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専業主婦!  作者: せりもも
第2章 半径2キロの暗闘
18/45

安いラッキョウを求めて


「あのー」

 今まで勢いよくしゃべっていたくせに、妙におしとやかに田之倉さんが言う。

「私、下の子を迎えにいかなくっちゃならないから……」


「あ、私もちょっと仕事が……」

慌てたように後藤さんが言う。


 下の子がいたり仕事があったりするのなら、仕方がない。


「ごくろうさま」


 気持ちよく聞こえるように、私は言った。

 2人は、ほっとしたような顔をして、バッグをひっつかみ、あっというまに姿を消した。




 「まったく、信子さんも人がいいんだから」

下を向いて、プリントの束を数えながら、しのぶさんが言う。


「だって、仕事や子育てじゃ、仕方がないでしょ」


「後藤さんのパートは午前中。前にそう言って、午前中にあった委員会を休んだでしょ。今は午後の3時よ。それに、下の子ってさぁ、田之倉さん、子どもが4人、いるんだよ? お迎えなら、今頃、上のお姉ちゃんが帰ってるって」


「4人……」


世の中、少子化少子化と、かまびすしいが、これが意外と、3人4人という、子持ちの母がいる。


「そういうお母さんに限って、ナントカ委員長とか、本部役員とか、大変な役は逃げ切るんだよね」


「なんで?」


 4人もいたら、クジを引く確率もそれだけ高くなるんじゃないか?


「上の子の時はさ、下の子のお世話でできません、って言えばいいし、下の子の時は、上の子の受験で大変っ! て言うの」


「受験って、なんで、母が大変なの?」


「知らない。とにかく、そう言うの」


「ずるい……」


 思わずつぶやいてしまった。

 学校に、子どもが何人もお世話になっているのなら、その分、余計に、無料ボランティアにいそしんでもいいんじゃないのか?


「受験でなくても、下の子の時にやりますから、って言うの。そして、末っ子の時に、今までのテクニックを駆使して逃げ切ればいいんだから、楽勝でしょ。かわいそうなのは、何も知らない一人っ子の親よ」



 私たちが印刷している「PTA役員互選会に前向きに参加して頂く為に」には、本部役員を逃げる場合の権利について書かれている。


  本人が重大な病気の場合(医師の診断書提出)

  本人が妊娠中の場合

  未就園児がいる場合


 ちなみに仕事は口実にならない。

 介護は、「義親の介護をしながらでも、PTA役員をやり遂げた!」と豪語した人が過去にいたとかで、これも口実にはならない。


 こんなに厳格に定められているのに、逃げ切るテクニックがあるというのか。



 「信子さんは、真面目ねえ」

しのぶさんはため息をつく。

「要するに、クジ引きの日に、来ないのよ」


「あっ、そうか」

私はそれで、失敗したというのに。



 本部役員を決める互選会に出席する人は、各学年各クラスごとに選出される。

 つまり、クジ引きだ。


 ここを休んでしまえば、クジを主催する旧役員が、休んだ人に「当たりました」と伝える煩雑さを嫌がるので、その場に来た人だけのクジ引きになる。


 そうだった。私はそれで、「互選委員」などというものになり、さらに、「委員長」に祭り上げられているんだった。


 さすが、子沢山母さん。パートをしながら、巧みに厄をよけ、たくましく子育てを続けている。


 ただ、私にしてみれば、どうしても、踏みつけにされているような気がしてならない。

 日本には、繁栄し続ける家系と、淘汰されつつある家系が存在するのではないか。



 「それにしても、医師の診断書とか、妊娠とか、これ、プライバシーよねえ」


 自分が書いたプリントをしげしげ眺めながら、思わず言ってしまった。


 これは、年度の数字を変えただけの、昨年度の丸写しだ。

 初めてやるのだもの、前年度をそっくりそのまま踏襲するのは、やむをえない。


 しかし、実は、書きながら、強烈な違和感を覚えていたのだ。


 婦人科の病気なら人に言いにくいし、精神を病んでいたらもっとであろう。死病であったらどうするのか。診断書を見せられた方も、困るのではないか。


 妊娠も、垂れ下がるくらい腹が突き出てきたらまるわかりだが、2ヶ月、3ヶ月の、気持ちも体も不安定な時期に、いわば家族だけでひっそりと見守っている大事な秘密を、なぜ、アカの他人に打ち明けなければならないのか。


