わたしの彼女は剣闘士 五
早朝にもかかわらず、いつもの酒場はすでに店を開けていた。
中には朝食をかき込みにきたと思しき数人の客と、店主や給仕。エリス、ドゥーガ、マティアの三人。
そして十名近いごろつきのような連中。全員極めて固い表情で、静かに椅子に座っている。言うまでもなく、流木樹の連中だ。
「聞いているとは、思うんですが」
その中でも目立って背の高い男が、低く声を出した。彼らの団長で、名はラムガラスと言うらしい。腕は感じる限りそこそこで、歳も若そうである。
彼が言葉をかけたのは正面に腰かけている相手、即ちエリスだった。だから応える。
「エティンが死んだって?」
「そうです」
「死体の状態確認は」
「済んでます。嬲られた形跡が無いのが……せめてもの救いですかね」
エリスはため息をついた。そうか、と思う。ただそう思う。
胃のあたりが、僅かに重い。
「殺され方はどうだったの。囲まれてざっくり? その割には騒ぎになってないみたいだけど」
「それは……」
ラムガラスは迷うように一拍開けて、続けた。
「切り傷はありません。これといった出血も。ただ……首をへし折られていただけです。真逆までぐるりと。かといって押さえつけられたような形跡も、見当たりませんでした」
エリスは眉をしかめる。外傷無しなら打撃ではない。単純に考えればつかんで即捩り折ったことになるが――そんな真似をするには相応の実力差が必要だ。
「エティンはまぁまぁ強そうに見えたんだけどね」
「そう、ですね。うちでも二、三番目といったところです」
「いばらの連中の質、そんなに高いのかな」
言いつつ、エリスは考える。そしてラムガラスの顔から察することが出来る。だから素直に尋ねてみた。
「心当たりが?」
男は頷き、静かに語り出した。
「フィレン・ラグ・スーマ。奴らの構成員と言いますか、用心棒と言いますか。この男が入団したことと、いばらが目に見えてずうずうしくなったのは同時期になります。ラグ持ち、当然錬騎兵、しかし何よりの証明は別の部分にありまして」
ラムガラスは手元の酒を飲み干した。ため息と共に、言う。
「この男、第三騎士団の三番隊隊長なんです」
「……はぁ?」
思わず声が漏れてしまった。
「騎士団入ったままで錬団に、なんて普通出来るの?」
「出来ません。ですので、正式に構成員として数えられているわけでは無いんです。通りの向こうを延々歩けば青花亭という店があります。表向きはただの酒場、裏向きは賭場。ただ実際はそれさえ表で、本当のところはいばらの幹の拠点扱い。フィレンはそこの常連なんです」
「ただそこで、酒を飲んでいるだけ? たまたま目についた奴と喧嘩をしたり、決闘したり。あくまで個人的にやってるだけですよと」
男が頷く。エリスは小さな舌打ちをする。
馬鹿げた話だ。あまりに下らない話だ。それを許す王、あるいは騎士団の団長、周囲の目。全てが脆い網目に感じる。
だがこれで、
「少しやりやすくなったね」
「……なぜ、そう思います?」
「仮に派手な『何か』があっても、官憲は絶対にこの件を執拗に追わない。掘り返して最後に出てくるのは騎士団隊長の不祥事だから」
「それは、そうかもしれませんが」
苦々しく顔をゆがめて、ラムガラスは追加の酒を注文した。
言いたいことがある。しかし切り出すのが難しい。あまりにも分かりやすい。だが面倒である。
エリスはテーブルに片肘をついた。
「で、あたしにどうしてほしいわけ。まさかエティンが死んだって報告だけで、わざわざ集まったわけじゃないんでしょ」
少し意地が悪かったか、と自分でも思う。しかしこれは避けて通れない問答でもある。
男は――大きく深呼吸をした。
「恥だとはわかっています。情けなくも思います。それでも……どうか俺たちに力を貸してはいただけませんか。何も実際に戦っていただかなくても良い。この下らぬ争いを丁度良く落とす、そのための抑止力になっていただければ、と」
「……ふう」
言葉は見事に予想通り。そして答えも決まっていた。
「いいよ」
「エリス嬢」
声は、背後から。つまりはドゥーガのものだ。
「良いんだよ、ドゥーガちゃん。あたし達だって無関係じゃないし、このままってわけにはいかない。知り合い殺されて何もしないってのも……寝覚めが悪くてたまらない」
ラムガラスが頭を下げた。
「ありがとうございます。こちらにも準備がありますので、少々俺たちは席を外しますが……この店で待っていていただけますか?」
エリスは頷く。流木の連中が一斉に席を立って、店の外へと出て行った。
「本当に良いんですか」
「だってしょーがないでしょ」
ドゥーガの声は低く、重く。心配してくれている、のだろうとは思う。
「だいたいさ、あたしの立場からしたらこのまま何もせずに済ますほうが危ないよ。顔知らないのまで数えたら馬鹿馬鹿しいくらい敵がいるんだ。ここで舐められたらその手のがいっぺんにちょっかいかけてくるよ」
