わたしの彼女は剣闘士 四
「で、今日はなんの用?」
エリスは落ち着いた声音で語りかけた。そうしなければ今すぐにでも襲い掛かってしまいそうだったからだ。
訪れつつある夜、暗く染まり始めた石畳。淡い魔力の光に照らされる相手数は、六である。一人は知った顔、残りは初めて見る顔。鎧の類はつけていないようだが、全員が剣を持っている。ただし抜いているわけではない。
その中の知った顔――幾度もしつこい勧誘に来ている男が、一歩前に出た。
「これは愚問を。そろそろ色よい返事をもらえるころかと思いまして」
涼しげな顔に、通る声。腹に生まれる熱の塊を、エリスは必死に押さえつける。
「何回も断ってるでしょ。同じこと言わせないでよ」
「おや、妙ですね……今日こそ頷いていただける。そう思ってわざわざご自宅まで足を運ばせていただいたのですが」
奴は肩越しに背後を見た。ドゥーガ、玄関、そしてエリスの家。順番に視線を送った後に、再び顔をこちらに戻す。
そして言った。
「あなたほどの戦士がこのようなボロ小屋に住んでいる。この際それはどうでも良いのですが……拘りを持って暮らす家では、せめて安らかでいたい。そうは思いませんか?」
「どういう意味」
もちろんわかっている。わかっていて、あえてエリスは尋ねてみる。広がりかけた炎を抑えながら。
「なんでもあなたには一緒に暮らす大事な家族がいらっしゃるとか。彼女にもしものことがあったらどれほどの悲劇であろうか、と我々も心配しているのですよ。だからこうして、わざわざ安全を確認しにきたというわけです。この区画の治安は決して良いとは言えませんからね」
決めた。今決まった。
こいつは殺す。
相手は六人、武器持ち。こっちは素手。なんの問題があろうか。躊躇なく突っ込み、咄嗟に割り込んできた奴の首を手刀で抉り、死体を投げて他を妨害、その隙に主格の頭蓋を拳で砕き散らす。二秒で足りる。楽勝だ。残りも誰一人逃さない。全員ひき肉にして野良犬に食わせてやる。
エリスの腹から胸中まで到達した炎が、殺意に炙られ黒く濡れる。全身に魔力が満ちる。踵に力が篭る。
「おいっ!」
声は、ドゥーガのものだ。
「返事は聞いただろう。ならさっさと消えろ。こちらが我慢している間にな」
「ほう?」
男が首だけで振り返る。
「聞き捨てなりませんね。我らいばらの幹と戦うつもりですか? 失礼ですが、それは無謀と言わざるを得ないかと。二人きりで五十を打ち破れるとは思えませんよ」
「そうかもな。だが、お前らは死ぬ」
ドゥーガは魔力を体に漲らせた。あからさまな脅しのために。
「残り四十そこそこがどうなるかは知らん。最終的な勝敗も知らん。しかしお前らだけは絶対に死ぬ。この場で全員な。それでも良ければ始めようか」
男は、答えず。
息が詰まるような沈黙を挟んで、
「……帰りますよ」
素直に奴は歩き出した。残りも全員後を追う。言葉も発さずに。
その背中が消えるまで睨み続けて――エリスは大きく息を吐いた。
「ありがと、ドゥーガちゃん」
「いえ……今度は本気で危ない所でしたね」
エリスは思わず苦笑した。まったく言葉の通りである。ドゥーガがほんの一秒遅れただけで、間違いなく襲い掛かっていただろうから。
「中に入ろうか」
「そうですね」
扉を開ければ、慣れた匂いが鼻をくすぐる。
唯一の、そして最愛の同居人であるマティアは、静かに椅子に座っていた。表情も穏やかなものである。全て聞こえていたはずだというのに。
エリスは駆け寄った。そして抱きしめた。正面から、できる限り密着するように。
「ごめんねマティア……怖い思いをさせて」
「いいえ、シアンお嬢様」
僅かに距離を離して、顔をじっと見つめる。彼女は、笑っていた。
