梅仕事
テーブルの載せられた盆ざるから、柔らかな匂いが、全てのストレスを包み込むように、甘く立ち上っている。
「いい匂い……」
さっそく、美弥が寄ってきた。
盆ざるいっぱいに広げられた梅の実を見て、目を丸くする。
「何、してるの?」
「梅干を漬けるの。梅の、ヘタを取っているのよ」
私は、美弥の目の前で、黄色く熟した梅の実を手に取り、竹串で突いて、ヘタを取ってみせた。
「美弥も、やる!」
「手を洗っておいで。石鹸で、きれいにね」
慌てて、私は言った。
ヘタは散らかすし、手洗いが充分でないと、土用の天日干しまでに、かびてしまうことがある。
本当は、子どもにはご遠慮願いたいところだが、手伝おうというせっかくの志、拒絶はできない。
洗面所で勢いよく水の音がし、すぐに美弥が戻ってきた。
見よう見まねで、ヘタを掻き出す。
「こうでいい?」
「うん、上手」
ちゃんと、実に傷がつかないようにやっている。
今年の梅は、大きくて、ふっくらとしている。豊作だ。
今日は、10キロほど漬ける。折をみて、もう一度あの八百屋へ行って、今度は、叩き売りサービス価格で、もう5キロほど買ってこよう。
馥郁とした香りに包まれて、幸せな気持ちで考える。
女と子ども二人の家庭で、15キロの梅は、多すぎるかな。朝は、時にはパン食もするし、小学校ではお弁当はいらないし。
もちろん子どもは、梅焼酎など飲まない。
「ねえ、パパに届けてあげようか」
私は美弥に問いかける。
近藤は、同じ市内に住んでいる。会社の帰りは随分遅いが、毎日ちゃんと帰ってはいるようだ。朝ごはんくらいは、家で食べているだろう。
「いらないよ」
父親に代わって、美弥が即答する。寄り目になって、夢中で梅のヘタを取っている。
「なんで。紀州梅だよ。ブランドだよ」
塩は、赤穂の甘塩。8月初旬にできあがる梅干は、プラダもヴィトンもない我が家の、唯一のブランド品である。
「あの人には、わかんないって。高い梅だってこと」
したり顔で美弥は言う。
姉の口真似をしている。
いや、そんなに高いわけではない。梅は、旬を迎え、1キロ1000円を切らなければ、決して手を出さないし、塩だって、一キロ300円ほどだ。
「そんなこと言わないで、美弥、持ってってあげなよ」
あの家へ行くのは、私は、ちょっと、遠慮したい。しかし、近藤にも、たまには、子ども達に会う機会を設けてあげないと。
「パパ、しょっぱいもの、嫌いだよ。子どもなの」
美弥は、済まして言う。恐らく、自分たちがこの冬までいたマンションに行くのが、億劫なのだろう。
「じゃ、雪美にでも、頼もうかな……」
実現不可能と思いつつ、言うだけ言ってみる。本音のところ、進路について、父親と、今一度、相談してほしかったのだ。
だが、雪美は、近藤のマンションへは行かないだろう。
近藤は、あまり子ども達のめんどうを見る男ではなかった。
近藤が大丈夫というので、子どもたちのことは任せていたが、家の中は荒れ放題、学校のプリントはランドセルを出た途端に行方不明、子どもたちは、しょっちゅう忘れ物をする、といったありさまだった。
雪美は、学校でいじめられていた、らしかった。
この年齢の子どもらは、潔癖で、残忍だ。お風呂に毎日入り、洗濯したての服を着ていかなくては、クサイと言われる。
そういえば、店で売られている洗剤は、フローラルとかなんとか、かなり強い匂いがつけられている。匂いのないものを探すのが、難しいくらいだ。
私なぞは、よその家の干してある洗濯物から、洗剤の匂いが漂ってくると、吐き気を感じる。
同じ洗剤でも、その家によって、微妙に匂いが違う。それはつまり、その家族独自の体臭が幽かに残っているからだ。
私の鼻は、人工的な香料と人間臭さの混ざり合いの奥に、恐怖の匂いを感じる。自分の体の匂いを、クサイと言われる恐怖。清潔ではないと言われ、仲間はずれにされる恐怖。
