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専業主婦!  作者: せりもも
第2章 半径2キロの暗闘
23/45

ピザの春巻きとゴーヤの素揚げ


 鉄鍋七分目の油の中で、横長の春巻きが、いい色になって踊っている。

 中身は、棒状に切ったかまぼこと、刻んだ韮、チーズ、それと、ピザソースだ。


 ピザソースは、早めに使い切ってしまわなければいけないのが難だが、これが、味の決め手になる。おかげで、好き嫌いの多い雪美でさえ、韮をたくさん食べる。


 中身が、生でも食べられるものばかりだから、すぐに揚がる。


 薄茶に、ぱりっと揚がった美人の春巻きを引き上げると、続いて、輪切りに切ったゴーヤに小麦粉をまぶしたのを、ばらばらと揚げ鍋に、落とし入れた。


 信じてもらえないかもしれないが、雪美も美弥も、ゴーヤをばりばり食べる。特にこの、揚げたゴーヤに塩をふっただけの単純な料理は、大好物だ。まるでポテトチップスのような感覚で、いくらでも食べる。輪切りに切ってあるのも、子ども心にマッチするらしい。


 ゴーヤは苦いと言うが、中のわたを丁寧に取り除けば、ほんの少し残った苦味も、快楽のうちというものだ。

 ビールによく合う。子どもは、ビールを飲まないけど。



 勢いがついて、油の温度を下げてから、茄子をまるごと放り込む。ヘタのひらひらを取って、縦に細く切れ目が入っているので、油飛びはしないし、比較的早く揚がる。


 夏の揚げ物は、短時間で済ませるに如くはない。



 茄子紺、という言葉の美しさに、しみじみ思いを致しながら、まだ熱いうちに、甘く煮立てただし汁に、じゅっとつける。よーく冷やして味を染ませて、これは、明日のお楽しみだ。


 油物が続くようだが、昨日で給食は終わりだ。いよいよ夏休みが始まる。

 家庭でスタミナをつける時期だ。



 気配にはっと振り向くと、ゴーヤを山盛りに盛ったバットの前で、雪美が、にやっ、と笑った。

 足元で、美弥が、春巻きを握っている。


「こらっ!」

「塾、行ってこよー!」

「雪美、おかずばかりでなくて、お握りも食べて行きなさいっ!」

「いらねーよ、ババァ」


「ほれ、塾弁!」


 塾の休み時間に食べやすいように、小さく握ってラップに包んだおにぎりや、つまんで食べられるおかずをつめたお弁当のことを塾弁と言う。


 私も、雪美が塾に通うようになって、初めて知った。


 それにしても、こんなもので、伸び盛りの空腹を満たすなんて。


 軽快にカバンを鳴らして、雪美は外へ駆け出していった。



 「おいしいね」


 残された美弥が、口をもごもごさせながら、悪びれずに言う。


 つまみ食いは厳禁だが、揚げ物に限っては、これを許さざるを得ない。

 なぜなら、揚げたてが一番おいしいわけだし、揚げている本人が、すぐに食べたいからだ。


 首にかけていたタオルで汗を拭き、私も、揚げ物を満載したバットに手を伸ばす。配膳台に背を預け、あつあつを口にする。


「うん、おいしいじゃない」


チーズとソースが口の中で、どろりと混ざり合う。


「おいしい、おいしい」


 調子よく、美弥が次の春巻きに手を伸ばす。

 小さい体で、この子の食欲は、まったく、底なしだ。


「ゴーヤになさい。夕御飯、食べられなくなっちゃうよ」

「はーい」



「あのね、美弥」

美弥は、立てた人差し指に、輪になったゴーヤを通している。

「美弥は、夜、一人でお外に出たことある?」


指を支点にぐるぐる回していたゴーヤの動きが、ぴたりと止まった。

「……ある」


「何してたのかなぁ」

「……」


「言えない?」

「……うん」


美弥の、秘密?


