがいるから良いものの、そうでなきゃこの場に居る奴皆殺しじゃねえか。調子に乗りすぎるからこうなるのよ」


 フィレンがのそりと立ち上がった。手には、長剣。

 目は爛々と輝き、口元は深く裂けたように笑っている。これで騎士団の隊長だというのだから、笑い話以外の何物でも無い。山賊頭が天職であろうに。


「そういうあんたもこいつらのお仲間でしょ」

「いやいやまさか、な。オレはなじみの店で呑んでるだけよ。たまたまこうして寛いでいたら、突然やってきた狂人に絡まれた。だから切り殺す。分かりやすい話じゃねえか」

「ふふ、同感」


 エリスは一歩踏み出す。周りが怯えて一気に離れる。魔力を纏う。強く、強く。あたりがミシリと音を立てる。


「邪魔すんじゃねーぞ、死にたくなけりゃな」


 奴が剣を抜いた。壁と天井、つまりは三方からなる魔力光に照らされて、見事な刀身は美しく光り輝いている。そう、輝いているのだ。

 エリスは嗤った。そして一気に床を蹴った。


「はははっ」


 その声は、どちらのものだろう。

 勢いそのままに殴り殺してやろうという意思を、氷のような予感が止めた。床を砕く勢いで踏み、咄嗟に横へ。

 一瞬前までエリスがとっていた軌道を、静かな軌跡が通り過ぎた。


「良く避けた!」


 フィレンは叫び、次を繰り出す。

 見た目や気配からは想像できない、実に綺麗な剣技であった。エリスは頭を下げ、腰を捻り、下がりながら辛うじて刃を避け続ける。

 途中にあるテーブルを、椅子を、カウンターですらも碌に音も立てずに切り裂いて、フィレンは剣を振り続ける。

 

 ――こいつ、は

 甘く見ていた。乱暴に繰り出される一撃をすり抜け、心臓を砕いて終わらせる。そこまで行かなくても重症を負わせる。そう描いていたのだ。

 太刀筋は無駄に飾らず、それでいて素早い、たとえるならば素直な貴族の剣である。決して大振りなどせず、隙を晒さぬことを意識し続けている。実に厄介だ。


「ちっ」


 エリスは大きく退いた。背後は壁。左右にはいばらの連中。臆しているのか、襲ってはこない。

 奴は追い詰めるかのようにゆっくりとこちらへ体を向けると――剣を平らに構えた。それは突きの動作であろう。


「大した動きだが、逃げてるだけじゃ勝てねえぞ」

「知ってる」


 誘いである。煽り、乗らせて、さっさと突き殺す。顔に瞳、魔力の流れと全身のすべてがそう語っている。

 エリスは両の踵に力と魔力をぎちりと籠めて――渾身の嘘をついた。

 

 魔力だけを前に弾き飛ばすように送った。フィレンはエリス自身が踏み込んできたと思ったのであろう。間にある空気ごと抜くような、すさまじい突きを放った。

 その時、エリスはすでに横に飛び、棒立ちのままでいたいばらの一人の影へ。


「はん、安い工夫を」


 気づいたフィレンの横殴りの斬撃。一切の躊躇無く、いばらの男を腹から両断する。吹き出る血しぶき、舞う肉塊。視界が一瞬閉ざされる。

 ――ここか

 エリスは踏み込む。血さえくぐるように低い姿勢で一気に距離をつめた。敵は未だ剣を振りぬいたままの態勢である。間に合っているのは瞳だけ。

 

 視線が交錯する。

 エリスの選択は蹴りであった。狙いは敵の脇腹。骨の隙間を抜いて臓物を抉る。地を這うような低さから、魔力の爆発だけで右足が敵へと一直線に。

 フィレンの瞳に――覚悟を決めたような光が灯る。

 蹴りは確実に敵の腹部を捉えたが、不満極まる手ごたえ。咄嗟に魔力を全て腹へと回したのか。

 

 行くにしろ退くにしろ、足を戻さねば始まらない。その一瞬を狙ったかのような銀刃が、確かにエリスの視界を抜けていった。

 脇のあたりに奔る熱さ。思わず大きく退けば、垂れた血が酒場の床を汚す。

 もらった一太刀は服と肉を裂く程度のもので、致命傷には程遠い。それでも、反撃を受けたのも確かだった。

 

