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専業主婦!  作者: せりもも
第2章 半径2キロの暗闘
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ズボンの裾上げ


 「でも、信じてもらえて、良かったねー」

明るい口調で、美弥が言う。


「当たり前じゃん、美弥は、いい子だもん」

ライトをつけて、小さな子ども用自転車を追いかけながら、私は言った。


「明日先生が、みんなにも、言ってくれるよ。もう、美弥ちゃんのこと、悪く言ってはいけませんって」


「宮部君たちも、わかってくれるかな」


「わかるわよ。止める人がいれば、止まる程度の悪口だもん」


 心軽く、自転車をこぐ。夏の空気が、甘く香る。



 家の前まで来た時だった。


「もおおおおーっ! どーして、そーなのっ! いっつも、そうっ!」


 山姥を思わせる、猛烈な怒鳴り声がして、隣家のドアが開いた。突き飛ばされるようにして、男の子が吐き出された。


「おかあさん、おかあさん、おかあさんっ!」


 連呼する男の子を無視するように、ばたんと乱暴にドアが閉ざされる。


 「おかあ、さーん!」


 子どもの泣き声が、あたりの静寂を破る。

 高い声ではなく、おおん、という、低い、地を這うような長い泣き声が、不気味だった。


 泣き叫ぶ子どものいる玄関の前を、私たちの自転車は、そっと、通り過ぎた。


 赤外線センサーが反応して、明かりがぱっとつく。

 逃げるようにして、自分の家の敷地に入った。



 「いっつもだよ」

ぼそりと美弥が言った。

「あの子、いっつも、夜、締め出されてるの」


「知らなかった……」


 わが家では、暗くなると雨戸を閉じてしまう。それでも、母親の罵声と子どもの泣き声は、しょっちゅう聞こえていた。ベランダへ締め出された子どもに、声を掛けたこともある。

 ぴしゃりと窓を閉められ、憤慨した。


 それ以来、母親は、外に出ていても、遠目に私の姿を見ると、すぐに隠れてしまうようになった。



 PTA情報によると、隣家の酒井さんは、子どもを愛する幸せ家族をアピールしたいのだという。やりぎて、イタイ母親になっているだけだ。

 毎晩の外食は、虐待ではなくて、贅沢だと教えられたし。


 それに、最近では、挨拶するだけでキレる人もいるらしい。

 なんだかいろいろ怖くなってしまった。


 が、まさか、子どもを家の外に追い出していたなんて。

 しかも、夜。

 それも、しょっちゅう。



「けっこう遅くまで、入れてもらえないみたいだよ」

苦労人じみた口調で、美弥が言った。







 こちらの言いたいことを言い、担任の先生に、美弥は、とても素直ないい子だと納得させることができたので、私は、いい気分だった。


 美弥を寝かせ、雪美が塾から帰るのを待っている間、懸案だった、ズボンの裾上げにとりかかった。


 最近のお母さんたちは、子どもにジャストサイズの服を買う、と言うが、私は、そんなムダは、許さない。


 子どもは大きくなるもの。ズボンはすぐに短くなるのだから、大きめのを買って、裾を上げ、2シーズンくらいははかせる。


 大きめの衣類を買うのは、子どもが、このサイズになるまで、無事に育てという、願掛けみたいなものだ。小さくなったら、また、大きめの服を買う。


 モッタイナイ、とか、エコ、とかカタカナ言葉で言って、ナイロン製の、安っぽいぺらぺらした袋をマイバッグとかなんとか呼ぶ前に、子どもに服を買うなら、針と糸を持って、大きめのを買え、と言いたい。


 言葉だけではない、昔からの、知恵だ。

 一手間かけて、初めて、物は生きる。


 この暑さで、さすがに裁縫箱を開ける気力が出なかったが、今夜は、さわやかに、針仕事ができそうだ。



 玄関が開いた。


「おかえりぃ!」

私は叫んだ。


 時刻は9時二20分。こんな時間まで、小学生が塾通い。

 絶対間違っている。


 塾なんか、やめてしまえ。

 そう、思うのだが、何分、本人が行きたがっているのだから、仕方がない。


 塾に行きたがる。塾で、勉強をしたがる。

 昼間、学校へ行った後で。


 疲れ果てていても、追い立てられるように、塾へ行き、しかもそれを、自分の意志だと言い通す。


 つまり、日本の教育の何かが、根本的に間違っている、ということだ。



 「タダイマ」


 幽かに聞こえた気がするが、定かではない。

 足音は、子ども部屋に向かう。


 すぐに、戻ってきた。


「美弥がいない」

「えっ!」


頭がフリーズしてしまった。


「部屋にいない」

雪美が繰り返す。



 私は慌てて美弥の部屋へと走った。

 布団には寝た跡があり、けれども、美弥の姿はなかった。


「こっち……」


 雪美が呼んだ。階段を駆け下りると、夕食の後、確かに閉めた筈の、勝手口のドアの鍵が開いている。


「お風呂の時ね……」


 美弥を寝かせ(たと思い)、お風呂に入っていた時。

 禁じられたので、そうーっと裏口から出て行く、パジャマ姿の小さな女の子の姿が、幻となって見えた。


「なんてこと……。あれほど、夜は、外へ出るなって言ったのに」


「美弥は、嘘をつかない。人を騙したりしない」

鋭く、雪美が咎めた。


 美弥は、私を騙したわけじゃない。

 そもそも、あの子は、「もう、夜、一人で外へ出ません」などとは、ちらっとも、言ってはいない。


 美弥は、やっぱり、嘘などつかなかった。

 納得しなかっただけだ。



「そうよ。美弥は、決して、私を騙さない」

「ふうん。信じてるんだ」


 雪美は、一瞬、微妙な表情をした。だが、すっかりうろたえていた私には、それが何を意味するのか、考える余裕は、なかった。


 雪美が玄関へ向かう。


「ど、どこへ行くの?」

決然とした背中に、慌てて尋ねる。


「美弥のところ」

「え?」


「ついてこないの?」

「行く! 行くわよ!」


 私は慌てて、サンダルをつっかけた。









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