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専業主婦!  作者: せりもも
第2章 半径2キロの暗闘
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タイヤ公園


 雪美が向かったのは、タイヤ公園だった。

 遊んでいるとうるさいとどなるおじさんのいる公園へ行く途中の、小さな公園だ。


 コンセプトは、「タイヤ」だ。大人の背丈ほどのタイヤが半分地中に埋まって立っており、あちこちに、転がして遊ぶのに適当な大きさのタイヤが置いてある。


 今の季節、スズカケの木が、こんもりと葉を茂らせていた。

 風雨を遮る、大きな木の根元にタイヤが一つ、横倒しに置かれており、その上に覆いかぶさるようにして、美弥はいた。


「美弥!」


 思わず叫んで、走った。

 美弥は、ぼおーっとした声で言った。


「あれ……。なんで来たの?」


「なんでって。夜、一人で出歩いちゃいけないって、あれほど言ったでしょうがっ!」


 情けないことに、第一声が、叱責だった。

 それほど、心配していたのだ。

 私は、まだまだ、修業が足りない。


「おねえちゃん」

 私の後ろにいた雪美に気がついた。

「教えちゃったんだね」


「そうね」

すまして雪美が答えた。



 美弥の腹の下と思しき辺りから、小さな毛の塊がもぞもぞ出てきた。

 情けない声で、みゃー、と鳴いた。


 私は、悲鳴をあげた。


「バレちゃった。あーあ、あした、ユリちゃんとヒメちゃんに、怒られちゃうよ」


「ネコ、ネコ!」


「だから、家に連れて来れなかったんだよ」

ため息をつきながら、美弥は言った。



 そう、私は、猫アレルギーなのだ。同じ家に、この種族がいるだけで、発熱する。


 だが、夜の公園で大騒ぎをするわけにはいかない。ぐっと自制し、美弥の話を聞いた。

 ところどころ、雪美が補う。



 子猫は、捨て猫だった。ユリちゃんの家の裏に捨てられていたらしい。ユリちゃんの家に遊びに行った時、ユリちゃん、ヒメちゃん、美弥の三人が見つけた。



 ユリちゃんちは、ネコを飼ってるんだよ、ネコ好きと見込まれたんだね、と、雪美が付け加えた。



 でも、ユリちゃんちでは、これ以上ネコを飼うわけにはいかない。ヒメちゃんの家には、小さな妹がいて、やはり、ダメ。


 うち? うちも、ダメに決まってる。


 子猫は、ひとりでエサを食べられるくらいの月齢で、飼い猫だったものか、人懐こかった。


 そこで、3人で飼うことにしたのだ。

 スズカケの木が雨風を遮ってくれる、この、公園で。


 エサは、ユリちゃんが持ち出してくれた。



「昼間はいいの。3人でお世話してあげられるから。でも、夜はね、ユリちゃんもヒメちゃんは、都合が悪いの」


「あなただって、都合が悪いのよ!」

「へ?」


「だからぁ、子どもは、夜は、みんな都合が悪いのっ! 一人で外へ出てはいけないのっ!」


「でも、夜、一人だったら、みゅうが悲しむよ。寂しがりなんだ、この子」

「ネコは夜行性だからいいの!」



「明日さあ、ポスター描いてあげるよ。ネコ差し上げますって。明日なら塾、休みだから。ユリちゃんとヒメちゃん、うちに来れる?」

雪美が口を出した。


「うん、予定、聞いてみる」

どうせ、毎日、一緒に遊んでいるのだろうに、美弥は、重々しく言った。


「明日がダメなら、木曜日ね」

雪美が自分のスケジュールの調整をし、アポの指定をする。


 姉妹が相談する様子を、私は脱力して眺めていた。




 何度もみゅうに別れを惜しむ美弥を連れて、公園を後にした。

 ネコの毛がついていそうで、今度ばかりは、美弥と手をつなぐのがためらわれた。


 なかなか歩き出さない妹の手を、雪美が握った。



 「人に、あげちゃうのかぁー」

未練がましく美弥が言う。


「保健所に連れてかれるより、マシじゃない」

「そうだよね」


「近くなら、会いにいけるよ」

「いい人がみつかるといいね」


 それでも、うちで飼いたい、とは、最後まで言わなかった。



 姉妹が仲良く会話している姿を見るのは、久しぶりのような気がした。


 雪美が塾に通い出してからというもの、2人の年齢差が、ぐんと開いてしまったような気がしてならなかった。


 雪美だけが、大人の世界に足を踏み入れてしまったような……。


 それが、こうして同じ話を話している。


 夜だからだろうか。妹と手をつないで歩いているからだろうか。

 雪美まで、小さな女の子に戻ったように見える。


 塾に、行く必要があるのか? 中学受験なんて、本当に雪美の為になるのか?

 少女を、無理やり、大人へと追いやっているような気がする。



 月夜の白い道を、私は2人から少し離れて、歩いた。


 静かな、不思議な時間だった。



 大通りをわき道に逸れた時だった。


 ぱたぱたと軽い足音がしたと思ったら、姉妹と私の間を、通り魔のように、小さな影が駆け抜けていった。


 私の脇にぶつかり、ぼんやり歩いていた私は、たまらずよろけた。


「サカイ・シュンスケ……」


 雪美が、隣家の家の子の名を、フルネームでつぶやく。


 少年は、ふりむきもせず、弾丸のように走り去っていった。

 私たち3人は、ひどくぼんやりとして、それを見送っていた。



 「おおい!」

大人の乱れた足音が背後から響いてきた。革靴の硬い音だ。


「こっちに、男の子がこなかったか?」


 息を切らせながら、スーツ姿の中年の男が聞いた。汗にまみれ、ネクタイは横になびいている。

 中年……。しかし、走れる程度には若いのだろう。


「え?」


 すぐに答えるわけにはいかない。変質者かもしれないではないか。


 変質者がサングラスや黒っぽい服の、いかにもそれらしい格好をしているわけではない、ということは、子ども安全教室の常識だ。

 乱れたスーツ姿というのは、いかにも、怪しい。


 3つ揃った不審顔を見て、男は、鼻白んだようだ。

 