人工的な香料の放つ匂いの底には、洗いたてを強調しなければならない強迫観念が秘められている。
洗濯も風呂も(立てるのも、掃除するのも)面倒くさがる近藤のもとで、雪美は、まあ、いじめられても仕方のない状態ではあったろう。
一方、美弥は、この春まで、保育園に預けられていた。
保育園では、プロの手によるきちんとしたケアが受けられると、近藤は強調していた。
素人の専業主婦に育てられるより、よっぽど手厚いケアが受けられる、と。
確かに、離乳食からオムツ外しに至るまで、最近の保育園は、あらゆる「サポート」をしてくれる、と聞いた。まあ、そうなんだろう。
しかし、子どもにも、いろんな種類がある。
必ずしも、外注OK、という子ばかりではない筈だ。
近藤と暮らしていた頃の、美弥のパンツをよく覚えている。
マンションを訪ねて洗濯をしようとすると、美弥のパンツは、必ず、乾いたおしっこや、こすれたような黄色いウンチで汚れていたものだ。
オムツが取れるのは、早い子だった。2歳になるやならずで、もう、とれていた。
それなのに、パンツが汚れてしまう。
目立つお漏らしではないから、誰にも気づかれず、パンツを替えてもらえない。
いつだって、美弥は、にこにこしていた。保育園からの連絡帳には、明るい、よく笑う子です、と書かれていた。
その笑顔の影で、美弥のパンツは汚れていたのだ。
保母さんにうまく甘えることができず、不安で緊張して、でも、弱音は吐かず、向日葵のように明るく笑いながら、少しずつ、美弥のパンツは汚れていった。
だから私が、2人を引き取った。近藤なんかに任せておけるか。
繰り返すが、子どもには、種類があるのだ。外で保育されるのに向かない子も、たしかに、ある。そういう子も、親の都合で、一律に「預けられる」。
子どもを預けることの問題点は、保育時間延長や、病児保育など、親の立場で語られる。
だがしかし、預けられるのは苦手、内弁慶、など、子どもの特性で語られることは、めったにない。
なんか、おかしくないか?
私と一緒に暮らすようになって、美弥の下着は、もう、付けおき洗いが必要なほど汚れることはなくなった。
雪美も、同じ目標を持つ友達と出会い、毎日いやがらずに学校へ通っている。新しい学校で、いじめとはすっかり縁が切れた。
近藤は不本意だろうが、私も無職の専業主婦の身で、多少強引であったかとも思うが、これでよかったと思っている。
ついでだから言っておこう。
私は、夫とは別居しているが、離婚はしていない。
だから、専業主婦。
この言葉、今では、あまりいい言葉ではない。だが、たとえヒマな主婦の手なぐさみと言われても、家族に国産・無添加の梅干を食べさせることができる専業主婦という身分に、私は、誇りをもっている。
「おいしそう。食べていい?」
美弥が、うずうずしている。
私は笑った。
「生の梅を食べると、お腹を壊すよ」
「ふうん」
美弥は、何とも解せない表情で、熟した梅の実を見ている。オレンジ色に熟した梅は、切ないほど甘い匂いを惜しげもなく放つ。
「ちょっとなら? ねえ、ちょっとだけなら?」
物欲しそうに、こちらの顔色を窺っている。
「じゃ、なめてごらん」
私は、熟して傷がついた梅の皮を軽くむいて、美弥に差し出した。
美弥は、恐る恐る舌を出し、思い切ったように、ぺろっ、となめる。
「わっ、すっぱい!」
「だって、梅干って、すっぱいじゃん」
笑いながら、私は言った。
甘い香りにすっぱい味。
不思議そうな美弥の顔を見ていると、笑いがこみあげてきた。
幸せな時間。
自分の時間は極端に減ってしまったが、PTAなど、厄介ごとはしょいこんでしまったが、やっぱり、一緒に暮らせてよかった。
それにしても、15キロの梅干は、さすがに、少し、多いかもしれない。
真紀子にでも送ってやるか。
自分たちだけで食べるのはもったいないほどの、いい梅だし。
現在フランスにいるキャリアウーマンには、船便で送るしかないのが、面倒だが。