「見くびってもらっては困ります。もっと恐ろしい目にあったことだって幾度もございますよ……と、自力で解決できぬ私が言うことではありませんね」
体に震えも強張りも無い。単なる強がりとは違うようだ。少し、ほっとする。
「何か食べますか?」
「うん、お願い」
マティアは席を立って、いつものように料理を始めた。その姿を後ろからただ眺めているのは、とても幸せな時間なのだけど――今は解決すべき問題がある。
ドゥーガに椅子を勧めつつ、エリス自身もその向かいに座った。
「どうしよっかねーほんと」
「ふむ……」
互いに、良い答えなど無い。もちろんそれは分かっている。
「これで退いてくれると思う?」
「それだけは絶対に無いでしょう。次は倍連れてくるか、いっそ力で来る可能性さえあります」
「だよねぇ」
あまりに大きな騒ぎにすれば官憲が出てくる。それを踏まえれば簡単に刃を持ち出すはずが無い――と言いたいところなのだが、エリスの首の値段はすでに『それほど』になってしまったのだろう。
取り込めれば良し。揉めて殺しても名が売れて良し。もみ消しには生贄数人と金を握らせる程度で十分。どう転んでもおいしい、と。
「舐めてるね」
ぎちり、と軋む。自分の中の何かが音を立てる。まさか負けることは無いと、高をくくっているから出来る態度である。
「まったくです。都市落ち風情が随分と調子に乗る」
「としおち……って?」
初めて聞く言葉だった。
「戦場に出なくなった練団のことを、昔からそう呼ぶのですよ。怯えてネズミのように街を這いずることでしか生きていけない雑魚共だと。当然蔑称の極みですが……そういう連中のほうが金は持っているあたり、世とは難しいものです」
「なるほどねぇ。ところでドゥーガちゃんは、いばらの連中のことどれくらい知ってる?」
ドゥーガはゆっくりと首を左右に振った。
「あいにくと。なにぶん奴らはまだ若い練団ですので、昔のツテから得られる情報も大した色は無く……エリス嬢の知っている範囲と変わり無い程度ですよ」
「新しくて、五十人くらいで、最近調子に乗ってて、あたしにやたらと熱心だよと。以上?」
「以上です」
エリスは深くため息をついた。結局、手堅い対策らしきものなんて思いつかないのだ。放置してそれで終わり、とはいかないというのに。
ドゥーガはがしがしと頭をかいて、
「さすがに今日のうちにもう一度、とはならないでしょう。明日になったら俺も知り合いの所を回ってみますよ。上手く話をつけてくれるところがあるかもしれませんし」
「……ごめんね」
「何を謝るのですか。こういうのは今の俺の大事な仕事ですよ。もう少し頼っていただきたいものです。何しろ――」
「なにしろ?」
「すでに剣ではまるで敵いませんからね。あなたを守るとあの方に誓ったはずだというのに、情けなくなる毎日であります」
「あっはは」
そうして笑うと、なんだか気が楽になった。
まるで会話が一段落するのを待っていたかのように、マティアがテーブルへとやってきた。両手の皿にはたっぷりの肉が浮いたスープが並々と注がれている。
「お待たせ致しました」
ごとりと置かれればちゃぷりと揺れる。匂いが鼻を優しくなでる。
エリスはスプーンを手に取った。ドゥーガも同じようにスプーンを取る。唯一残った左腕で。
「ねぇドゥーガちゃん。右腕、治さないの?」
「治す気が無い、というわけでは無いんですが……俺程度の力で腕を生やそうと思えば、丸一月は食って寝るだけの日々を過ごさねばなりません」
「金自体はあるでしょ。花屋開いちゃったけどさ、そのくらいの残りは」
「さすがにその程度のたくわえはあります。ですがそれでは……その、あなた方の手伝いがしばらく出来なくなってしまいますので」
ぱちくりと、エリスはまばたきをする。
感心を通り越してあきれるほどの善人ぶりだ。
――もちろん