 無事に生まれればいい。もし、流産や死産であったら、周りの人が、不用意に話題にしないという信頼があるのか。



 「つまりそれだけ、要領よく、逃げる人が多いってことよ」

諦めきったように、しのぶさんは言った。

「でもさ。実際の話、これだけ活動があれば、フルタイムで働いている親は無理よねえ」



 キャリアウーマンで働く母親、真紀子の顔が頭に浮かぶ。

 先日、電話で、互選委員の委員長になった話をしたのだ。


 真紀子は、激怒していた。


 なぜ、そんなものを引き受けたのか。

 ヒマな専業主婦の寄り合いではないか。仲良しランチでも、食べるつもりか。


 そう言われて、つい、私がやることだから、いいじゃないのっ! と怒ってしまった。


 まあ、私自身も、PTAなどなくてもいいんじゃないか、と、強く思ってはいるのだが。

 パートや専業主婦など、時間のある人でさえ、なんとか口実をつけて、さぼろうとするし。

 みんながそんなにやりたくないのなら、PTAなんてなくしてしまえばいいのに。


 そう思いつつも、「ヒマな専業主婦の寄り合い」と言われれば、やっぱり、反発する。


 何度も言うようだが、私は、専業主婦ではあるが、ヒマではない。

 今は、1円でも安いラッキョウを求めて、地元のスーパーを渡り歩いている。

 もちろん、伝統の健康食、ラッキョウ漬けを作る為だ。


 PTAは、私がやるんだから、と言うと、真紀子は、急におとなしくなったっけ。



 「私も、働きたいと思うのよねぇ」


不意に、しのぶさんが、小さい声で言った。そういえば、さっきも、履歴書がどうのこうのと言ってたっけ。


「ずっと正社員で働いていたの。でも、子どもが生まれて、会社を辞めてしまって……。だから、働き続けているお母さんに、すごく、コンプレックスを感じてるの」


「何言ってるの。主婦も、立派な仕事よ」


「でもさ、結局、自分の、自分の家族の為のことしかやってないわけじゃん」


「下の、タクちゃん、まだ、一年生でしょ。焦ることないって」


 私は、後藤さんのように、そんなとこに勤めちゃダメ、なんて、差し出がましい口は利かない。

 育ちがいいのだ。


 しのぶさんは、言い募る。


「お金も、欲しいのよ。仕事を辞めてから、私、自分の服は、2000円以上のもの、買ってない。この頃は、1000円以下よ。今に、子どもの教育にもお金がかかるようになるし。働きたい、って、強く思う」


 そういえば、働こうとしても、正社員の口はない、とも言っていた。


「でも、だからといって、子どもに淋しい思いをさせてまで、半端な仕事はしたくないのよ。パートの収入なんて、子どもを預けたり、食費なんかで、消えちゃうもん。働く生活を維持する為に稼ぐのは、なんか、違うと思う」