「夜外に出るなんて、危ないじゃない」

 思わず、強い口調になった。


 夜、と言っても、先日、私が佇んでいる美弥に気がついたのは、9時か10時頃のことだ。まだ、人通りはある。


 だが、小さな女の子が一人で外へ出るのは、やはり問題ではある。

 それこそ、放火魔がつかまらずにのさばり歩いているような、物騒な世の中だ。


「子どもは、夜は、外に出ちゃ、いけないのよ」


「だって、おねえちゃんは、出てるじゃん」


「雪美は、塾だから」


「塾よりも近いよ、美弥の行くところ」


「でも、夜はダメなの。危ないの」


 ほんとうに、こんなに小さい子が、一人で夜歩きしていたかと思うと、今更ながらに胸がどきどきした。


「夜、むやみに出歩くもんじゃありません。夜は、用もないのに外へ出てはいけないんだから」


「コンビニは、一晩中開いてるのに?」


「あれは、おかしいの。」

「おかしいって?」


「知りません。とにかく、だめなものは、だめ。昔から、そう、決まっているの」


「だって、人、大勢歩いてるよ?」

「うちは、だめ」


「おねえちゃんはいいのに?」

「だめと言ったら、ダーメッ!」


 論理破綻しながら、とにかく、だめ、を繰り返した。


 美弥は、とうとう、わかった、と言わなかった。

 この子は、理屈が通らなければ納得しない、強情なところがある。

 その点は、明らかに、父親似だ。



「で、夜、お外で何をしていたの?」

「言えない」


「言えない? どうして?」

「どうしても」


「ふうん。ま、いいや。でも、今後、一人で夜、外に出ることは、禁じます」

「ええーっ!」


「だめよ」

私はガンを飛ばす。


「大事な御用があるのよ……」


 美弥が一人ごちたが、無視した。



 しばらく、沈黙が訪れた。

 美弥は、承知していない様子だ。


 私は、ゴーヤに振った塩の味を舌に感じながら、どうしたものかと思案していた。



「ねえ、美弥に、放火した? って、聞かないの?」

不意に、美弥が聞いてきた。


「なんで?」

心底意外に思って、私は聞き返した。


「だって、似鳥先生と話したんでしょ? 先生、美弥が放火魔だって、疑ってるよ?」


「うん、だから、文句、言ってきた」

「文句?」


「うちの美弥は、悪い子じゃありません、いい子です、って」


「そう言ったの? 似鳥先生に?」

美弥は目をいっぱいに見開いた。


「言ったよ」

他にもいろいろ言ってきたが、まあ、それは、子どもが知らなくてもいいことだ。


「いい子、って言ったの?」

「言ったよ」


 美弥は、ちょっと嬉しそうだった。

 それから、にわかに心配そうな顔になる。


「でも、先生に文句言って、怒られなかった?」


「怒るのは、こっちよ」


私は、美弥の両肩に手を置いた。


「いい? 自分のことを不当に悪く言う人がいたら、たとえそれが力のある人であっても、怒らなくっちゃ。かなわないとわかっていても、怒らなくっちゃ、だめ。心で思っているだけでは、誰もわかってくれないもの」


「でも、先生、怖いもん。言うこときかないと、大変なことになる」


「だからって、放火魔と呼ばれたら、はいといいなさい、わかりました、ってわけにはいかないでしょうが」


 こんなに追い詰められて。かわいそうな、美弥。


 そもそも、クラスの子ども達が美弥のことを放火魔などと言い始めたのは、似鳥先生の責任である。


 ソロバンの帰りに、上級生の火遊びを見ていたこと、夜、(理由は話そうとしないが、美弥には美弥の都合があるのだろう。もう少し待てば、必ず教えてくれる筈だ)、外を歩いている姿を目撃されたこと。


 1と1をかけて、勝手に2にしてしまったのは、似鳥先生だ。


 先生がそんなんだから、敏感な子ども達が反応してしまうのだ。


 おまけに、聞き取り調査をやったとか。生徒を個別に呼んで、一体、何を聞き取ったのやら。


 どんどん、腹が立ってきた。



「大丈夫。私がついているから。私は、どんなことがあっても、美弥の味方だよ。世界中の人が美弥が悪いと言っても、私は、美弥の側に立つ。……そうだ。これから、似鳥先生のところに行ってこよ」