ちらりと横目でマティアを見る。ただひたすら厚意と贖罪で尽くしてくれているのではない、と分かってはいるけれど。
「再生司に頼んだりしないの? そっちなら上手くいけば一週間以内でしょ」
「残念ながらそれには到底金が足りません。本気で立派な家一軒分くらいは持っていかれますよ。たとえ金があっても払う気がしません」
「足元見る商売だもんねぇ」
ぴ、とエリスはスプーンの先でドゥーガを指した。正確に言うならばその右腕を。
「よし分かった。そのうち、腕はあたしが治してあげるよ」
「冗談に聞こえない、と言うか……」
なぜか彼は、寂しそうに笑った。
「遠くないうちに本当に出来てしまうのでしょうね、エリス嬢なら」
「んふふ、期待していいし褒めていいよー」
あえて気づかぬように明るく返す。きっとそのほうが良いと思うから。
綺麗に皿が空になった。外でも食べているのだからこの程度で十分である。酒はもしものことを考えてほどほどに。ドゥーガは多少飲むが、マティアは口一つつけない。
食事を終えて、席を立ちつつドゥーガに声をかける。
「今日は泊っていく?」
「そう……ですね。そのほうが良いでしょう」
あくまで真面目に、低い声である。無論荒事を想定しているからなのだが、
「ただし、マティアと一緒に寝るのはあたしなので」
「なっ……何も俺はそんなつもりでは」
「冗談冗談。あたしのベッド使って良いから」
「……そういうわけにはいきません」
ドゥーガは――わざわざ玄関の正面まで椅子を移動させると、どかりと座った。
「俺はここで寝ます。何か感じればすぐ知らせますから」
「ん、じゃあお願いね」
きっと何を言っても動かない。だからエリスはあえて止めなかった。
マティアの手を引いて寝室に入った。様々なものが積み上げられた部屋ははっきりいって狭いが、彼女は文句一つ言わない。この中にマティアの私物なんてほとんど無いというのに。
――風呂、は明るくならないと危ないか
さすがに素っ裸で大乱闘は勘弁願いたい。今日はほとんど動いていないし、酒もすでに抜けてしまった。汗やらなんやらでマティアに迷惑はかけない、と思う。
「今日は早めに寝とこっか」
「はい」
寝巻代わりの大きなシャツに着替えて、ベッドに入る。
二人は、やはり狭い。けれど、少しも嫌ではなかった。
マティアへと手を伸ばす。その胸元に顔をうずめる。
「一緒に寝るなんてひさしぶりだねー」
「ええ、そうですね……」
抱きしめたマティアの体は、随分と小さく感じた。
自分が大きくなった、のか。
「シアンお嬢様」
「なーに?」
「一つだけ、約束してくださいますか」
顔を上げる。目が合う。表情には色が無く、なのに不思議と固く感じる。
「私を……」
言葉は続かず、沈黙だけが部屋に漂って。
「申し訳ありません。今日はもう寝ましょう」
それきりマティアは言葉を発しなかった。抱きしめる手にだけは、ずっと力が篭っていたけど。
違和感で目が覚めた。窓からはわずかに明かりが差し込んでいる。早朝か。
扉を強く叩く音が響いた。
「エリス嬢!」
声で跳ね起き、即座に外に出た。
「来たの!?」
「いえ、違いますが、しかし……」
ドゥーガの言葉が煮え切らない。だからエリスは自分で確かめることにした。
「マティアの傍にいて」
「わかりました」
足早に玄関まで向かう。外には気配と魔力の香り。ただし数は僅か三だ。
エリスは躊躇なく扉を開けた。
知った顔が一。知らぬ顔が二。その見覚えのある相手とは、この間エリスが腕を折った相手だった。いばらではなく、流木の連中か。
表情。状況。可能性は、いくつかに絞られてしまうけれど。
それでもエリスは尋ねてみる。
「何かあったの……?」
返事が返ってきたのは、数秒もの沈黙の後で。
どうやら、エティンが死体で見つかったらしい。




