梅の天日干し
雪美が受験をするので、夏休みは、特にどこにもいかず、静かにすごした。
雪美は塾の夏期講習に忙殺されていた。休みを取ったのは、お盆の1週間きりという、すさまじさである。
美弥は、友達と、学校のプールへ行ったり、市民プールへ行ったり、友達のお母さんに遊園地のプールへ連れて行ってもらったり、とにかく、水に浸かって過ごした。
あ、そうか。
子ども達は、行ったんだった、旅行。
近藤がチケットが取れたとか言って、ヨーロッパへ、1週間。
私は、行かなかった。おやこ水入らずで、過ごさせてやったのだ。
出発の前日、庭で梅を日に干していると、雪美がやってきた。
「うへえ、すごい匂い」
「いい匂いでしょ」
15キロの梅が、紫蘇でほどよく赤く染まり、平たい盆ざるにぎっしり広げられている。
あたり一面、梅の、しょっぱい匂いが漂っている。梅雨の頃の、あの、甘い匂いとは、似ても似つかぬ、堂々たる梅干の匂いである。
やはり今年の梅は、出来がいい。果肉が厚く、ジューシーである。
真夏の日差しに当てられて、しょっぱいエキスが、沸騰しそうになっている。
「何やってるの?」
鼻の頭に皺を寄せ、雪美が尋ねる。
「ひっくり返してるのよ。裏側まで陽に当てようと思って」
「へえ」
「手伝う?」
「うん」
珍しく素直に、雪美は菜箸を手にした。
2人で1つずつ、梅を裏返していく。
「旅行、一緒に来ないの?」
さりげなさを装った口調で、雪美が尋ねた。
「チケット、ないもん」
お盆である。
近藤が確保したチケットは、おとな1枚と子ども2枚。それだって、よく取れたものだ。
雪美の塾の休みに合わせて取ったのでプラチナ級だ! と、自慢げに言っていやがったが。
当然、あの男は、私の分など、取りはしない。
「パパに頼んで、チケット、取って貰えばよかったじゃん」
特別大きい梅を箸に挟んみ、ついでのように雪美は言った。
「行きたくないもん」
これは即答。
「ふうん」
しばらく、2人で、黙って梅をひっくり返し続けた。
再び、口を切ったのは、雪美の方だった。
「私と美弥が留守の間、一人で、寂しくない?」
「っぶぇっつにぃー」
「はあ?」
「だから、別に。寂しくなんかないよ。飛行機なんか、乗りたくもないし。長いこと同じ姿勢で座ってると、腰が痛くなるし」
「向こう行ったら、観光、できるじゃん」
「歩き回るの、疲れる」
「素直じゃないの」
深いため息を吐いた。
「行きたくないのは、本当は、私の方だよ」
さりげなさを装った深刻な口調に、私はちょっと、どきっとした。
が、努めて軽い調子で言った。
「あんたこそ。たまには、パパにパパらしいこと、させてやんなよ。おやこが一緒に過ごすって、大事だし」
「ふん」
雪美は鼻で笑った。
姉妹が帰国するとすぐに日常は復活し、雪美は塾に、美弥は友だちとプールに、明け暮れた。
そうして、夏を過ごした。