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専業主婦!  作者: せりもも
第3章 隣の道路族
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ビッグダディ


 酒井一家が引っ越して行った隣家に、トラックが横付けされた。


 新しい隣人?

 そっとカーテンに忍び寄る。揺れるレース越しに、観察する。


 物静かな人たちがいいな。子どもは、いない方が望ましい。

 できたら、老夫婦だけとか?


 雪美は、受験を控えている。

 塾には通わせているが、基本的には家庭学習が大切と、私は思っている。

 雪美は家でも、こちらが感心するくらい勉強している。

 せめて、静かな環境を与え続けてあげたい。


 だが、この家は、かなり古い。密閉度も、従って防音も、完璧ではない。

 願わくば、密接している隣家の窓から、騒音が漏れてくるようなことのないように。

 新しい隣人が、騒ぐ子どもや、凶暴な声で怒鳴る親ではありませんように。


 どうせなら、酒井さん一家の前に隣人だった、大里さんご夫婦のような、物静かな老夫婦であってほしいものだ。



 しかるに、トラックには、子ども用自転車が、どっさり積み込まれていた。

 1台、2台、3台……。


 ん? 何人いるんだ?


 その他にも、荷台に乗り切れなかったものか、トラックの前後にくくりつけられている。

 子ども用自転車3台、大人用自転車2台、それに、三輪車、幼児のがらがらいうプラカー……。


 めまいがしてきた。

 にぎやかな饗宴は、この日から始まった。





 父親が一人で、引越しの挨拶に来たのは、それからしばらく経ってからだった。

 もうその頃には、「ユイラ」「マリン」という二人の名前は覚えてしまっていた。

 あまりにも頻繁に、母親が叫んでいた為である。


 小3を頭に赤ん坊まで、6人の子持ちだと、新しい隣人は言った。

 6人?

 その狭い家に?


 「ユイラ」と「マリン」の他に、「エレナ」と、セ、なんとか、という名前を並べ立てられ、学年年齢まで、いちいち告げられたが、とてもじゃないけど、覚え切れなかった。


 なんだか、ヘンな名前ばかり。

 いったい、どんな字を書くんだ?


「微力ながら、日本の出生率に貢献しているというわけですよ」


斉藤さいとうと名乗った、百戦錬磨という感じの太った父親は、そう言うと、不敵に笑った。


 こいつは手ごわい。

 私は直感した。


 父親一人で、引越しの挨拶に来るところから、すでに、戦い慣れている。ここで、夫婦、あるいは、一家そろって近隣に挨拶に歩くのは、馬鹿である。手の内を明かすようなものだ。


 母親と子ども達は、家でじっと静観の構えである。うっかり挨拶になど同行して、もし相手の事情を知らされ、子ども達を静かにさせなければならない事態に立ち至ったら、大変! というわけだ。


 手馴れている。


 きっと、引っ越す前にも、さぞや近隣の人たちとの壮絶なバトルを戦い抜いてきたのだろう。

 それも、一ヶ所ではなく、数か所を渡り歩いてきたのではあるまいか。



 しかし、私だって、負けるわけにはいかない。

 年が明けたら、雪美は受験だ。家で静かに勉強させてやらねばならぬ。


 「うちには、受験生がおりますの。せっかく本人も頑張ってここまできたんですもの、最後まで頑張らせてあげたいものですわ」


「ほほう。資格試験かなにか……」


「まさか。中学受験ですっ!」


 隣家の父親は、芯から驚いたようである。


 子どもに関して、隣人がどういうポリシーを持っているか知らないが、世の中には、子どもにお金をかけてあげたい家だってあるのだ。


 産んで育てるだけなら、犬にだってできる。

 その先の、人間社会でのよりよい生活を送らせてやりたいという願いを、子沢山家族の騒音などで妨げさせられて、なるものか。


 私は、なんとかして相手をけん制しようと、やっきになった。


 「今はね。塾で勉強させれば家で勉強しなくてもいいなんて家庭も多いようですけど、うちは、ほら、自宅学習を重視しておりますの。わからないところは、私どもでちゃんとフォローしてあげなくちゃいけないし。うちのおねえちゃんは、学校から帰ってきてから、夜、11時過ぎまで勉強しておりますのよ」


