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専業主婦!  作者: せりもも
第3章 隣の道路族
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深夜のアフリカ太鼓


 夜、テレビのドラマを見ていると、インターフォンが鳴った。


 最近では、宅急便の夜間配達などもあるが、夜の来客には、やっぱり不安を感じる。


「はい」

「斉藤です。開けて」


 さしせまった女の声がした。


 斉藤? お隣さんのお母さん? 子だくさんの。

 でも、なんだか、違う人の声のようだ。


 斉藤さんはすでに、庭を抜け、玄関先に立っていた。

 私がドアを開けるのを待ちかねたように、家の中に入り込んでくる。


「うちのユイラ……。ユイラ、いるでしょ」

「ユイラちゃん?」


 最も多く、母親が怒鳴りつけている、一番上の女の子だ。

 確か、小学校の3年生……。


「いませんけど。まだ、帰ってないんですか」


もう9時近い。びっくりしてそう尋ねた。


「うそ。ここにいるはずよ」

「なんで……」


「隠してるでしょ、ユイラのこと!」

「斉藤さん、落ち着いて」


「まさか……。まさか、車ではね飛ばして……」


「なんてこと言うの!」


 むっとするというより、むしろ驚愕して叫んだ。


「そんなことあるわけないでしょ。第一、今日は、車に乗ってはいませんよ。うちの車は一日駐車場に止めてあったの、お宅からだって見えてたでしょ。滅多なことは、言うもんじゃないわ」


