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専業主婦!  作者: せりもも
第3章 隣の道路族
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入れ替わりの激しい隣家


 その上橋さんが、うちのチャイムを鳴らしたのは、昼少し前のことである。


 私は、夕食の買い物に出かけるところだった。夕方になると込むので、いつも、空いている昼の時間帯を狙うのだ。



 「ねえねえ、聞いた? 斉藤さんのこと」


 コートを羽織った私を、家の中へ押し込むようにして、上橋さんが話しかけてくる。

 仕方なく、私は答えた。


「聞いたわよ。ユイラちゃん、帰ってないんですってね」


「その話じゃなくって」


「え? 子どもが行方不明よりも、重大な話って、あるの?」


「ユイラちゃんのことなら、知ってますよ。遅くまで一緒に探してあげて、でもいなくて、だから、ひょとしてお宅にいるんじゃないかしら、って教えてあげたの、私だもん」


「やっぱりねえ。斉藤さん、半狂乱だったわよ。私が車で跳ね飛ばして、隠してるって思ったみたいよ。警察だって、訪ねて来たんだから」



やっぱりこの人と付き合うのは、やめよう、と、本心から思った。



「あなただって、私が、酒井さん一家を追い出した、って、刑事に言ったでしょ」


 恨みがましい目をして、上橋さんが言う。


 酒井さんは、前に、隣にいた一家である。

 子どもの放火未遂事件をきっかけに、お母さんの実家に引っ越していった。

 まあ、直接のきっかけはそうかもしれない。だが……それ以前に……道路でのボール遊びについて、上橋さんが、関係各所に苦情を入れたのは、ほぼ、間違いない事実だ。少なくとも私は、そう、睨んでいる。



