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専業主婦!  作者: せりもも
第2章 半径2キロの暗闘
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ぱすん、ぱすん


 ばすん、ばすん。

 夕方、6時近くになると、異様な音が、近隣に響き渡る。


 初めて聞こえた時、何かと思って外へ飛び出してしまった。人が、凶器を持って殴り合う音にも聞こえたのだ。


 幸い、といっていいのかどうか、それは、隣のうちの子どもが、自分の頭よりもでかいサッカーボールを、塀に、蹴り当てている音だった。


 うちの塀に。


 ちっとも、楽しそうでない。こわばった顔をしている。

 遊んでいるのか?


 ボールは時折、うちの庭にも転がり込む。

 すると子どもは、表情一つ変えずに敷地内に入り込み、ボールを拾って出て行った。


 ええと。

 お庭に立っている、その家の人に、何の断りもなしですか? ボールは、お隣さんの、足元に転がっているのですよ?



 隣は共働きで、30代の夫婦に、小学校3年生くらいの子どもが一人。この家の旦那……と言ったらだめなんだった。ああ、めんどくさい……夫婦の夫の方は、私が挨拶しても顎をしゃくるだけで、挨拶を返してこない。


 奥さん……これもダメだ!……夫婦の妻の方も似たようなものだ。隣人を露骨に避けている。私が庭に出ている時に通りかかっても、決して声を掛けてこない。


 隣家を中古で買って、わりと最近引っ越してきた家族なのだが、なんだか、近所づきあいを避けているみたいだ。


 子どもは、美弥たちと同じ小学校で、学童保育に通っている。

 シュンスケ、という名前だ。「シュンスケッ!」という母親の罵声が、夜間や休日によく聞こえてくる。


 シュンスケは、学童から帰ると、誰もいない家には入らずに、家の前の道路で、力任せに、ボールを蹴りつけている。



 それにしてもすごい音だ。虫歯に響くような、低くドスのきいた音。

 薄暗い中、まるで何か別のものを蹴っているかのように、ボールを蹴り飛ばしている男の子は、少し、怖い。


 それが、夜になっても鳴り止まない。

 バスッ、ドカッ。

 音の調子が激しくなる。


 そっと覗いてみると、母親が一緒になって、ボールを蹴っていた。


 髪を長く伸ばし、流行りなのだろうか、下着が透けるような化繊の上っ張り(プルオーバー)を着ているのが、灯火の下に来た時に見えた。


 服装だけ見ると、結婚前の娘にも見える。


 しかし、あちらを向いた時の背中の盛り上がり具合と、透ける洋服からふてぶてしくのぞいている二の腕は、まさしく中年の女そのものだった。


 中年女を観賞していても不愉快なので、雨戸を閉める。

 わざと音をたてて閉める。


 こちらが不快を感じていると、わかってくれれば、御の字だ。だが、そもそもそういう感性のある人なら、暗くなってから、道路でボール遊びなどしまい。


 やがて車の音がして、2時間近く続いたボールの音は止む。


 お父さんのお帰りだ。


 それからすぐに、RV車が、再びエンジン音を轟かせ、出て行く。

 家族そろって、ファミレスやステーキハウスに出かけているのだそうな。同じファミレスで、何度も、目撃した人がいる。


 子どもが、ほぼ毎晩外食。

 ま、いいんですけどね。


 お母さんも働いてらっしゃるんだから。

 私は専業主婦だから、何も言っちゃ、いけないのよね。



 「おかぁさぁーん、おかぁ、さーん」

非難がましいような、耐え難いような、子どもの声が聞こえるのは、深夜12時過ぎである。


 当然、私は眠っているが、あまりの声の異様さに、目が覚めてしまう。

 子どもは、暫く泣き続ける。

 うぉーん、うぉーん、という、脅しつけるような大声だ。

 低く、こちらの体にねばりついてくるような泣き声。


 もう、ちょっと、なんでもいいから、お母さん、なんとかしてあげてよ。

 再び眠れず、心の中で毒づく。


 子どもは、子どもの泣き声に鈍感なのか、美弥も雪美も、目を覚まさない。だから、私も苦情は言わないのだが、いくら暑いからといって、せめて、窓くらい閉められないものだろうか。


 この辺の家は古いので、防音は完璧ではない。隣の窓とうちの窓は2~3メートルほどの幅で向かい合っている。どちらかの窓が開いていると、家の中の音は丸聞こえだ。

 そのことがわかっていない筈はないのだが。


「おかぁさぁーん、おかぁ、さーん」



 がらがらがらっ

 わざと音を立てて窓を開け、ベランダへ出る。

 驚いたことに、子どもは、うちと隣り合ったベランダに出ていた。

 うちの窓が開いたので、驚いたようにこちらを見る。


 「どうしたの?」

さきほどまでの怒りも忘れ、問いかけた。


 子どもがベランダに出ているに気がつかないで、親がうっかり鍵を掛けてしまったとか。

 しかし、こんなに子どもが泣いているのに気がつかないなんて……。

 いやいやいや。

 共働きのご夫婦は、お疲れなのだ。暇な専業主婦と違って、ぐっすり熟睡しておられるのだ。


 それとも、お仕置きで、外に出されたとか?


 この子は、うちの庭にボールが入っても、黙って入って、持っていく。親も私を無視し続けている。暗い道路で、母と子が蹴るボールは、凄い威力だ。

 ひえぇぇぇぇ。

 触らぬ神になんとやら……


 しかし。


 確かに寒い季節ではない。けれど、深夜だ。

 子どもの泣き声を聞いて、ヘンタイさんが駆けつけてきたらどうするつもりだ? ちゃちな戸建てのベランダなんか、よじ登るのは簡単だ。

 いずれにせよ、子どもには、充分な睡眠が必要である。



 直球で、私は話しかけた。

「何か困ったことがあるのなら、話してもいいのよ?」


 子どもが立ち上がった。

 暗いので、その表情まではわからない。


 静かだった部屋の中から、ぼそぼそと女の声が聞こえた。

 弾かれたように、子どもは、部屋の中に駆け込んだ。

 ぴしゃんと窓が閉められた。



 って。

 鍵、開いてんじゃん。

 お母さん、そこにいるじゃん。


 

 寝室に戻ったが、気が立って眠れない。

 ぴしゃん、って、あれはない。

 親がいるのなら、心配して声を掛けてきた隣人に対して、何か一言、あっていいのでは?



 ふつり。シュンスケの泣き声は、止んだままだ。

 それはそれで不穏なしじまが、夜を満たす。









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