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専業主婦!  作者: せりもも
第1章 PTAモンスター、爆誕!
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夜間の電話


 外遊びから帰ってきた美弥は、姉の帰りを待つことはできない。

 まるで狼のようにお腹を空かせていて、青魚だろうが白身の魚だろうが、頓着せずに口に詰め込む。


「おいしい?」


尾頭つきの魚を、丸ごと、手間隙かけて作った料理だ。聞かずにはいられない。


「チーズが焦げてるとこがおいしい」


口いっぱいほお張ったまましゃべるのは行儀が悪いが、「おいしい」という言葉が出た時点で、たしなめるのはやめにする。


「ご飯が終わったら、宿題を済ませてしまいましょうね」

「宿題、出なかったよ」


「え? 嘘。教科書の朗読とか、漢字の書き取りとか、計算ドリルとか……」

「出てないよ」

いやにはっきりと断言する。



 教科書は、ノートと見まごうばかりに薄くなり、その上学校は、宿題まで出さなくなったのか。


 保護者がしっかりと勉強を見てあげなくては。



「じゃ、ご飯の後で、今日習った漢字を教えてくれる? 足し算の競争もしてみようか」


「ううん、どうしようかな……」

既に入浴をすませ、お腹も満ち足りつつある美弥の目は、とろんと潤んだようになっている。



 仕方がない、眠いのに無理に勉強させるのも酷かな、まだ学校に上がったばかりだし、焦ることはないかもしれない……。


 血のつながりゆえの情けが、将来を憂う気持ちに待ったをかける。毎日、葛藤を繰り返し、その中で、少しずつ、少しずつ、机に向かわせている。




 美弥が、最後に残ってしまった温野菜のサラダに悪戦苦闘していると、電話が、かすかに、グーッ、と震えた。


 うちの電話は、コール音が鳴る前に、幽かに震える。

 来るぞ、と思っていると、果たして、ルルルルーッ、ルルルルーッという威勢のいい音が、主婦と子どもだけの静かな部屋にあふれた。



 電話は、好きではない。家庭という安全なシェルターに、強引に外から接触されるようで、受話器を上げるまでしつこく鳴る続ける呼び出し音には、時に、脅威さえ感じる。


 しかし、私は子どもではない。家庭に閉じこもって外界からの接触を絶ってしまうようでは、主婦は務まらない。



「はい」


このご時世、こちらからは名を名乗らない。相手は、一瞬、詰まったようだったが、すぐに問いかけてきた。


「近藤、美弥さんのお宅ですか?」


もう若くはない、女の声。私の胸が、とくん、と鳴った。この声は、知っている。


「はい、そうですが」


「私、希望が丘小学校の似鳥(にとり)と申します。近藤美弥さんの担任をしております」



 似鳥先生には、入学式の時に会っている。大切な子どもを預けている先生だもの、声を一度聞いたら、忘れない。



 「あ、どうも。いつも美弥が大変お世話になっております」


 丁寧にご挨拶申し上げたが、心臓はもう、割れ鐘のように、どっきんどっきん鳴り響いている。

 良い予感、悪い予感。心の中で、めまぐるしく入れ替わる。昔、初めての恋を告白をした時のように。



「美弥さんのことなんですが……」


 挨拶を返しもせず、似鳥先生は口ごもる。美弥が、何か素晴らしい偉業を成し遂げたのか。市の展覧会に入選したとか。或いは、……。


 薄墨のような不安が流れてくる。

 トラブル?


 まさか。うちの子にかぎって。


 早く、早く。早く続きを話して欲しい。



「実は今日、お友だちの小早川こばやかわ君に噛み付きまして」

「はあ」


あまりに思いがけなくて、間抜けた声しか出ない。


「なんでもね、小早川君の背中に、くっきりと歯型が残っていたとかで。電話がありまして、小早川君のお母様から」

「はあ」


「ですからね、おうちの方から、小早川さんに、お詫びの電話を入れてほしいのです」



「ちょっと待って下さい」

ようやく思考がまわるようになって、私は慌てて口をはさんだ。

「その、美弥がやったというのに間違いはないのですね」


「ええ、それは、小早川君もはっきり言ってますし。それに、周りで見ていた生徒も大勢おります」


証人あり? それはやばい。


「ええと、噛み付いたのは、悪いことですね。はい、それは、そう思います」


「では、おうちの方から、小早川さんにお電話を入れて下さい」

緩やかな口調で、似鳥先生は言った。こちらが非を認めたからだろう。


「あの、美弥は、理由もなく相手のお子さんに噛み付いたのですか?」


「休み時間で、ちょうど私がいなかった時でね。子ども同士のけんかでしょう。ただ、小早川君の背中に、歯型が残っちゃってるものですから。保健室にも行きましたし、まだ、傷が残っていると、お母さんがおっしゃるのです」


似鳥先生は再び、小早川家で詫びの電話を入れるように促した。


「とにかく、怪我をさせてしまったのは、確かなのですから」


怪我? 


「相手のお子さんは、病院へ?」

「いえ、そこまでは。ただ、かなり深い歯型が残っていると、お母さまが」

歯型がついたくらいで、病院へ行くわけがない。


「一方的に、美弥が悪いのでしょうか」

「電話があったのです。小早川君のお母さんから。何分、怪我をさせてしまったわけですから。今夜のうちに、是非、お電話を」


 何が何でも、私から詫びを入れさせたいようだ。



 言いたいことは、山ほどあった。しかし、たかだか30人のクラスメートで、一学年に3クラス、この子たちとその親と、6年間、中学も地元なら9年間、つきあっていかなくてはならない。


 先生だって、2年間は持ち上がりだ。


 それに……。そう。私は、モンスターではない。



「わかりました。これから、電話します」

「そうして下さい」


あきらかにほっとした口調で、似鳥先生は言った。









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