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Elvish  作者: ざっか
第四章
102/117

わたしの彼女は剣闘士 三

 

 試合が流れた。

 だからこそ、エリスはこうしていつもの酒場でヤケ酒をあおりにあおっているわけである。

 

 ただし目先の収入が消えたので酒の質は大幅に下げた。それがまた頭に来る。今なら睨みだけで鶏くらいは殺せる気がする。


「も、もう一杯どうですか?」

「……いただきます」


 店主があからさまに怯えている。わざわざ気遣ってくれる相手に冷たく当たるのは最低であろう。たとえ現在噴火寸前だとしてもだ。

 だからエリスは可能な限り静かに答えて、そっとグラスを受け取った。

 

 綺麗な琥珀、香る匂い。これとて決して安酒では無いのだが、一度覚えた贅沢を崩すのは極めて困難なのだと骨身に染みる。

 ちびりと口に含んだあたりで、聞き覚えのある声がした。


「おっと姉さん、今日もっすか。良く会いま……す……ね?」


 ちらりと声の主――つまりはエティンを横目で確認。それだけでなぜか言葉が消える。別に怒りも殺意も籠めたつもりなど無いのだが、どうやら相当顔に出ているらしい。


「あー……その、ですね」


 それでも隣に座るあたり、すばらしい根性だとは思う。

 まるで言葉を選ぶかのような慎重さで、エティンは続けた。


「残念でしたね試合。俺も楽しみにしてたんすけど」

「そーね」


 そっけなく答えて、ぐびりと酒を一口。飲めば多少なりとも気が晴れるというものだ。

 

 声音から暴れ出すわけでは無いと察したのだろうか、エティンは幾分かほっとしたように肩の力を抜いた、ように見える。

 ここまで怯えられるとこちらを普段どんな目で見ているのかと、逆に腹が立ってくるものである。


「あ、親父さん、俺にも酒を。いつものエールで……んで、姉さん。ちょっと聞きづらいんですが、試合が中止になった理由ってなんなんすか」

「別に。ただ向こうが逃げただけ」

「なーるほど」


 実のところ、相手が逃げ出して試合が流れたのも初めての話ではない。

 本物の武器を使うとはいえ、基本的に剣闘はただの見世物であり、闘士にとってはただの商売なのだ。行われる試合のほとんどは三等級。死傷を許さない温さである。稀に起きる二等級の試合とて、殺す殺されるまで進んでしまうことは滅多に無い。

 

 ある種平和に歪んだ輪の中で、エリスは例外的なまでに真剣であった。毎回死を覚悟して望む。だからこそ力がつくのだと、常日頃考えているからだ。

 三等級であっても、腕の一、二本はもらっていく。二等級であれば確実に殺す角度と勢いで武器を振るう。さすがに恨みもなく、その上戦意喪失した相手をどうこうしようとまでは思わないが、それでもたまに死者は出る。

 

 繰り返すが、大抵の闘士にとって剣闘とは所詮商売である。戦いを楽しみ、名が売れて、金がもらえる。戦場よりは安全に。

 ゆえに自然ではあるのだ。勝った時の見返りと万が一を天秤に乗せて、不名誉を背負ってでも逃げ出すことに、なんら不思議などない。

 

 ――いや、まぁ、なんというか

 一度、あまりに腹の立つ屑を相手に二等級の試合を組まれ、脊髄ごと首を引っこ抜いてやったのが効いているがしなくもない。こんなことになるなら穏便に首を撥ねるだけで済ませておくべきだったと、今は思う。

 

 しかし、その過激さこそが今のエリスの人気を造っているのは間違い無い。

 観客は派手さを望む。無責任に。凡百の闘士は安全を望む。わが身可愛さに。その隙間を泳ぐ立ち回りの上手さというやつは、そう簡単に身につくものでは無いらしい。所詮自分はまだまだ若く、未熟である、ということだろうか。


「代わりの……というか次の試合はいつくらいになりそうなんすか?」

「まだ決まってない。ぜーんぜんね」


 正直言って、危機感を覚え始めている。

 最初は良かった。あのアルセウスの娘、そしてバズガックを殺した子供だということで、嫌でも注目されたのだ。それなりの相手と三級を数度。そこでえげつない勝ち方を繰り返せば、当てつけと言わんばかりの二級試合。実力からしてギリギリの相手を血を流しながら押しつぶして、再び人気はあがっていく。

 

 次は一つ位をあげて同じことの繰り返し。これだけで数年間は相手に困らず、金も名誉も掃いて捨てるほどやってきたのだ。陰りが見えたのはごく最近で、それとて気の所為で済ませる程度だったというのに。

 その車輪が、ついにここに来て壊れたのかもしれない。兆候は確かにあったのだろうが、見て見ぬふりをしてしまった。


「もしかして、結構困ってますか」

「正解」


 原因の一つは無論エリスの戦闘方針。二つ目はそれなりに強くなってしまったこと。そして三つめは――後ろ盾が無いことだ。

 豊富な資金力を持つ『かねもち』か、それなり以上の規模を誇る練団に所属していれば、それらの力を使って対戦相手を見繕うことが可能である。武で生きる闘士であうとも、上に行けば行くほどその手のしがらみに絡め捕られて動けなくなる、という話も聞く。皮肉なものだ。

