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専業主婦!  作者: せりもも
第1章 PTAモンスター、爆誕!
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GHQの遺物


 そして、記念すべき第一回の委員会。


 6年生は、4クラスある。

 4人出席すべきところ、集まったのは3人だった。その中で、私は、見事、アミダを引き当てた。


 何のアミダかって? もちろん、委員長を決めるアミダである。

 栄えある、来年度役員決めの、選出委員長の。


 そんな大切なものを、アミダで決めるな!



 委員長は、学校や本部との連絡係とかいうことで、本部役員が主催する部会にも出席しなければならない。ヒラの役員よりずっと拘束時間が長い。しかも、仕事の多くが、平日の昼間にある。

 フルタイムで働いていたら、まず、こなせまい。


 でもだからって、なんで私が。



 くじ引きの前……。

 出席しているお母さん方は、眉間に立て筋が寄っていたり、口の脇がぐっと下がっていたりした。

 なんだか、怖い。


 はっきり言って、みんな、フケてる。フケた女たちが、互いに厄を押し付けあっている。


 怖い。

 この人たちとうまくやっていく自信は、私には、ない。


 いの一番で、私が委員長のアミダを引き当てた途端、みんなものすごく、柔和な顔になったのだが。



 出席したからいけなかったのだ。十二分の一ならまだしも、六分の一の確率だ。


 シカトすればよかった。

 正直者が馬鹿をみる。



 アミダから目を上げた旧委員長から、私が委員長に「決まった」と告げられたとき、マジで窓から飛び降りてやろうかと思った。でも、ここが二階なのを思い出して、やめた。二階から飛び降りても、痛いだけである。


 発作的に死んでしまいたいと思ったのは、長い人生、後にも先にも、この時だけである。


 どうすりゃいいんだ。

 怒りと困惑。

 うまく厄を逃れやがった、いや、サボッて出てこない母親たちへの憎しみが、胸のなかでとぐろを巻いて、目の前がすうーっと暗くなった。



 気がつくと、何だか固い布団の上に横になっていた。


「あ、大丈夫ですか?」

優しい声が降ってくる。


「え?」


慌てて起き上がろうとすると、そっと押さえつけられた。


「急に起きるのは良くないですよ。じっとしてて」



 汚れた天井、薄いグリーンの布を張った衝立、そこに貼られた視力検査のCの字。

 私は、小学校の保健室のパイプベッドの上に寝かされていた。



 「気がつきました?」

さっきとは違う、さばさばした声がして、衝立の向こうから、女が顔を出す。日に焼けた顔にソバカスの浮いた、健康そうな顔だ。

 白衣を着ている。保健の先生だ。


 ということは……。

 アミダで委員長を引き当てたショックで、ひっくり返ったということか。


 子どもたちを預けている学校で、なんという失態!



「ごめんなさい」

とりあえず、謝る。ここは学校だ。保健室は、保護者の為にあるのではない。


「どこか苦しかったり痛かったりするとこ、あります?」

極めて事務的に、保健の先生が尋ねる。


「いいえ、特に」

「起き上がれます?」

「もう、大丈夫です。お見苦しいところをお見せしてしまって、申し訳ありません」


「持病はあります?」

保健の先生が、改まった口調で聞いてきた。


「何にもありませんよ。全くの健康体です」

きっぱりと言ってやった。


「健康診断とか、受けてます?」

「もちろん」



 本当は、主婦になってから、健診など受けたことがないのだが、真実を語るかどうかは、プライバシーの問題だ。


 それに、健康診断なんか受けると、かえって具合が悪くなる。年が多くなると、検査項目も増えて、ヘンなものを飲まされたり、血をどっさり採られたり、かえって、体に悪い。


「軽い貧血だと思うんですけど、学校では、病院にお連れすることができないんです。あとで、ちゃんと病院に行ってくださいね」


 はいはいと、私は頷いた。



 会議があるとかで、保健の先生は、慌しく部屋を出て行った。私はゆっくり起き上がり、帰り支度を始めた。



「ショック性の貧血ですよねえ」


 低いぼそぼそとした、でも、決して聞き苦しくない声が言った。

 保健室で気がついた時、大丈夫か、と、最初に気遣ってくれた声だ。


 振り向くと、ボタンダウンのブラウスに、柄の入ったグレー系のフレアスカートと、まあ一言でいえば、かなり野暮ったいなりの母親が立っていた。


「あれ……」


どこかで会ったことがあるような……。


「雪美ちゃんのクラスに娘がいます。それと、美弥ちゃんのクラスに息子が」


 思い出した。雪美のクラスの保護者会の後、下駄箱のそばで、何か話しかけたそうにしていた母親だ。


 あまりに影が薄かったので、つい、無視してしまったのだった。



「もしかして、ずっと付き添っていてくれたの?」


「ええ。私も、さっきの選出委員会にいたんですけど……。おねえちゃんのクラスでは、近藤さんが引き受けて下さったけど、弟の拓也のクラスで、選出委員補佐のクジに当たってしまって……」


 私は必死に、さきほどの委員会出席者を思い出そうとした。


 私の他に、確か2人が、アミダを引いた筈。二人とも、青筋立てたおっかない顔をしていたような気がするけど、その中に、こんな、おどおどした、気の弱そうな人がいたかな? 

