表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
専業主婦!  作者: せりもも
第4章 関所で井戸端会議
38/45

女の子が1人、女の子が2人、……


 近藤雪美こんどうゆきみが塾の日曜特講から帰ってくると、大通りから、家のある通りへ曲がる角のところで、隣家の、幸島こうじまさんの奥さんが、タバコを吸っていた。足元には、大きなシベリアン・ハスキーが蹲っている。


 幸島さん夫婦は共働きで、夜遅くや朝早く、家の前の道路で、シベリアンハスキーのタローと遊んでいる。リードを外して、犬の好きなように、走らせている。


 犬友達が、一緒のこともある。


 眠っている時間なので、雪美の家族は、誰も知らない。雪美は、受験勉強で起きていたりするから、時折、窓の外から、掛け声や、大人がばたばたと走る音、犬用のボールが、きゅっきゅっと鳴る音が聞こえたりして、気がついたのだ。



 「あら、ユキちゃん、お帰り」

煙を吐き出して、幸島さんの奥さんは、言った。


「こんにちは」

雪美は、軽く会釈する。


 雪美のことを、「ユキちゃん」と呼ぶのは、この夫婦だけだ。雪美は、それが、ぼんやりと不快だ。


 幸島さん夫婦には、子どもがいない。休日には、大きな車で遊びに行ったり、留守なことも多い。


 今日は、こんな、何もないところで、何をしているのだろう、と、雪美は、不思議に思った。

 大通りからの曲がり角で、カーブミラーがある以外、本当に、何もないのだ。



 雪美の心を見抜いたように、幸島さんの奥さんは、苦笑した。


「関所がね……」

「あ……」


「上橋さんと、お宅の……」

幸島さんは、言葉を濁した。


 雪美は、走って逃げた。



 雪美だって、外出先から帰ってきて、家の前に、上橋さんがいると、うんざりする。ましてや、おばさんたちの井戸端会議などが開催されていたりなんかしたら……。


 幸島さんは、まだ若いし、内気な人なので、それだけで、休日の外出を取りやめることもあると、前に言っていた。


 それに、道路で遊ぶ子ども達もいやだと、吐き捨てるように、雪美に言った。挨拶しても、無視されるし、子どものいない身には、どういう顔で、脇を通っていいか、わからない、と。


 雪美は道路でなんか遊ばないので、そんなことを言われても、お門違いというものだった。きっと幸島さんには、近所の子どもは、みんな一緒くたに見えるのだろう。



 だが、「関所」に関しては、ソフトな苦情だったのだろう。雪美が子どもだったから、言えたのだ。


 なにしろ、「関所」には、雪美の家族も、参加しているのだから。


 今日も、きっと、ユイラちゃんがいなくなったことを、延々、しゃべっているのだろう。それとも、連日の、斉藤さんの、ものすごいケンカについて?


 そこを通って、家に入らなければならない。


 ……ああ、憂鬱。



 だが、家の前には、誰もいなかった。

 玄関の鍵も閉まっている。


 買い物の途中で、上橋さんに捕まったのを、なんとか振り切ったのだろう。


 拍子抜けした思いで、門まで戻る。

 門柱の陰に、合鍵が、隠してあるのだ。


 珍しく、斉藤さんの家は、窓が閉められ、しんとしている。幸島さんは、さっき、大通りにいたから、こちらも、静かだ。



 門柱をまさぐっていると、呼ばれた気がした。


 家の前の道路には、誰もいない。子どもたちも、背後霊のような、そのお母さんたちも。


 こんなことは、初めてかも。

 この辺り、こんなに静かだったんだ……。


 きょろきょろしていると、お向かい永瀬さんの2階の窓で、何かが揺らぐのが見えた。


 いつも締め切りの部屋だ。

 白い顔が、僅かに覗いた。


 あれ……?