 

 すでに無所属の雑魚など今のエリスの相手にはならない。かといって後ろ盾持ちの闘士からはあからさまに拒否される。こんな危なっかしい奴と試合なんてさせられるかと、その『お抱え元』から直に言われるはずだ。

 もちろんエリスの力が国中に名を轟かせるほどであれば、全ての前提を無視できてしまうのだけど。

 

 ――結局、何もかもが中途半端、か

 己の現状、その不甲斐なさ。酒がわずかに苦く感じる。


「そーいえばさ」


 エリスは片肘をつきつつ、尋ねてみた。


「今日は誘わないわけ? うちにこないのかって」

「んー……」


 小さく呻いて、顎をさする。酒を一口、つまみをもぐもぐ。そしてようやくエティンは口を開く。


「いばらの幹って練団、知ってます?」

「知ってる」


 それはもう、嫌気がさすほどに知っている。その名がエティンから出たことは驚いたが。

 低い声で彼は続ける。


「今ちょっと、そこと揉めてるんですよ。下らない縄張り争いなんすけどね、そこの区画取られちゃうとうちの収入がほとんど消えちゃって。人数的にも質的にも相当きついんですが、引くわけにもいかず、中々……」

「ふーん」


 強引な連中であることは身に染みている。当然その手の話は出てくるだろう。その相手がエティンの所だったというのは不幸でしか無いが。

 しかし、である。


「でもさ、だったら余計にあたしを誘うべきじゃないの。戦力ぜんぜん足りてないんでしょ? 自慢じゃないけど、役に立つとは思うよ」

「そいつは正論です。正論ですが」


 なぜかエティンは照れたように頬をかいた。


「入ってすぐ、迷惑かけることになるじゃないっすか。誘ってソレじゃあちょっと酷いかなーと思いますんで」

「……真面目というか、なんというか」


 エリスは一気に酒を飲み干して、


「意外と良い奴なんだねぇ、あんた」

「お、惚れましたか?」

「全然」

「そうっすか……」


 良い奴、という評価に嘘は無い。練団の構成員なんて立場でありながらこの性根、きわめて珍しいのは確かである。それこそ心配なほどに。


「ちょっと話は戻りますが」

「んー?」

「うちは所詮弱小です。姉さんの剣闘相手を引っ張ってくるってのも少々厳しいものがありまして。まさに今困っていることを解決できないってのも……こう、気おくれする要素っすかね」


 エリスは小さなため息をついた。善人であることに疑う余地など無いが、それでやっていけるのかと思う。

 追加の酒を注文しようとグラスを掲げたところで、勢いよく扉が開いた。当然皆が注目する中、入ってきたのは大柄の男。


「エティン!」


 この間、エリスが腕を捩り折った――ガドルだったか。目が合うと奴は苦々しく顔を歪めたが、どうやらそれどころでは無いらしい。


「どうしたんだ?」


 言うと同時にエティンは席を立った。言葉とは裏腹に、察しはついているようである。


「連中が……」

「わかった」


 カウンターに硬貨を置いて、駆け出す。その背中にエリスは声をかけた。


「いいの?」


 様々な意味を含んだつもりである。


「大丈夫っす。じゃあ姉さん、そのうち、またここで」

「……はいはい」


 扉が閉まり、奇妙な沈黙、そして再びのほどほどな喧噪。

 ――あたしも帰るか

 追加を諦め、エリスも硬貨を店主に渡した。


「また来ます」

「お待ちしてますよ」


 いつものやり取りをして、エリスは店を出た。




 夕方の終わり、夜の始まり。普段よりもずいぶんと早い帰り道は、どこか幻想的な色に染まっている。

 地区の質に見合うような凸凹さを誇る石畳を歩いて、自分の家へとてくてく帰る。少ない人影、静かな路地。漂う香りは夕食のそれだろう。慣れた道を歩けばそれだけで心が落ち着く――はずだというのに。

 

 ――なんだ?

 違和感。何かがひりひりと首筋を撫でる。高まりつつある魔力を確かに感じる。場所は――たぶんエリスの家の近くだ。

 走った。石畳を踏みつけるように、それでいて音は殺して。

 

 そうして帰った家の周囲には、六人程度の人影があった。

 全員帯剣している。それらに立ちふさがるように、そして守るように玄関の前で腕を組んでいるのは、ドゥーガだ。

 エリスはあえて速度を緩めた。わざとらしくコツコツと音を立てて、ゆっくりとその『場』に近づいた。

 

 皆が気づく。敵も、味方も。

 ドゥーガと目が合う。彼の顔は、まさに戦士のソレになっている。

 落ち着けるため、ではなく、かといって挑発のためでもない。

 帰ってきたのだ。だから最初の言葉は決めていた。


「ただいま」


 幾分か、ドゥーガはほっとしたように見えた。

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