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専業主婦!  作者: せりもも
第5章 ケルベロスと赤い爆弾
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真打ち登場


 真紀子は、警察から渡されていた鍵で、玄関のドアを開けた。

 中は、しんとしている。


「来たわよ。雪美の母親よ。雪美を、返して!」


背後で、バネの力で、ばたんと、ドアが閉まった。


「雪美! 雪美!」



「お母さん……」


 弱々しい声が聞こえた。

 2階からだ。


 黒のローファーを脱ぎ捨て、真紀子は、ためらわずに、階段を登っていった。


 2階の、南向きの、一番いい部屋に、雪美はいた。


 だがそれは、想像していたのとは、およそ、かけ離れた姿だった。


 雪美は、回転椅子に後ろ向きに座り、背もたれに顎を乗せて、足をぶらぶらさせていた。

 拘束されている様子は、全くない。



 「来てくれたんだ」

意外そうに、雪美は言った。


「あ、当たり前、じゃない……」

真紀子は絶句した。



 雪美の足元では、両手両足を、ガムテープでぐるぐる巻きにされた男が、転がされていた。

 口にも、大きく、ガムテープが貼られている。



 何の説明をするでもなく、雪美は、言った。

「今まで、私の用事で来てくれたことなんて、なかったじゃない?」


条件反射のように、真紀子は、答えた。

「仕方ないじゃない、仕事があったんだから」


「そうそう、仕事、仕事」

歌うように、雪美は言った。

「いっつも、いっつも、仕事があるんだよね」


「あなた達の為に、働いているのよ。お金を稼ぐのは、あなた達の為。少しでもいい教育を、つけさせてあげたいの」


「そのコート、プラダだよね」

雪美は意地悪く笑った。

「指輪はブルガリ。小学校の友達のお母さん達は、そんなの、持ってないよ」


「それは、公立だからよ。世の中にはね、雪美。もっと違う世界もあるの。そりゃ、専業のお母さん方よりは時間は取れないけど、私は、いつだってあなたのことを考えているのよ」


「やめてよ」


 初めて、雪美の声に感情がこもった。

 深くこもった、怒りの声だった。


「何を言っても、仕事、仕事。私のことも美弥のことも、放りっぱなし。ご飯も作ってもらえない。服も、何日も、洗ってもらえない。だから、小学校4年の時から、臭いって、いじめられてた。知らなかったでしょ?」


「そんな……」

初耳だった。


「勉強を見てくれたこともない。参観日に来てくれたこともない。運動会も文化祭も、ちょこっとのぞくだけ。雨が降って延期になると、もう、来ない。……なぜ私が、中学受験したいと言ったか、わかる?」


「それは、やりたい仕事に出会う為。よりよい人生を歩む為」


「ばっかみたい」


 雪美は噴き出した。その拍子に、ぶら下げた脚が、転がされた男の頭を蹴り、男は、うめき声を上げた。



「ね、雪美、その人……」


「私が受験をするのはね」


 焦る母に、取り合う気配もない。

 何かに操られるように、雪美は話し続ける。


「それはね。専業主婦になる為だよ。お金をたくさん稼ぐ男を捕まえて、楽して暮らす為。いい学校、いい職場を選ばないと、そういう男は、いないからね」


「許さない!」


 異様な状況も忘れ、真紀子は、叫んだ。


 自分の母親のようなつまらぬ人生を歩ませるために、専業主婦として家庭に埋もれさせてしまう為に、この子を塾に通わせ、お金をかけてきたわけじゃない。

 その費用を捻出する為にも、自分は、一生懸命、仕事を続けてきたのだ。


「自立しなきゃ、だめよ。そんな、男の腕にぶら下がって生きるような娘に、育てるつもりは、ない」


「お母さん、仕事、辛い辛いって、言ってたよね。子どもの為に、頑張って働いてるって。……なぜ、そんな辛い道を、自分の娘に歩ませようとするわけ?」


「辛いばかりじゃないわ。仕事がうまくいった時の達成感。大勢の人とバランスをとって付き合っていく、充実感。仕事って、素晴らしいものよ」


「やっぱり、楽しいんじゃん。子どもといるより」


 真紀子は、咄嗟に、返す言葉が出なかった。



 「ピン、ポーン」


 その時、場の空気にまったくそぐわないチャイムの音が、のどかに鳴り響いた。

 一瞬の間も空けずに、階下のドアが、ガチャリと開く音がした。


 こんなせっかちな人を、真紀子は、一人しか知らない。

 雪美も同じだった。

 ふたりして、はっと振り返る。



 その人物は、もう階段を上りきり、開けたままのドアの向こうに立っていた。

 両手に、大きなレジ袋を、いくつも提げている。



「ちょっと。なぜ、この大事な局面に、祖母を差し置いて、母親を呼ぶの! 雪美の世話をしてきたのは、この、私なのよ!」



「ババァ」

「お、お母さん!」


雪美と真紀子が、同時に叫んだ。



 雪美の足元で、ガムテープでぐるぐる巻きになった男が、絶望的なうめき声を上げた。









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