おにぎり、干し芋、金柑の甘煮
悲鳴を契機に、突入した機動班は、あたり一面、真っ赤という、大変な惨状を目にして、声を失った。
部屋の中は、物凄い匂いがする。
しゅーしゅーという、ガスと、生臭い匂いと、それから……。
機動班の隊長は、真っ先に、ガスの元栓を閉めた。隊員がなだれ込み、窓を開ける。
女3人は、重なって蹲っていた。一番下の小6の女の子に、母親が覆いかぶさり、その背中を抱くようにして、小柄な祖母が、手を回している。
永瀬一朗は、右手を前に突き出したまま、凍ったように、突っ立っていた。
カッターナイフは、足元に落ちている。
すかさず、副隊長が、永瀬一朗の足元の、カッターナイフを蹴り飛ばした。
肩に手をかけ、現行犯逮捕の旨を告げると、一朗は、夢から覚めた人のような、顔になった。
天井から、赤い飛沫が、ぽとりと落ちた。
「なに、これ……。赤い……。ヘンな匂い……」
くぐもった女の子の声がした。
……生きてる。
隊長の心に、深い安堵が満ちた。
人質の3人が、順繰りに身を起こした。小6の女の子が、呆然と、真っ赤な部屋を、見回している。
「ほんとだ。臭い……」
一番年嵩の女性がつぶやいた。
「目に沁みる」
と、女の子。
「雪美、顔をこすっちゃ、だめ」
母親が女の子の手を掴んだ。
女の子の祖母が、自分の左手についたそれに、目をやった。
じっと見詰めてから、鼻を近づけて匂いをかぐ。
それから、機動隊長が止める間もなく、ぺろりと舐めた。
「これ……キムチ……」
「キムチぃー?」
女の子とその母親が、互いにそっくりな目を、くりっとさせて、同時に叫んだ。
祖母の女性は、ドア口を指差した。さきほど、彼女が持ちこんだレジ袋が、ぼろぼろになって、落ちている。
少し離れて、本棚のすぐそばに、中が赤く染まった、空っぽの、大きな漬物瓶が、転がっていた。
「発酵して、蓋が飛んだのね。今年初めて、チャレンジしたのよ。あら。私だけのミスじゃないのよ? キムチって、日本のものじゃないもの。いくらベテラン主婦でも、こういうこともあるってこと」
「はあ」
「長丁場になると思ってさ。差し入れを持ってきたのよ」
「だからって、キムチ……」
「キムチだけじゃないわよ。ほら……」
祖母の女性は、近くに転がっているレジ袋を手繰り寄せた。
「何しろ急なことだったんでね。おにぎりを握る暇ぐらいしか、なかったわ。でも、干し芋、金柑の甘煮に、梅干もあるわよ。今年の梅は、ふっくらしていて、豊作だったの。真紀子、あなたの所にも、送ってあげたでしょ」
「……フランスでは、お米が高くってね。ワインに入れて飲むのも、合わない気がしたけど」
ぼんやりと、女の子の母親が答える。
「梅干し……。夏、パパと美弥と一緒にお母さんの所へ行った時、飛行機の酔い止めにって、ババァ、持たせてくれたよね……」
と、小6の女の子。
「ババァはやめなさい」
「ご無事で、何よりでした」
起動隊長は、3代の女たちに、敬礼した。