 あ、補佐、ということは、くじには参加していなかったわけか。



「委員長なんて、ほんと、大変ですよねえ。何にもわからないのに、いきなり、ですもんねえ」


「本当ですよ。私、この学校の正門から中に入ったのは、4月の美弥の入学式に来たのが初めてで、今日で、まだ3度目なんですよ!」


「普通は、そんなもんですよ。役員にでもならない限り、保護者会と参観以外は、来ませんもの。呼び出されるまで学校に来ない人もいるし」



 私は、真紀子が、子どもの担任の顔も知らないと豪語していたことを思い出し、ため息をついた。

 働いていたら、PTAなど、論外であろう。それはわかるが……。


 今日の委員会の出席率の悪さから考えると、実質的な活動は、委員長であるこの私が、一身に引き受けるという最悪のシナリオが脳裏を駆け抜け、思わず愚痴が口をついて出た。



「会議とか学校との連絡係とか、拘束時間も長いのに、アミダクジで決めるなんて、無茶苦茶です」


「本当にねえ。働いている方には、絶対、無理ですよね。昼間の評議会に出られませんもん」


「評議会?」


「ええ。平日の昼間にあるそうですよ。本部と各委員会の情報交換会なんですけど、半日くらい話し合ってることもあるそうです」


「ひぇー」


「大変ですよね。私でよかったら、何でも手伝いますから」


「ありがとう」

 私は思わず、名も知らぬ、この若いお母さんの手を握り締めそうになった。



 「私、角館かくだてしのぶと言います」

 小さな紙を差し出す。薄いピンクを基調とした色彩で、角が丸く落としてある。


 受け取って見ると、かわいらしい熊のキャラクターが微笑んでいる上に、小さな丸っこい字体で何か印刷してある。

 目をすがめて読んでみると、名前とメールアドレスだった。


 ママ名刺だ。噂には聞いていたが、これが、ママ名刺!



「名前で呼んで下さいね。ユイママ・タクママと呼ばれるのも、苗字で呼ばれるのも、なんだかあんまり私らしくない気がして」


「あ、そうよね。私の名前は、信子のぶこ。一年間、よろしくお願いします。せいいっぱい、頑張ります」


「頑張るのは、駄目」

しのぶさんはいたずらっぽく微笑んだ。

「こういうのは、楽しまなくては」


 私は、この、自分より若い母親に、なにやら、非常にのびのびとした、ふてぶてしさを感じた。

 明るくて、滅多なことでは潰されないふてぶてしさだ。



 だが、不安が消えたわけではない。


「わからないことだらけなの。いろいろ、教えて下さいね」

「私でわかることなら」


「何から始めたらいいのかな」

「宝くじを買うの」


「宝くじ?」


「今日のこの、くじ運の良さを生かすのよ。グリーンジャンボには早いけど、スクラッチはつまらないし……サッカーくじがいいわ! 今ならビッグが買えるから、近いうちに、ぜひ!」


「……どうやって買えばいいの?」

私も、やぶれかぶれになって言った。


「コンビニに機械があるから」

「だって、あんなの、使ったことないし」


 最近は、通販の支払いもコンビニ払いだ。気がつくと、どのコンビニエンスストアにも、入り口近くに、支払機がひっそりと置かれていたりする。


 しかし私は、夫が稼いでくれた大切なお金を、機械ごときに吸い取られるのがなんとも心もとなく、店員さんを通して支払えるものでなければ、通販の利用も諦めている。



「一緒に行ってあげる!」


 私は曖昧に頷いた。下級生クラスから選ばれた、選出委員補佐、ということだが、この人は、どこまで協力してくれるのだろう……。


 でも、まあ、悪い人ではなさそうだ。ずっと私に付き添っていてくれたことだし、委員の仕事も手伝うと、明言してくれていることだし。


 厄はついたが、ママ友ができそうな気がして、嬉しくなった。



「落ち込んでいても仕方がないもんね。これもご縁よね。たった1年だし、来年の今頃は、もう、笑っているのよね」


 自ら進んで新聞係を引き受けた美弥のことを思いながら、私は言った。あの子たちの評判を貶めるようなことは、金輪際、できない。


 しのぶさんは、怪訝そうな顔をした。


「雪美パパがなさるのではないの?」


「さあ。主人とは別居中だし。あ、離婚しているわけではないのよ」


 悪い噂がたったら、子ども達がかわいそうだ。でも、わざわざ言うほどのことではなかったかもしれない。私は慌てて付け加えた。


「それにこの学校は、PTA会長もお母さんよね」



 学校によっては、父親が会長を買って出るところもある。関西に住んでいる知人の娘が通っていた学校が、そうだった。

 商店会の主だった人とか、市議会議員だとか、そういう人が積極的に引き受けてくれると言っていた。


 だが、さきほどの委員会で聞いた、会長はじめ役員の名前は、みな女名前だった。


「私がやるしかないわ」



「偉い、信子さん、偉すぎる。でも、あまり無理しない方が」


「するわけないじゃない。PTAなんて、しょせんボランティアだもの」



 そもそもPTAは、戦後、進駐軍《GHQ》が残したものだと聞いたことがある。

 それが、実に五十年以上もの間、旧態依然として、母親たちを縛り続けてきたのだ。


 アホらしいといえば、アホらしい。


「それにしても、クジ引きとはね。来ない人勝ちよね」

私の心を代弁するようにしのぶさんは言った。

「PTAなんてなくしちゃえばいいのに」









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