「ははぁ」


 隣家の主人は、きょとんとしている。

 きっと、子どもに勉強をさせるなど、思いもよらないのだろう。


「うちは、どの子も、元気だけがとりえでして……」


 わかりきったことを口にする。



 学校や幼稚園から帰宅すると、隣家の子ども達は、赤ん坊を除いて、いっせいに、道路に繰り出す。

 歩いてすぐのところに公園も広場もあるのに、なぜ、家の前の道路で遊ぶのか、理解に苦しむ。


 彼らは、ボールやキックボードなど、大きな音の出る玩具が大好きだ。

 走り回る自転車の補助輪の音、幼児用のプラカーの、凄まじい響きも馬鹿にならない。


 それと、奇声。

 ガラスをひっかくような、すごい叫び声をあげる子がいる。


 休日は、早朝から、常時10人を超える子ども達が、道路を我が物顔に走り回っている。

 計算が合わないわけではない。どうやら、知人友人、親戚縁者も、混じっているようなのだ。


 それと、母親。


 挨拶にも来ないくせに、この母親は、子ども達の倍くらいの声量を振りまいて、はしゃぎまくっている。


 うちのまん前の道路で。



 大里さん夫婦が売り出した隣家は、3LDKの建売り。1部屋は夫婦の寝室に充てるとして、子どもたち5人は、6畳2部屋に押し込まれている勘定になる。

 どうりではみ出してくるわけだ……。



 特に騒々しかった次の日、外へ出た私はあ然とした。

 なにせ、隣家からうちの前を通り越して、三軒隣の家の前まで、道路にぎっしり、チョークで落書きがしてあったのだから。



「ご一家の活躍ぶりは、十分拝見しておりますことよ。皆さん、お元気がよろしくて、なによりですこと」


 わざと、ご一家と言ってやった。

 耳につく叫び声は、主に、母親のものだからだ。


「いやあ。自慢の子どもたちですよ」


 本当に嬉しそうに、斉藤さんの父親は笑った。


 ?

 皮肉も通じないのか?

 手ごわい。手ごわすぎる。


「ま、こちらも、年明け、2月の終わりか、3月には、決着がついておりますから」


 私が言うと、斉藤さんは、きょとんとした顔をした。


「だから、受験」


「ああ、そうそう。中学受験ね」


「ええ。もしかして、その先の、高校受験、大学受験、ま、うちは下もおりますからね、その節はまた、静かな家で、勉強させたいものですわ」


 斉藤さんは、途方に暮れた顔をした。

 恐らく、子ども達を静かにさせておく、その方法がわからないのだろう。


 「お宅にもお子さんがいらっしゃるものね。いずれは、みなさん、受験……。6人もおられると、大変ですわねえ。でも、子どもさん本人が進学したいと言ったら、親の都合でやめさせるなんてこと、できませんものねえ」


 隣家の主人は、遠い目になった。


「今年は、うちの雪美の、生まれて初めての試練ですから、私たち家族としても、できることは何でもして、といっても、たいしたことができるわけじゃございませんけど、でもせめて、静かな環境で思い切り勉強させて、悔いの残らない受験にしてあげたいと願っておりますのよ。それは、でも、どの親御さんも思うことでしょ? だから、お互いさまということで」


「そうそう。お互いさまですからね」

斉藤さんは、けろっとして繰り返した。



 何がお互いさまだ! お互いさまというのは、うちもうるさい場合に言うんだよ。今すぐ静かにしろ! 雪美の受験を邪魔するな!


 こみ上げてきた怒りを、ぐっとこらえ、私は丁寧に頭を下げた。









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