PTA活動
「うーん、今の若い人はねー」
「PTA役員互選会に前向きに参加して頂く為に」というプリントを印刷していたしのぶさんは、ため息をついた。
「若い人って、しのぶさんだって、充分若いじゃないの」
「あら、うちはお姉ちゃんがもう6年生だし、私って、結構、晩婚だったんですよ」
「……」
私は呆れてしまった。
しのぶさんは、ぺろっと舌を出した。
「年の話は、しないのよ」
田之倉さんが言った。
毎回、連絡網を回しているのだが、それでも、PTA活動への出席者は少ない。
私としのぶさんだけのこともあり、あの時は、言葉を失った。
今日は、全家庭数の500部を印刷しなければならない。例の、PTA活動をしましょう(役員に立候補しましょう)という啓蒙活動の一環だ。
しかし、500部だ。ホッチキスで綴じる仕事もある。
さすがに、他に2人、出てきてもらった。
印刷などの作業のある日は、私としのぶさんだけでは、どうにもならない。どこまで他人任せの丸投げを続けるつもりだと、業を煮やしたしのぶさんが、個人的に面識のある選出委員のお母さんを、つまり、6年生の親を、強引に引っ張り出したのだ。
私と一緒に、アミダに参加した、あのお母さま方である。
なんだ。
来ようと思えば、来れるじゃん。
思えば、アミダにあたったばかりに、いったいどれだけの仕事を、私はこなしてきたろう。
この原稿だって、ブラインドタッチが苦手な私が、がりがりと鉛筆で書いたものだ。だから、時間がかかっているし、見栄えも悪い。
校閲は、選出委員会を担当する、副校長にお願いした。
PTAの各委員会に担当教師がいることにも驚いたが、印刷物は、学校側の検閲がなければ印刷できないことも、初めて知った。
その副校長が、私が校閲済み原稿を受け取りに行く日をど忘れしていたので、二度も学校へ行かなくてはならなかった。
管理職でしょ、あんた。
つまり、原稿を仕上げるのに、すごく時間と手間がかかっているのだ。
印刷くらい、手伝ってほしい。
他の委員さんにも。
「酒井さんって、もと、和泉町のマンションにいた酒井さんでしょ?」
「今の若い人」の話にも戻り、もう一人の参加者、後藤さんが言った。
「え? 知らない」
隣人について、私は何も知らない。
「子どもは3年生の男の子でしょ」
「シュンスケ君?」
その名は、良く聞こえる。
というか、毎日のように、母親が罵倒している。
「そうそう。あそこんち、もと、和泉町のマンションにいたのよ。引っ越したって、聞いてたけど」
「そのマンションって、分譲だったの?」
田之倉さんが聞く。
「ほら、あの、ホワイトハイツ」
後藤さんは、酒井さん情報に詳しいようだ。
「ああ、分譲じゃん。そこを売って、信子さんちの隣ってことは、中古の建売を買ったのね」
「買ったんでしょうねえ」
田之倉さんと後藤さんは頷きあう。
引っ越しの挨拶の時、酒井さんはただ、引っ越してきた、と言っただけだ。
隣の家に、前に住んでた大里さんご夫婦は、ご主人の田舎へ帰ると言っていた。
家は、売りに出したと思う。
「家が2軒、買えるのか。フルタイムの共働きはお金があるわねえ」
感に堪えないといった様子で、田之倉さんが言う。
「うちなんて、私がパートに出ても、家なんて、とてもとても」
「この年で、正社員なんて、もう絶対、無理だし。あつかましい、って、言われちゃう」
しのぶさんが言うと、
「ほら、また、年の話!」
田之倉さんがつっこむ。
「でもさ、ホワイトハイツって、新築で買ったんでしょ? あそこ、まだ築4~5年ってとこよ。いくら戸建てとはいえ、それを手放して、戸建てを買いなおすなんて……」
「ふつうさ、家やマンションを買う時ってさ、そこに一生住もうって思うじゃん? 一生に一度の、高い買い物だもの。4~5年であっさり売ったりするかな」
後藤さんが言ったのが、合図になった。
「なんかあったのよ、きっと」
「ご近所トラブル!」
「わっ、こわっ!」
みんなでがやがや話し出す。
それで、私も、破竹の一件を披露した。
だって、とても楽しそうだし?
情報は、みんなで共有しなくちゃ!
「まあっ!」
案の定、この話は、みんなの興味を引いた。
それも、私への同情ばかりだ。
日頃の不愉快も忘れ、私はおおいに、気分がよかった。
「そういう人達なのよ。だから信子さん、気にすること、ないって」
最後に、しのぶさんが慰めてくれた。
別に気にはしていないのだが、すごくいやな気持ちは続いていた。
みんなの同情が得られて、とても嬉しい。
そうか。もともと問題のある家族だったのか。だったらまあ、仕方ないか。
って?