「あなただって、上橋さん。前に、私に向かって、同じことを言ったじゃない。しかも、メンと向かって」


 上橋さんは、いいひとぶりだ。道路でのボール遊びがうるさいのは、自分も同じだったろう。むしろ、音に怯える姑がいる分、辛い思いをしていただろう。

 それなのに、まるで私が、酒井さん一家を追い出したかのような物言いをした。

 そのことを、私はまだ、根に持っている。


「陰で言うより、いいじゃない?」


 私の皮肉も、一向に、上橋さんには応えない。


「よかないわよ。それに私は、酒井さんがうるさいって警察に苦情を言ったのは、上橋さんだって、言っただけ。追い出したとまでは言ってないわ」


「やっぱり、あなただったんだ」

「事実でしょ」


 しばらく、お互いに、にらみ合った。

 上橋さんが、蒸し返す。


「あなたね、車を運転しながら、悪態吐くからよ。お向かいの永瀬さんだって、聞いてたわよ」


「仕方ないじゃない。ただでさえ、運転、怖いのに、子どもらが、ちっとも、よけないんだもん」


「だったら、車になんか、乗らなきゃいいじゃないの」


「そういうわけには、いかないの」


「ふん。いずれにしろ、あれから斉藤さん、お宅に行ったんだ」


「やっぱりって、あなたねぇ! ……斉藤さんはなんでまた、ユイラちゃんがいないからって、まず、上橋さんちへ行ったわけ?」


「うちが信用できるしっかりした家庭だからよ。決まってるじゃない」


 お宅と違って、とは、さすがに上橋さんは口にしなかったが、私の耳には、はっきりと聞こえた。


「あれは、7時過ぎだったかな。しばらく、一緒に、あちこち探してあげてたのよ。でも、ほら、うち、おばあちゃんがいるでしょ? あまり長く、放っておけなくて」


「それにしても、あんなにたくさん、ママ友だか親戚だかが、出入りしてるのに。なんだってまた、わざわざ、上橋さん……?」

イジワルなのに、は、口の中で言う。


「一通りは、電話をかけたみたい。でも、どこにもいなかったって」

「誰も、一緒に、探してくれなかったんだ」


「そういうことになるわね」

「かわいそう、かも……」


 ゆうべ、家に戻ったら、ママ友の誰かにでも、応援を頼むのかと思たが……。


「お宅だけじゃなくて、幸島さんや永瀬さんにも聞いてみたら、って言ったのよ」

上橋さんの口調は、どこか、弁解くさかった。


「でも、幸島さんは共働きで帰りが遅いし、永瀬さんは、灯りがついてたけど……」


 幸島さんは斉藤さんと反対隣の家で、永瀬さんは、向かいの家である。


「ああ、お兄ちゃんしかいなかったんでしょ。奥さんは夜間のパートだし、あのお兄ちゃん、引きこもりだから」

私が言うと、上橋さんは、頷いた。

「そうなのよ」


「ところで、斉藤さんの、お父さんは?」


「その話よ、私がわざわざ来たのは」

「ヒマだからじゃなかったの?」


「失礼ね。忙しいわよ。寝たきりの、おばあちゃんがいるからね。あのね、穂波ほなみさんが、見たんだって」


 共通の、ウォーキング友達である。もちろん、穂波さんも、今では、ウォーキングを止めている。理由は……。言わずもがなである。


「見たって、何を?」


「うふふ」

上橋さんは、不気味に笑った。

「斉藤さんのお父さんがね。女の人と歩いてたの」


この手の話に、私は、取り合わない。

「そりゃ、人類の半分は、女だからね」


「腕組んで、夜の繁華街を、しっとりと……」

「斉藤さん母だったんじゃないの?」


「違うわよ。あのお母さんが、子どもをおいて、外出できるわけ、ないじゃない」

「それもそうね」


「穂波さんが言うには、奥さんよりも、遥かに、若かったって」

「また、物好きな……」


「おミズじゃなくて、普通の感じの人だったって。かえって、タチが悪いわね。タデ喰う虫も好き好きって、やつ?」


「じゃ、ひょっとして、ゆうべも?」

「ゆうべどころか! ここ数日、帰ってないわよ」

「なんとまあ」


「隣にいて、あなた、何にも、気がつかなかったの?」

「気がつくわけ、ないでしょ。昔の長屋じゃ、あるまいし」


「長屋とおんなじよ。声、筒抜けだもん」

「斉藤さんも、窓、閉めとけばよかったのにね」


 そうすれば、父親が帰らないなどという重大な事実が、隣人……しかも、意地悪な方……に、漏れることはなかったのに。


 確かにうるさい一家ではあるが、しかし、私の家には、そこまで、詳細な情報は、聞こえてこなかった。


 つい、言ってしまった。

「あなた、この寒いのに窓開けて、聞き耳たててたんじゃないの?」


「ま、失礼ね。そんなヒマ、ありませんよ。私は、おばあちゃんの介護で、死ぬほど忙しいんだからっ」


 憤然と、上橋さんは、帰っていった。







 夜、真紀子から電話があった。


「それは、心配ね」

ユイラちゃんの話をすると、真紀子の声が、曇った。

「でも、静かになったでしょ」


「あなたね」

私は呆れた。

「隣の子が行方不明という時に、なんて不謹慎な」


「だって、うるさい、うるさいって、相当、悩んでたみたいだから……」

「それは、雪美の勉強の妨げになるからです」


「受験には、反対してたくせに」

「あの子は、優秀だから、レベルの高い学校へやるのは、親の義務」


「ほ。凄い変わりよう」


「それにね。ちっとも静かでないの。さっきから、ほら、聞こえる?」

「そういえば、なんだか、人の声?」


「海を渡って、フランスにまで聞こえちゃうの? すごーい。大喧嘩よ。斉藤さんの、お父さんとお母さんの」


 怒鳴り声、罵声。

 それに、残った子ども5人の泣き声が、唱和する。


「この騒音の中で、雪美は、勉強してるの。すごい集中力よ」

「そりゃ、どんな学校でも、合格間違いなしね」


「ところであなた、何か用だったんじゃないの? あなたの方から電話してくるなんて、滅多にないことだもの」


「あ、そうだった。急に休暇が取れてね。一時帰国しようと思うの」

「へえ。いつ?」

「明日の飛行機に乗るわ」


「全く、あなたって人は、いつも、突然……。こっちの都合ってものを、考えたことはないの?」


「どうせ、ヒマでしょ? 専業主婦だもん」


「悪かったわね」



 ヒマだから訪ねてきたんじゃなかったのかと言った時の、上橋さんの顔が思い出され、悪いことを言ったかな、と、ちらりと思った。







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