 一気にまくしたてた。

 だって、私は、ゴールドライセンスのドライバーだ。その上、毎日、あんなに慎重に運転しているというのに。

 特に、家の周りでは。


 「上橋さんが……」


 斉藤さんは不明瞭な言葉を発した。

 私には悪意の源がだいたい見えた気がした。


 その上で、当面の問題点を洗い出した。


「ユイラちゃんが、いなくなったのね?」

「ユイラ……」


「お友だちの家とか、電話してみた?」


 斉藤さんは、きっとした目つきで、私を見返した。


「うちの子はいつも、家の前で遊ばせています。必ず、私の目の届くところに置いておくんです」


「今日も、外が賑やかだったけど。あなたの楽しそうな声も聞こえてたわ」


 斉藤さんの顔が、歪んだ。


「私も一緒に遊んでたのに。いつの間にか、ユイラだけ、いなくなってた。他の子たちはみんな、いるのに。お友達だって……」


「その、お友達の家には、聞いてみたの?」


「もう、電話をかけてみました。でも、ユイラは、どこにも、いない」


「うちにも、いませんよ」


「もう、ここしかないのよ。隠しているに決まってる。きっと、車にはねられて、大怪我をさせられて……。かわいそうな、ユイラ! ユイラ!」


 突然、斉藤さんは、私を押しのけて、家に上がりこもうとした。



「ちょっと、斉藤さん、ちょっと!」


 私は驚いて、斉藤さんの後を追った。

 斉藤さんは、土足だったのである。


 ユイラ、ユイラ、と叫びながら、斉藤さんは、一階を走り回った。

 トイレや風呂場はもちろん、和室の押入れまで開けてみる徹底ぶりである。


 キッチンのシンクの下の戸棚を開けられた時は、この人、正気でないな、と感じた。


 1階を見尽くすと、斉藤さんは、2階に駆け上がろうとした。



 「斉藤さん!」


 2階には、美弥と雪美がいる。私の声にも、それなりの迫力があったはずだ。今頃2人は、さぞや怯えているだろう。


 何があったのか知らないが、あの子たちは無関係だ。

 いなくなった自分の子どもが心配なのはわかる。だが、少しは配慮してほしい。


 階段に足を掛けたまま、般若のような形相で、斉藤さんは振り返った、

 血走った目で私を見据える。


「靴、脱いでもらえます?」


 いや、私の言いたいことはそんなことではなかったのだが。


 心のどこかで、ここは、家中を見せた方がいいような気がした。

 家中を見せて、子どもがここにはいないことを、はっきりと確認させたほうがいい。


 相手は、子どもを見失った母親である。言わば、手負いの獅子のようなものだ。

 斉藤さんは、素直に玄関まで戻り、靴をたたきに脱ぎ落とした。



 「ユーイーラー!」


 悲鳴のような声で叫びながら、階段を駆け上がっていく。



 呆れたことに、この大騒ぎにも関わらず、美弥は、眠っていた。

 常夜灯を点けたほの暗い室内に、美弥の甘い香りが漂っている。


 斉藤さんは、構わず電気をつけたので、私は、殺意さえ覚えた。


「ここには、ユイラちゃんはいないでしょ。美弥が目を覚ましちゃう。電気を消して」


 怒りを抑え、やっとのことでささやいた。

 部屋に踏み込まれ、クローゼットを開けられでもしたら、本当に美弥が起きてしまうと思った。


 斉藤さんは、黙って電気を消した。



 雪美は、こちらに背を向け、机に向かっていた。

 イヤーマフをつけ、一心に、計算問題を解いている。


 イヤーマフは、私が、四苦八苦して、人生初の、海外インターネット通販で、購入したものだ。スウェーデン製で、人の声の周波数も、ある程度は、シャットアウトしてくれるという。


 もちろん、隣家の騒音対策である。暑いころは、汗ぐっしょりでイヤーマフをしていた雪美が、哀れであった。


 雪美は、斉藤さんが近づく気配に、ぎょっとしたように振り返った。


「ユイラ、知らない?」


 男女の別さえ感じられない固い声で、斉藤さんが尋ねた。


 雪美は、わけがわからぬという顔で、ぽかんと、斉藤さんの顔を見ている。きっと心はまだ、計算の森にでもいるのだろう。


 斉藤さんは、猛禽のように雪美の部屋に踏み込み、ベッドの布団を剥ぎ取ったりしている。


「ユイラ! ユイラ!」


 イヤーマフをつけたまま、雪美は、身じろぎもしない。

 閉められた窓の外から、今夜は、ディズニーのアフリカ太鼓の音が、暴力的にどんこどんこと流れ込んできていた。


 隣家の、斉藤家からの騒音である。

 斉藤さんの様子は、なんだかおかしいけど、この際だと思って、私は言った。


「ねえ、斉藤さん、聞こえる? お宅でかけてる音楽ね、この子の勉強部屋まで聞こえるのよ。ちなみに、うちの窓は、閉まってるから。防音のカーテンもしてある」


「ほんとだ」

斉藤さんはうつろな目で、私を見つめた。


「道で遊ばせる子どもらの声もね。雪美の勉強の妨げになるのよ。お互いさま、と言ったって、うちは、ここまでのことは、お宅にしてないはずよ」


 もっともっと言いたかったが、斉藤さんは、聞いていないようだった。

 だが、これだけは、斉藤さんの耳に手をかけて穴を広げてでも、言って聞かせたかった。


「雪美は、もうすぐ、受験なのよ」



「ババァの方が、うるさいんだよ。毎晩毎晩、うるさくないか、って聞きにきて」

それまで黙っていた雪美が、ふいにつぶやいた。


「なんだ。雪美。聞こえてるじゃないの」

「当たり前でしょ」


「ひどい耳当てね。高かったのよ、それ」

「……」


「勇気を出して、初めて、海外との取引をしたのよ? クレジット払いにしたけど、品物が届くまで、どれほどはらはらしたことか」


 雪美は、黙って肩をすくめた。



 部屋に子どもがいないとわかったからか、斉藤さんは、さっきとは別人のように、ぼーっとしていた。活動的な凶暴さは、すっかり陰をひそめている。


 私は、斉藤さんを促した。

「さ、行きましょう」


「セイヤ!」

突然、斉藤さんが低くつぶやき、窓をがらりと開けた。


 アフリカ太鼓の音が、たちまち大音量となって部屋の中に流れ込んできた。それに負けじと、赤ん坊の泣き声が重なる。


 真向かいの窓は、相変わらず開けっ放しである。

 私は咳払いをした。


「斉藤さん。ね? ユイラちゃんはうちにはいないわ。あなた、ご主人はどうしたの? セイヤ君は、一人で置きっぱなし?」


「お兄ちゃんとお姉ちゃんたちがいる」

斉藤さんは、床に崩れ落ちた。


「いない。いない。ユイラは、ここでもなかった……」

悲痛な声で泣き出した。


「ママー!」

隣家の窓に、小さな頭が五つ並んだ。

「マーマァ!」


 母と赤ん坊を含む子どもたちと、合わせて6人の泣き声が合わさり、凄いことになった。


 私と雪美は、目を見合わせた。









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