「いやよ、そんな家族がお隣さんなんて」
「そうよねえ。いやよねえ」
「ヘンな人、多いもんねえ。あまり深くつきあわないことよ」
わやわやと、皆さん、アドヴァイスをくれる。
酒井さん一家が近隣住人を避けているのだから、こちらも、避け続ければいいということか。
それってちょと、なんだかなー。
昼間自分たちは家にいなくて、子どもの方が早く帰ってくる。
それなのに、近隣住人と避けあっていて、いいのかな。
不要領な私の表情に気がついたのか。説得するように、田之倉さんが言った。
「今はさ、近所の人から挨拶されると、何で私におはようって言うの? って、キレる人、いるらしいよ」
「挨拶しただけで? なんで?」
ぎょっとした。
「よく知らない人から声をかけられるのって、不愉快なんだって」
「だって、近所の人じゃん。それなのに、キレるなんて」
「こわいわねー」
「こわいわよ」
後藤さんと田之倉さんが、頷きあっている。
なんだか、釈然としなかった。
引っ越してきた当初、酒井さんは一家は、3人そろって、石鹸をもって挨拶に見えた。
その時は、お父さんもお母さんもにこにこと微笑んでいて、ごく、普通の、幸せそうな家族に見えたのに。
だいたい、近所づきあいしたくないのなら、石鹸なんて、持ってこなければいいじゃないか。
「それはさ、うちは、幸せな家族なんですよって、言いたかったんだよ」
と、田之倉さん。
「へ?」
「仕事から帰ると、お母さんは、毎日、子どもと遊んでやってるって、信子さん、言ってたでしょ」
「うん。あれはあれで、うるさいんだけどね。挨拶しても返してくれないから、道路を歩く時、すごくいやだし。暗くなってもやめないし」
だから、うちの雨戸をばしんと閉めてやるのだ、とまでは言わなかった。
「つまりさ、私は、働いているけど、子どもと遊んでやってる、いいお母さんなんですよーって、言いたいわけ。自立した、でも、子どものことを思っている立派な母親です、って、吹聴してるわけよ」
「はあー。深いわー」
後藤さんの深い知見に、私は感心した。
「っつーか、むしろ、イタイ」
と、田之倉さん。
「イタイ?」
「小学校3年の男子でしょ? もう、お母さんとなんか遊ばないよ。少なくとも、毎日なんて、ぜぇーったい、遊ばない」
「それはそうね。親よりも友だちと一緒にいた方が楽しい年ごろだもの」
田之倉さんと後藤さんは、合意しあった。
「それにねぇー、夜中に、子どもの泣き声がするのよ」
とうとう言ってしまった。
私はつつましい性格だが、人の口に戸はたてられない、と言うではないか。
「泣き声? シュンスケ君の?」
聞き捨てならぬとばかりに、田之倉さんが聞き返す。
「おかあさーん、おかあさーんって、2時間くらい、泣き続けてたこともあったわよ。窓、全開しだから、こっちも起きちゃって」
聞き耳を立てているわけではないと、さり気なくアピールする。
「やだ。お母さん、いないのかしら」
「いるわよ」
深夜にベランダにいたシュンスケ君に声を掛けたら、子どもを室内へ入れた後、窓をぴしゃんと閉められた……。
あの晩のことを、私は話した。
「ひえぇぇぇぇぇーーーーーーっ」
大騒ぎになった。
「心配して声を掛けてきたご近所さんに対して、それはどうなの?」
「非常識よねえ」
みなさん、わがことのように、フンガイして下さる。
溜飲が下がる思いである。
私の方も、情報をもうひとつ。
「あのお母さん、6時には帰ってくるわよ」
「6時に家に着けるなんて、うらやましい」
しのぶさんがため息をついた。
「私が履歴書を送った会社は、片道1時間以上かかるところばかりよ。みんな、落ちたけど」
「そんなとこに勤めちゃだめだよ」
田之倉さんがあっさり言った。
しのぶさんは、一瞬、いやな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「ねえ、まさか、虐待とか、そんなの、ないよね」
潜めた声で、後藤さんが言う。
「毎晩外食ってのは? 虐待?」
「やだ、信子さん。それは虐待じゃなくて、ゼイタク」
「そっか。とりあえずちゃんと食べさせてるわけね。それなら安心」
と、しのぶさん。
「外食かあ。うちは随分、してないなあ。毎晩できるのか。いいなあ、共働きって」
「パートや派遣じゃなくってね」
「ほんとよねえ」
話しながら、作業は続く。
印刷機の調子はよく、半日の予定が、2時間ほどで刷り上った。
4人いれば、さすがに早い。しのぶさんと2人では、半日では終わらない。
次は、刷り上ったプリントを、各クラスごとに仕分けなくてはならない。