 しのぶさんは、主婦が外に出れば、クリーニングや外食、買ってきた惣菜など、勢い、家事の外注が増えると説明した。

 また、小学校の間であれば、親が勉強をみてやることも可能だが、親に時間がなくなれば、これも、塾という外注産業に頼らざるをえない。


 子どもがいない時間にひと稼ぎ、と思っても、所詮は、主婦不在の家事育児の外注分を賄うので精一杯なのだ。



「近く、働き出すの?」


「まさか。こんなオバサン、どこも雇ってくれはしないわよ。履歴書出しても、断り状も来ないわ」


「それはひどいわね。失礼よ」


「そうね。でも、交通費使って、会う前から、断るつもりの面接も、行きたくないよ。それに……」


しのぶさんは、笑った。疲れたような、薄い笑みだった。


「私はやっぱり、家族には、時間が経てば、ちゃんと腐る物を食べさせたいの。夫のお弁当も作ってあげたいし」


「腐る? 食べ物なら、当たり前じゃない?」


「ところが、そうじゃないのよね」

しのぶさんは、遠い目をした。

「たとえば、化学調味料は腐らないでしょ?」


「あっ、そうか……」


「レトルト食品なんかは、封を切らない限り、変質はしても腐りはしない。冷凍食品も、凍っている間は、大丈夫」


「そういえば、家で作った炒め物は、次の日には水っぽくなっているけど、買ってきたお惣菜は、何日も味が変わらないわよね」


 それに感心した日もあったが、よく考えれば気持ち悪い。味も、なんとなくなじまないし。


 しのぶさんはうなずいた。


「防腐剤が入っているお惣菜もあるよ。あのさ、防腐剤って、食べ物? 補助食品で栄養を補う人もいるけど、あれも腐らない。栄養補助食品は、薬局で売ってるよね? でも薬局って、薬を売るとこだよね、食べ物じゃなく」


「だけどさ。腐るって、いやよね。食中毒も怖いし。あ。でも、腐りかけの桃はおいしい。じゅくじゅくの柿も、黒くなったバナナも」


「腐るって、当たり前のことじゃん? 生き物は、最後は腐って、土にかえるんだよ。だから、命の元になる食べ物は、腐るものでなきゃ、いけないの」


「はあ。確かに、レトルトやサプリばかり食べさせるのは心配よね」


「そういうモノを食べ続けても、平気な人もいるでしょ、そりゃ、中には。でも、私は、自分の家族には、食べさせたくない。少なくとも、毎日は」


 珍しく饒舌になって、しのぶさんは続けた。


「食べることって、生きる楽しみでしょ? 家族には、おいしいものを食べさせてあげたいよ。知り合いのキャリアママにね、すごい料理をする人がいてね。とにかくレンジでチンチンチン、たまに、肉や魚をトースターで焼く、トースターは洗わず、数ヶ月で使い捨てね。煮物の基本は、めんつゆ。もちろん、化学調味料ばりばりのやつ。そりゃ、仕事、頑張ってるんだなあ、その上家事もって、たいへんだなあ、って思うけど、私は、そんなモノを家族に食べさせるのは、絶対、いや」


「おだしは、煮干やこんぶでとりたいわよね」


 私も同調した。

 しのぶさんは、なおも言う。


「私ね、電子レンジって、嫌い。火を使わない調理って、生理的になじまなくて」


「あれね。どういう仕組みなのかしらね」


「細胞の水の分子をぶつけあって、摩擦熱を引き出すのよ」


「細胞……? 分子……?」


「化学変化よ。そのキャリアママはね、野菜をゆでる代わりに、レンジでチンするんだって」


 あまり使ってはいないのだが、うちにも電子レンジはある。しかし、解凍すれば、外側は変色しても中は半分凍っていたなんて、日常茶飯事だし、温めすぎて、ラップを外す時にやけどをしたこともある。


 どうにも、私にはうまく使いこなせない。


「あのね、私、思うのよ」

真紀子の怒りを思いつつも、私は、ゆっくりと口にした。

「世の中には、きちんと家事をする女性にしかわからない真理があるって」


「家事をする女性にしかわからない真理? 家事と女性を結びつけた時点で、信子さん、NGだよ」


「いいのよ。真理だもの」


「強引ね。ま、いいや。教えてよ」


「それはね、家族のことを一生懸命考えて、料理する人にしか、わからないのよ」


「なにそれ。ずるい」


「今にわかるから。それは多分、代々の女に、ずっと受け継がれてきたものだと思うの」


「母から娘へ?」

「女から女へ、よ」

「石垣りんの詩みたいね」

「なにそれ?」


 今度は私が、きょとんとする番だった。


「『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』っていう。昔、国語の教科書に載ってたの。でも今は、女と料理を結び付けているっていうんで、教科書には載せなくなったみたいよ」


「つまらない国よね」

「滅びるわね」


私としのぶさんは、顔を見合わせて、くすっと笑った。










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