 再びできた距離の中、互いの視線がぶつかった。


「恐ろしい女だな」


 フィレンが忌々しげに呟いた。


「互いに武器か、互いに素手なら、とっくにオレは殺されてるわ。確実にうちの副長よりつええぜ。だが……運と開き直りが足りなかったな」


 口の端からは血が垂れている。しかし怯む様子は無い。確かな精兵である。

 エリスは――嗤った。もう一度。

 予想より強い。剣技も確かだ。それでも最初に気づいた敵の失態は、今のでより濃く感じることが出来た。

 

 エリスは正面から、どうどうと突っ込んだ。敵は強い。であればそれなりを差し出さねばなるまい。

 フィレンの顔が驚愕に歪む。自殺にでも見えたのだろうか。

 剣が来る。清々しく素直な太刀筋が、首を薙ぐ軌道でするりと舞う。

 

 エリスは――避けず、その左腕を差し出した。どろりと歪む時間。集中の末にやってくる錯覚。フィレンの顔は不可解で満たされて。

 魔力が奔る。

 剣は服を裂き、皮を貫き、肉を抉って――骨で止まった。鉄同士がぶつかったような音が響いた。

 

 奴は驚愕し、次に恐怖した。

 ――なまくら

 造りは美しい。刀身も良く磨がれていよう。それでも、極光石さえ使っていない刃物ごとき、魔力を漲らせた骨で止められぬはずも無い。


「っは!」


 蹴り。同じ場所をもう一度。先ほどの倍する勢いに加えて、今度は奴の油断も乗る。

 骨を砕く固さと肉を潰す柔らかさが同時につま先に伝わってくる。

 フィレンは口から血を吐きながら、壁までまっすぐ飛んでいく。椅子を蹴散らし、テーブルを吹き飛ばし、石作りの壁に半ばめり込んだ。

 

 轟音。そして悲鳴。

 エリスは両の足に力を込めて、飛んだ。腕に刺さった剣がこぼれて落ちる。血が吹き出てすぐ止まる。問題無い。どうせいらない。

 空中でくるりと体をひねって、肉から骨まで余すことなく、魔力を滑らかに流動させて。

 そうして放った上段への後ろ回し蹴りが、いまだ動けぬフィレンの顔面に直撃した。

 

 店が揺れ、壁には巨大な穴が生まれ、そして奴の首から上は肉塊となって石にべちゃりとしみ込んだ。

 壁に刺さってしまった足を引き抜き、しっかりと両足で床に立つと、エリスは大きな深呼吸をした。

 

 勝った。

 殺した。

 ――く、は、は

 勝ったのだ。騎士団の三番隊隊長とも言われる男に、剣を持ったまっとうな錬騎兵相手に、素手で。


「あは、あっははは」


 思わず右手で顔を覆った。

 エリスは嗤う。たまらぬ快感が全身を走り抜けて我慢できない。

 確かな上達の実感。己の力が増幅している確信。強くなったという証明。この瞬間を上回るものなど――果たしてこの世にあるのだろうか。

 

 エリスはぐるりと振り返った。酒場は静まり返っている。敵も味方も棒立ちであろう。だが居る。まだ居るのだ。


「次。はやく」


 手を開き、誘う。この快感を終らせたくない。勝利の余韻を、そしてなにより上達の証拠を強く強く刻み込みたい。もっと、もっと。

 もはや吐息さえ熱くして手をこまねくエリスを前に、


「……ひ、ひぃ」


 いばらの連中が背を向けた。無様に足を滑らせながら、蜘蛛の子のように逃げていく。裏口から、あるいは流木の隙間を縫って正面から。彼らもまるで止めようとしない。

 

 ――なんだ、それ

 エリスはぱちくりとまばたきをした。熱が抜けていく。もはや性欲にすら似た何かが、急速に冷めていく。

 エティンの復讐、来た目的。全てが馬鹿馬鹿しく空しく下らなく思えた。

 

 逃げる敵を追わず、かといって固まったままの味方にも声をかけず、エリスはそこらに転がっていた酒瓶をつかんで、コルクを引き抜いた。

 傾けて含めば喉を焼く。美味い。美味いが、こんなもの、さっきまでのアレに比べれば泥水のようだった。

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