「ええっ!」


「美弥、はっきり言っちゃいなさい。私は放火魔じゃありません。侮辱しないで下さい、って」

「ええー、それは、ちょっとー」


「ぶじょくしないで、は、言いにくい? でも、放火魔じゃないって、ちゃんと先生に言おう。私が一緒に行って、証人になってあげる」


「でもー。先生にサカラッたら、どんなメに遭うか……」


 かわいそうに、こんなに怯えて。


 これは是が非でも、私が立ち会って、美弥自身にの無実を伝えさせておかねばならない。


 それも、なるべく早い方がいい。


 今日だ。今、しかない。



 私は時計を見上げた。

 7時近い。もう、学校にはいないだろう。


 私は下校時間過ぎまで学校にいたし、あの後、先生も帰宅するようなことを言っていた。


 というより、自分は帰宅するから早く帰れと、言われたのだ。

 とすると、御自宅へ伺うしかなかろう。



 「モンスター……」。


 つい先ほどの真紀子の言葉が蘇る。

 学校に怒鳴り込むのがモンスターなら、先生の自宅に乗り込むのも、正真正銘のモンスターだと、真紀子は言うだろう。


 まったく、腹立たしい。

 そんな風にきめつけることで、保護者の権利を封じ込めることなど、できるわけがない。


 子どもを守る、という当然の権利が。

 子どもが侮辱されたら、学校へ怒鳴り込むくらいのことをしなくて、どうする。



 私はリベラルな方だから、本当なら、学校の指導方針への口出しなど、まず、滅多にしない。


 だが、謂われなく子どもが侮辱された時と、戦争を賛美するような言動があった時、誰かを差別するような指導があった時は、すみやかに学校へ乗り込む。


 これは、義務だと考えている。



 モンスターペアレントというのは、自分かわいさを、子どもへの愛情だと履き違えているバカ親のことを言うのだ。


 彼らが侮辱されたと感じるのは、自分自身であって、子どもではない。



 こうしたモンスターペアレンツ対策か、最近流行の個人情報保護の観点なのかは知らないが、生徒や保護者には、受け持ちの先生の住所も電話番号さえも、教えられていない。


 年賀状が書けないではないか。


 でも、大丈夫。私は、似鳥先生の家を知っている。


 教員というものは、定年が近くなると、なぜか、自宅の近くに勤務できるものらしい。

 例外に漏れず、似鳥先生も、市内に住んでいた。


 となると、主婦の連絡網を甘く見てはいけない。

 大分前のことだが、近所の和菓子屋で、和菓子製造のパートをしていたことがある。

 薄いビニールの手袋をして、団子を串に通したり、饅頭に餡を入れて丸めたりする仕事だったのだが、とにかく家から自転車で5分という近さだったし、時間が短くて、働きやすかったのだ。


 で、そこで知り合った人で、脇立わきだてさんという人がいる。娘さんが、市内の違う学校でだが、似鳥先生に受け持たれたと言っていた。脇立さんは、私とは違って、気分転換になるし、知っている人がいない方がいいと言って、家から離れた職場を選んでいたのだ。


 この春、美弥が似鳥先生のクラスになったと知った時、私はすぐに、脇立さんに電話した。


「ああ、あの、男の子には甘いけど、女の子には厳しい先生ね」


 脇立さんは、すぐに思い出してくれた。

 そして、先生の家の場所を教えてくれたのである。






 似鳥先生は、目を丸くして、玄関から出てきた。

 花柄の前掛けを締めた、ごく、普通のおばさんだ。


 「先生、美弥が言いたいことがあるそうです」


 どうぞ、中へ、と言いかける先生を制して、私は言った。


 この上、家の中へお邪魔したら、食事の支度を邪魔することになり、すると、これは空気が読めなくて、ひょっとして、軽いモンスターにあたるのかもしれない。


 たくさん、気遣いをしなければならない。

 ああ、めんどうな、世の中だ。



 「先生、」

美弥が、思いきったように言った。

「私、放火魔じゃありません」


 練習してきたような口調だ。

 棒読みで、明らかに言わされているとわかるが、まあ、仕方あるまい。



「わかってるわよ。私は、美弥ちゃんを、信じているもの」


 美弥の視線に合せるように屈んで先生は言い、その誠実な口振りに、私も、ホントかな、と、信じてもいいような気になった。


 こんないたいけな、純情無垢な女の子に、まさか、嘘をついたりはしないだろう。

 いやしくも、教職者なのだし。



「私、自分を信じてくれる人を裏切ったりはしない」


出し抜けに、すごくなめらかな口調で、美弥が言った。


「だって、自分を信じている人をダマすのは、すごく、カンタンなことだから。自分を信じている人をダマすことができても、そんなの、シャカイに出たら、ツウヨウしないもの」


 すらすらと美弥は言い、私と似鳥先生は、思わず、顔を見合わせた。


「そ、それは、誰かが、そう、言ったの?」


「うん、おねえちゃんが」


「ええと、美弥ちゃんは、私に、嘘はついていないのよね?」


「美弥は、誰にも、嘘はつきません」

 今度は自分の言葉で、美弥が答えた。








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