「否定はしません」
「それにさ」
エリスは振り返って手を伸ばす。マティアの手を握る。体温を感じる。彼女は微笑む。悲しげに。
「マティアを脅しの種に使うような相手を、只で済ますつもりなんて無いんだよ、あたしには」
ごくり、とドゥーガの唾を飲む音が聞こえた。
出発は夜。
流木の連中がそれなりに金をはたいて得た情報によれば、奴らは今日も酒場にいるという話である。単なる客という扱いのフィレンと、十人程度の構成員。奴らの総勢は五十を超えるが、当然全員が酒場で飲んだくれているわけではない。今夜、かつ短時間に限れば数の差は無くなった。
ドゥーガとマティアは当然居ない。彼の知り合いに頼んで、一時的に保護してもらったのだ。なんでも有力な錬団の一員らしく、いばらが手を出すことはまずないだろうと。これで心配の種はとりあえず消えた。
空は暗く、しかし通りは明るく。魔力の光が煌々と照らす夜の路地は、ある種の美しささえ感じるほどである。行き交う人の数はそれなりといったところか。
エリスと流木の団員達は、その真ん中を歩いている。敵の酒場へとまっすぐに。
「ほ、ほんとうにこのまま行くんスか?」
「んだよ、ビビったのか?」
「だ、だってよぅ……」
不安げな声は、おそらく皆の心を代弁している。それこそ団長であるラムガラスでさえ同じであろう。
エリス達は全員が手ぶらであった。武器を一切持っていないのだ。もちろんこれにはきちんとした意図がある。
一対一であれば大抵のもめ事は喧嘩で済む。お咎め無しである。たとえ武器を使い死者が出たところで決闘の一言で解決してしまう場合がほとんどだ。
それが多数対多数であれば話は変わる。それはもはや戦闘であり、さらに超えればちょっとした戦争だ。街中でそのような騒動を認める権力者など居るはずも無い。
つまるところ、これは保険だ。拗れに拗れて『大喧嘩』になってしまった場合、素手のこちらの責任は薄かろうと、官憲に訴えるための種である。そもそも最初に手を出したのはあちら、挙句なぜか騎士団の隊長様までいらっしゃると、三つも手を重ねておけばまず手に鎖が巻かれることなどあるまいと。
しかしそれでも彼らの不安は消えない。当然であろうとエリスは思う。こんな小細工は全て勝った後の話なのだ。どう勝つか、何をすれば勝ちなのか、まさにその部分についてはまるで話し合っていないのだから。
少なくともラムガラスは言葉で済ますつもりであろう。
錬団は舐められれば終わりである。団員を一人無残に殺されて、泣き寝入りなど破滅に近い。だが総勢五倍の戦力を誇る相手に正面から喧嘩を売るのは破滅そのものだ。エリスに助力を請うたのも、あくまで交渉を有利に進める手札の役目をはたしてほしかった、のであろう。
エリスにもその選択肢はあった。こうして敵地に近づくまでは。
「そう気負わなくて良いよ」
振り返りもせず、団員達に声をかける。臓腑の隙間を縫うように、黒い炎が体内で暴れているように感じる。
「あたしが全員殺すから、あんたらは退路だけふさいでいれば良い」
静かに言ったその言葉に、なぜか皆が息を飲む。
「エリスの姉さん、そいつは、その……」
ラムガラスが何か言う。そちらを見る。なぜか彼は黙る。睨んだわけでも無いというのに。
知り合いが殺された。
大好きな相手が巻き込まれかけた。
自分も散々に追い回された。
喧嘩を売られた。
敵に強い奴がいる。
戦いがある。
すぐそこに。
思いは複雑だった。脳の中でぐるぐる回る動機の数々が、溶かした砂糖のように散らばって混ざる。何のためかがはっきりしない。
だけどこれからすることは分かる。
したいこともはっきりとわかる。
通りの先、路地を曲がって暗がりの裏。明かりの漏れる木の扉。金のかかった良い店が見えた。
「あれがそう?」
「はい」
少し足を早めた。流木の連中も一緒についてくる。
十人規模のエルフが、路地裏の店の前まで来ているのだ。魔力の集まりで異変くらいは中からでも察せる。
入口についた。扉が開く。中から一人出てくる。
「なぜ、あなたがここにっ!?」
「はい、お久しぶり」
知った顔。何度もしつこく、家にまで来たあいつ。
エリスは魔力を奔らせ踏み込んだ。誰も反応できない。敵も、味方も。
左手で相手の腕をつかんで引っ張り込む。同時に右手を腹へと送る。
重い感触。広がる衝撃。高い音。口から吐き出される大量の血。手ごたえからすれば内蔵が弾けたか。
――なんだ、こんな程度
吐かれた血を避けつつ、下がった首へと手を伸ばした。
握りつぶす。不思議な音が口から洩れる。
そのまま死体と化した『それ』を酒場の中へと投げ込んだ。テーブルを吹き飛ばす。酒のボトルが割れて飛び散る。喧噪がそこらからやってくる。
エリスは堂々と店内に入って、ぐるりとあたりを見渡した。
そして言う。
「こんばんわ」