「放火だよ。うちの庭に忍び込んで、カミさんが声を掛けたら、ライターと、テンプラ油をしみこませたテッィシュを落として逃げてった」


男は息を整え、再び、尋ねた。

「こっちに来なかったか?」



「来なかったわよ、ねえ」

なんだかひどく間の抜けた声で、私は答えていた。


「変だな。大通りを折れた所までは見てたんだがな」


「でも、こっちじゃないわね」

「誰も来てない」

「うん」


 私が言うと、雪美と美弥が唱和した。


「もう一本先の道を折れたんじゃない? あそこ、街灯がなくて暗いから」

私がダメ押しをした。



 男は、切らした息の合間に、不審か、不平か、ぐちゃぐちゃと独り言のように言って、立ち去っていった。


 知らないと言われても、話に応じてもらえたお礼を、きちんと言える大人だったら、私たちの返事も、違ったかもね。


 よろよろと歩き去る背中を見ながら、心の中で、そう、つぶやいた。



 申し合わせたように、3人、歩き出した。


「放火魔、シュンスケだったんだね」

ぽつんと、美弥が言った。


「なんで、あんたたち、さっきの男の人に、誰も来なかった、なんて言ったの?」


 雪美も美弥も、シュンスケと仲がいいわけではない。隣に住みながら、互いに無視し合っているという感じだ。


 学年も性別も違うし、小さい頃から一緒だったというわけでもないから、仕方のないところであろう。

 互いの家は、付き合いがないし。


「ババァにつきあっただけだよ」

雪美が混ぜ返す。


 実のところ、私自身にも、なぜシュンスケを逃がしたか、わからなかった。


 スーツ男への反発、というわけではない。あの程度の無礼な男は、掃いて捨てるほどいる。

 専業主婦をやっていると。


 シュンスケという子のことだって、かばってやりたいほど、よく知っているわけではない。

 ただ、母親によく叱られている、ということだけは、知っている。


 強いて言えば、その母親への反感だろうか。



 両手に、酒井さんの家に持っていった破竹の包みの感触を、まざまざと思い出す。

 ……「なんでくれるんですか?」

 投げつけられた奥さんの言葉。丁寧語以外の敬語を一切排した、下賎な言い回し。


 毎朝、8時に車で出勤し、午後6時に帰宅する、酒井ママ。

 あまり、楽しそうには見えない。


 専業主婦の私は、確かに、目障りな存在であろう。

 夜中でも開いたままの窓から、それが、びしびしと伝わってくる。


 その夫は夫で、毎朝、ゴミ捨ての途中、うちの前に、煙草を投げ捨てていく。

 共働きの余裕を見せ付けたいのだろう、フィルターまでまだ、だいぶ残っているのが、踏みにじられて落ちている。



 毎朝同じ銘柄の煙草を家の前で発見し、ほんとに、不愉快だった。

 つまり、同じ人が、毎朝落としていくわけで、不気味なことこの上もない。


 誰かの恨みでも買ったのか?


 すると、酒井・夫がうちの前に煙草を投げ捨てる現場を目撃したと、上橋かみはしさんが教えてくれた。

 上橋さんは、近所の主婦仲間で、一緒に、早朝ウォーキングをしていた。私の方は、今は挫折しているけど。


 ははん。

 納得した。


 働く妻のイライラを、隣の呑気な専業主婦にぶつける手伝いをしているわけね。だから、毎朝、うちの前にタバコの吸い殻を捨てることを日課にしているわけだ。


 夫婦円満で、およろしいこと。


 この夫婦が離婚するかどうか、上橋さんと私は、賭けている。

 私は、ためらわずに、離婚する方に賭けた。


 煙草のポイ捨てが、誰の仕業か知ったばかりだった。妻のストレスを夫が晴らすという、この婦唱夫随ぶりを熟考し、判断材料に加える時間が、なかったのだ。


 賭けとしては、失敗したと思っている。


 しかし、個人的には、他人の不幸は蜜の味、あらまほしき結果に賭けたといえよう。


 現在、長期定点観察中である。



 そのイヤミな母親が、仕事のストレスだか稼ぎの少ない夫への不満だか知らないが、うっぷんをぶつけている。


 隣人と同じように、自分の産んだ子どもにも。



 だったら、味方してあげる。この場は、逃げるがいい。

 スーツ男にシュンスケのことを教えなかったのは、強いて言えば、そういう気持ち……、かな。


 他に特に理由なんてない。

 隣がどうなろうと、知ったこっちゃないもの。




 「なんでかなあ」

 間が抜けた声で、美弥が言った。

 目をこすっている。眠いのだ。


「あの子ね。夕飯、食べさせてもらえない夜も、けっこうあるみたい」

ぽつんと雪美が言った。



 美弥は、シュンスケと家が近いせいで、あらぬ疑いをかけられたのだ。本来なら、今から、隣家へ怒鳴り込んでもよいくらいのものだ。

 だが、雪美の一言で、こみ上げてきた怒りが、すうーっと、消えていった。


「怒られて外へ出されて、塾から私が帰ってくる頃、まだ、外にいるよ」


 夜の、9時過ぎまで。

 全然、知らなかった。


 「それって……」


 ……虐待じゃない?

 言いかけた言葉を、私は飲み込んだ。



 「夏が終わったら寒いだろうね」

雪美が言う。


 私も、そう思う。









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