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専業主婦!  作者: せりもも
第3章 隣の道路族
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かわいい赤ちゃん


 「セイちゃん、えらーい。すごーい」

 

 外で叫び声が聞こえる。

 もう、30分ほど、同じ意味のことを、叫んでいる。


 雪美と美弥を学校に送り出し、掃除洗濯を済ませ、ほっと一息入れていたところだった。斉藤さんの奥さんが、あまりに長時間、甲高い声で叫び続けるので、外に出てみた。


 声が近いと思ったら、斉藤さんの奥さんは、うちの駐車場で、小さい子どもの手を引いて、歩かせていた。


 えーと。これが、一番下の赤ん坊だったかな? ってゆーか、何か用?



 だが、斉藤さんは、私になど、別に用ありげには見えなかった。

 しいて言えば、子どもを見せびらかしに来た、とか?


 うるさい隣人ではあるが、歩き始めたばかりの赤ん坊は、確かにかわいらしかった。


 引き寄せられるように母子に寄って行き、ひとしきり、お上手(おせじ)を並べた。




 「でも、子どもを道路で遊ばせるのは、危ないわよ」


 ひとしきり、子どもをほめてから、私はさり気なく言った。


 本当はそこは、道路などではなく、うちの駐車場で、現にその子どもは、うちのマーチに抱きついているわけだが、あえてそのことには触れなかった。



 「大丈夫ですよ、親がちゃんとみてますから。私たち、子育てを楽しもうって思ってるんです」


 斉藤さんの奥さんは、にこやかに、そうのたまった。


「子ども達を外で遊ばせるのは、大事だと思うんです。今の子は、家でゲームばっかだから」


 正論だ。

 子ども達という、錦の御旗を振りかざした、完全無欠の正論である。


 私は、全身に力をこめて、愛想笑いを搾り出した。だがそれは、多分に、ひきつっていたと思う。



 斉藤さんは、続ける。

「お宅の雪美ちゃん? 偉いですわね。うちの子たちがわいわい遊んでいる脇を、黙って通って、塾に通ってるんですもの」


 愛想笑いが凍りついた。


 「うちの子たちったら、ちっとも勉強しなくて。でも、子どもは、元気なのが一番」

 おほほ、斉藤さんの奥さんは、一層甲高い声で派手に笑った。



 ちょうどそこへ、職場へ行く幸島こうじまさんの奥さんが通りかかった。


「おはようございます」

 どこか強張った笑みを浮かべて、幸島さんは挨拶をした。


 30代半ばだと思うが、幸島さん夫婦には、子どもがいない。そして、犬を飼っている。大きな、毛むくじゃらの、白い犬である。おとなしい犬だし、室内で飼っているのだが、時折、鳴き声が聞こえる。


 うちは、家がすぐ接しているので、万が一、不都合があると悪いと思い、お使い物を差し上げたりのおつきあいはしている。


 だが、幸島さんも、他の近所づきあいは、あまりしていないらしい。時折、犬友達がやってくるのを見かけるばかりだ。



 「おはようございまーす」


 斉藤さんはほがらかな声で挨拶を返したが、幸島さんは、目を伏せ、軽く会釈をしたきりだ。そのまま、足も止めずに通り過ぎてしまった。


 明らかに、息子をほめてもらいたかったらしい斉藤さんは不満そうだった。が、出勤の途中なのだから、仕方あるまい。



 「あーら、何の騒ぎかしら」


 かちゃりと玄関ドアが開く音がして、大きなゴミ袋を持った上橋さんがやってきた。



「歩き始めたんですって。ほら、かわいいわよ」


 底意地の悪い上橋さんとは、ここのところ、なるべく付き合わないようにしているのだが、赤ん坊のあまりのかわいさに、私はつい、返事をしてしまった。


 

「あらあら、家族に先のある人はいいわね」


 上橋さんは笑った。乾いた目は笑っていない。じっと私を見ている。

 仕方がないので、聞いてやった。


「おばあちゃん、お元気?」

「死にそうもないわよ」



「あの、上橋さんのおばあちゃんって、ご病気なんですか?」

 心配していることを表すためか、眉間に皺を寄せて、斉藤さんはそう尋ねた。


「もう、何年も寝たきりなの。だから私も、ずうーっと、家にいなくちゃならないの。仕事にも出られなくって」


 わが意を得たりとばかり、上橋さんがまくしたてる。

 姑介護の愚痴をこぼす、絶好の機会である。


「まあ。知らなかった」


 のけぞって、斎藤さんが驚く。


 あれだけ大声で、悲鳴をあげるおばあちゃんに気がつかないとは、斉藤家の騒々しさは、推して知るべし、である。


 上橋さんは、苦虫を噛み潰したような顔をして、尋ねた。


「うちのおばあちゃん、うるさくはないかしら?」

「ぜーんぜん。うちも賑やかですからー!」


 ……上橋さん、あんたの皮肉は、通じてないよ。

 私は、突っ込みを入れてやりたくなった。


 とはいえ、斉藤さんの奥さんは、無防備過ぎる。

 優しいおばさんを装ってはいるけど、上橋さんは、コワいヒトなのだ。


 まさか、直球ど真ん中に教えてあげるわけにもいかず、私は、遠まわしに言った。


「おばあちゃん、大きな物音に怯えるんですってね」


上橋さんは、じろりと私を睨んだ。


「戦争経験者だから、仕方ないでしょ。でも、大丈夫。快適に過ごしてますよ。ま、中には神経質な人もいるでしょうけど、気にしないことよ。静かにさせてるなんて、子どもが、かわいそうだもん。ねえ、永瀬ながせさん!」


 最後の一言は、丁度、門から出てきたばかりの、お向かいさんに向けられたものだ。


 私は、子どもがうるさいなんて、心で思いこそすれ、今まで、一言も言ってはいないのだが。


 斉藤さんとこは、うるさい。

 これが、上橋さんの、真実の叫びであろう。



 自転車で、走り始めたばかりの永瀬さんは、いきなり呼びかけられて、ぎょっとしたようにつんのめって、止まった。


「お、おはようございます!」

上橋さんに声をかけられ、明らかに怯えている。


「あなたもそう思うわよねえ」

「は?」


「うちとか、斉藤さんの物音、うるさいかしら?」

「いいえ、うちにも子どもがいますから」



 物音、と聞かれて、子ども、と応えた。

 そりゃ、窓を開けっ放しで大騒ぎをすれば、隣や向かい合っている家は、うるさいに決まっている。


 ただ、言わないだけである。


 ところで、永瀬家には、お子さんが2人いる。2人とも、もう、大きい。娘さんは、この春、東北の大学へ進学して家を出たが、上のお兄ちゃんは、地元の大学を卒業後、引きこもりをしている。



 「ほら、気にならないって、さ」

 

 私の方を見ながら、上橋さんは、言い放った。

 斉藤さんは、にこにこ笑って、立っている。

 

「あのう、私、パートに行かないと」

おずおずと永瀬さんがお伺いを立てる。


「あら、ごめんなさい。引き止めちゃったんでなければいいけど」


 許可が出て、永瀬さんは、矢のように走り去っていった。

 私は、非常に不愉快であった。










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