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専業主婦!  作者: せりもも
第2章 半径2キロの暗闘
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戦闘準備


 「ほうかまぁー! ほうかまぁー!」


 明るい昼下がり、つい、うとうとと昼寝をしてしまっていた私は、子ども達のはやし立てる声で、はっと目がさめた。


 いけない。もう、1年生が帰ってくる時間だ。

 ドアの鍵を開けておかなくては。

 ただいま、と帰ってくる美弥が、素早く家の中に入れるように。



 マンションで鍵っ子だった頃、雪美は、鍵を、いびつに曲げてしまったことがある。


 鍵が開かない、開かない、というのだが、家においてある予備の鍵を使えば、スムースに開錠できる。不思議に思って、雪美の鍵を手にとると、真っ直ぐに伸びているべき軸が、見た目にわかるほど、曲がってしまっていた。


 夕方帰ってきて、ドアにとりつく雪美の姿が脳裏に浮かんだ。

 友だちと別れ、一刻も早く、安全で安心な家に入りたかったのだろう。あるいは、後年の美弥のように、トイレに切迫した用があったのかもしれない。


 ……早く開けたい。


 しかし、失くさないようにランドセルにぶら下げた鍵は、小さな体では、扱いづらい。片手で鍵を持ち、片手で重いランドセルを支えなくてはならない。


 その上で、力任せに、鍵を開けようとする。

 ランドセルから鍵を外す余裕はない。


 だから、雪美の鍵は、曲がってしまったのだ。

 子どもが帰宅して、家に入りたいという欲求は、それほど、強いものなのだ。


 曲がった鍵を思い出すたび、もう二度と、雪美や美弥に、あんな思いをさせたくないと、心の底から、乞い願う。



 しかし、今日の下校は、ちと早いのではないか?

 子どもたちが、下校します、という、例の市の放送も入っていないし。


 慌てて玄関に走り、鍵を開けていると、重いドアの向こうから、美弥の甲高い声が聞こえてきた。


「うるせぇー。違う(チゲー)もん。黙れ!」


 続いて砂利を蹴散らす音。

 敷地に入ってきた子どもらを、追い払っているようだ。


「チゲーわ。黙れ、ばーか!」


 そう叫ぶ美弥の声に、僅かに、泣き声が混ざっている気がして、私はたまらず、こちらからドアを開けた。


「放火魔ぁー!」

だから、その罵りをまともに浴びた。


「チゲー、チゲー、バーカ、バーカ! 黙れぇー!」


「やーい、放火魔ぁー! 放火魔ぁー!」


 私の姿を見ると、はやし立てていた男の子3人は、素早く門の外へ走り出た。

 しかし、玄関先を覗き込むようにして、小憎らしい声で、がなりたてる。


「放火魔だぁー!」



「放火魔、言うなあ!」


 美弥は、私に背を向けたまま、両手を握り締めて、吠えるように、叫び返している。

 その小さな背中は、まるで、外部の不条理から、自分の家族と家を、守ろうとしているかのように見えた。



「放火魔ぁー! 犯罪者ぁー!」


「こらっ!」


 まるで大人のような言い様に、私は、つい、かっときた。


 履物をつま先につっかけ、大またで歩み寄った。男の子3人の頭を、順繰りに、ぼかすかと、殴ってやった。


 うちの美弥に、「犯罪者」はないでしょ。



 子どもらは、何が起こったのか理解できないようだった。

 家でも学校でも、体罰というものを受けたことがないのだろう。


 きょとんとした顔を見合わせて、それから、一斉に私の方に顔を向けた。


 私は、腰に手を当て、できうる限りの怖い顔をして、睨み返してやった。


 「パーだから」


 こぶしでぶったわけではない。


 子どもらは頷き、回れ右をすると、背中の黒いランドセルをぱかぱかと揺らせながら、走り去っていった。



 「まったく、最近の餓鬼どもときたら、なぁんて、口が悪いんでしょ」


 両手を腰に当てたままつぶやき、振り返って、美弥を見ると、こちらは称賛の目で、私を見ていた。


「つ、つよい……」


「そうよ。私の大事な美弥にイジワルしたら、タダじゃ、おかないんだから」


 私は得意だったが、あいつらが、親や先生に言いつけたら、ちょっと、いや、大分、まずいことになるなぁ、と、思った。


 ま、いいか。

 私は、私の大事なものを守っただけだ。


 美弥が、家族と自分のテリトリーを、必死になって守っていたように。



「でも、美弥も、付け入られるようなスキをみせちゃ、ダメよ。スキがあるから、イジワルされるんだから」


「スキなんてないもん。美弥、放火魔、違うもん!」


「放火魔って?」


「学校でもずうーっと、美弥のことを、放火魔だって、言うの。帰りも、ずっとついてきて、放火魔、放火魔、って言うの」


「放火魔……」


「わたる君ちの火事。それと、公園のとこの家の……。あれ、美弥が火をつけたって、言うんだよ」


「まあっ! で、先生は?」


「静かにしなさい、って言うだけ」


「それだけ?」


「それだけ」



 私は、目の前が揺れて見えるほど、憤慨した。

 うちの美弥が、とんでもないヌレギヌを着せられ、いじめられているというのに、先生は、静かにしろと言うだけで、知らん顔をしているというのだ。


 犯罪者、とまで言われているのに。



「美弥、行きましょ」

「え? どこに?」


「決まってるでしょ。学校よ。似鳥先生のところに行くの?」

「ええっー」


 その声は、明らかに迷惑そうだった。


 子どものけんかに、保護者が介入するな。

 そういう気持ちが、にじんで聞こえた。


 しかし、私は、放っておけなかった。

 実際にあった放火事件の犯人呼ばわりするなんて、陰湿ではないか。


 こういう小さなこと(ちっとも小さなことではないが)が、深刻なイジメにつながるのだ。


 後から後悔しても遅い。イジメの芽は、早いうちに摘み取ってしまうに限る。



「いやなら、美弥は、おうちにいなさい。とにかく、私は、行ってくるから」


 家に駆け込み、イージーパンツを脱いで、ストッキングを履いた。ストッキングを履くのは入学式以来だが、とにかく、きちんとした服装をする必要がある。生足丸出しというわけには、いかない。


 それからファンデーションを塗って、やや濃い目に、アイラインを引いた。


 南の島の部族は、戦いに臨んで、顔に化粧を施す。


 負けられない戦に備えて、入念に、口紅を選んだ。









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