 ちょっと引っかかったが、たいして気にしなかった。


 不意に、甘酸っぱい、強い匂いがした。

 鼻が冷たい、と思った。

 雪美の全身から、力が抜けた。







 斉藤ユイラは、泣いていた。


 御飯は、ちゃんともらえる。永瀬さんのおばちゃんは、ユイラのママよりも、料理が上手だった。冷凍食品やレトルトなど、チンするだけのおかずなど、一度も出てはこない。


 「ごめんね、ごめんね」


 2階の、ユイラの所に食事を運んで来るたびに、おばさんは、謝った。

 けれども、決して、ユイラを外に出してくれようとは、しなかった。


 そんなおばさんを、お兄さんは、時々、ひどく殴った。


 それが、ユイラには、一番、怖かった。



 お兄さんは、いつも、ユイラと一緒の部屋にいた。眠るときも、だ。


 けれども、決してユイラに話しかけようとはしなかった。それどころか、ユイラの方を、見も、しなかった。


 手足を縛っていた縄は、3日目には、解かれた。

 その頃には、ユイラの体は、恐怖に凝り固まってしまって、逃げ出すことなど、到底、考えることさえ、できなくなっていた。



 あの日。

 ママと、マリンと、マリンの友達と、ハルンとアムトと、アムトの友達と、エレナとセイヤと、もっといたかもしれないけど、みんなで、楽しく遊んでいた。


 そのうち、思いついてユイラは、お向かいの永瀬さんの塀の上に登ってみた。


 塀は、2メートルほどの高さだった。けっこう、スリルがある。幅は、ちょうど、ユイラの片足くらいの広さだ。


 ゆっくり歩いてみる。学校の平均台のようで、楽しかった。学校のより、高さがずっとあったので、スリルがあって、おもしろい。


 すぐに、妹のマリンが真似をしてよじ登る。よろよろしていて、ろくに歩けない。マリンの友達は、下で見ていた。


 一番下のセイヤが、ユイラを指差して泣き出した。

 自分も、あの上に上りたい、と言っているのだ。


 あんまり泣くから、ママが抱き上げ、永瀬さんの塀の上に登らせた。もちろん、下から支えている。


 得意そうなセイヤは、ちょっと、憎らしかった。



 へっぴり腰のマリンは、登った場所で立ち往生していたし、つまらないので、ユイラは、一人で、塀の上を、ずんずん歩いていった。


 すぐに塀は、かくっと曲がり、敷地の奥の方へと続いていった。


 ちらとママの方を見たが、セイヤにかかりきりだったので、ユイラは、そのまま、奥へ進むことにした。


 初めて見る、永瀬さんの庭だ。

 草ぼうぼうで、どっかその辺の、荒地のように見えた。

 家も古く、窓は締めっきりである。


 誰もいないようだ。


 平均台歩きにもだいぶ、慣れた。

 随分、早く歩ける。


 庭の奥まで行き着いた。

 そこでまた、90度の曲がり角があり、家の裏手へと、塀は、続いている。


 家の陰になっていて、ちょっと、寒かった。でも、もう一回曲がったら、道路へと戻れるのだろう。


 誰かの視線を感じた。下から見上げているような……。


 まさかね。

 ユイラは、スカートを上から押さえつけた。


 日陰の塀は、ちょっと、湿気っていた。


 あ、と思った時、ユイラは落ちていた。

 初めて見るお兄さんが、そこにいた。


 お兄さんは、言った。

「空から、女の子が落ちてきた」

 そのままユイラは、家の中へと、連れ込まれた。







 誰かの泣き声が聞こえる。

 初めは、猫の声かと思った。にゃーにゃー、にゃーにゃー、うるさい。


 いいかげん、静かにしてよ。漢字が覚えられない……。


 そう思った時、だんだん焦点が合ってきて、雪美は、知らない部屋にいるのに気がついた。


 無造作に、安物のカーペットの上に投げ出されている。なぜ安物かというと、体の下に、フローリングが痛かったからだ。掃除もろくにされていないとみえて、立て続けに、くしゃみが出た。


 わ。喘息の発作がでちゃう。



 一気に、意識が戻った。

 雪美の隣の猫は、人間の女の子だった。うつむいて、泣いている。



「ユイラ、ちゃん?」

女の子は、ぱっと、顔を上げて言った。

「死んでなかったの?」


「……ここは?」

頭がぼんやりしたまま、雪美は尋ねた。


「永瀬さんち。お向かいの」

「ああ、そうだった」


 雪美は、永瀬さんの家の、いつもは締め切りの窓から、白い顔が見えたのを、思い出した。

 その時、ちょっと引っかかった。

 いつも覗いてる、引きこもりのお兄さんの顔じゃなかったから。

 ……あれは、ユイラちゃんの顔だったんだ。


 思わず雪美は尋ねた。


「何してんの、こんなところで」

「連れてこられたの。おうちに帰りたい」


「帰ればいいじゃん」

「外に出られないの」


「なんで?」


 ユイラちゃんは、必死に考えているようだった。

 雪美は体を起こした。少し、頭がぼんやりするが、どこも痛くない。


「帰ろ。私、勉強しなくちゃならないし」


 ユイラちゃんの体が、固くなった。

 雪美の背後を、じっと見ている。


 雪美は、振り返った。


 そこには、若い男が立っていた。

 白い四角い顔、まばらな無精ひげ、四角く切った、奇妙な髪型……。


「誰……?」


男は言った。

「永瀬一朗(いちろう)。ここんちの、お兄さんさ。この辺のババアどもには、引きこもりって、言われてるだろ」


 男は、不気味に笑った。いやな匂いがしそうな、脂じみた笑いだ。


「女の子が、2人になったね……」









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=950015945&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