其之八 「 大切に 」
芳春へ
今日は芳春に憶えておいて欲しいことを思いだしたので、その話をしたいと思う。話の内容はだいぶ難しいだろうし、解らない漢字も多いとは思うが、それがわかる年になってから読んでもらえばいいとも思っているので、気にせずに書かせてもらう。
そして、この手紙をどう受け取るかは、全て芳春に任せたいとも思っている。破り捨ててもいいし、忘れてしまっていもいい。ある意味で、これから伝えようと思っていることは父親のエゴであるから、一切の強要をするつもりがないのだ。全ては芳春の好きなようにして欲しい。
君が生まれたときのことだ。
君が今まさに生まれようとしている時、私は仕事をしていた。
私は、仕事をしている最中はそのこと以外に頭が働かない方なので、実のところ君が生まれそうだと連絡を受けるまで、まったくそのことを忘れていた。だが、連絡を受け仕事を早々に終わらせてからは、今度は君と妻の安否で頭が一杯になっていたことを憶えている。
君が生まれたのは隣街の赤十字病院で、駅の比較的近くにある大きな病院だった。私はすぐさま電車に飛び乗り、その病院へと急いだ。
その時の気持ちを何といったらいいのか解らない。
期待といったらいいのか、不安といったらいいのか。
だいぶ昔の話になるが、私にはもう一人の弟が生まれるはずだった。
君の祖母がもう40を過ぎた頃のことだ。
やはりあの時も同じように連絡を受けて、病院へ兄とともにかけつけた。父(君にとってはお祖父さんか)は私達よりも早く病院につき、すでに扉の前の椅子に座り込んでいた。
兄に連れられた私はその父の様子をみて、ただならぬことが起きていることがすぐに解った。
かなり遅い時期のお産は胎児にも母体にもよくない。もしもの可能性が高い、と話には聞いていたが、その言葉の意味が解らなかった。だが、父の姿をみて初めて体で理解した。
こんなに父は小さかったのだろうか。
こんなに非力そうだったのだろうか。
そして、私達が見ていることに気づきもせず、父は椅子から降りて正座をすると、ぴったりと額を床につけ祈り始めた。
その真剣な様子に心臓をつかまれたような思いがして、兄と私はただその場に立ちつくした。
お産を見た経験は後にも先にもそれっきりだったので、私はお前がちゃんと生まれてくるのだろうか、とても心配だった。
駅を降りると、不思議なほど足が早くなっていた。病院は歩いて5分ぐらいのところにあって、急いでも急がなくてもそれほど変わりのない所にあるのだが、だからこそ走らずにはいられなかった。
革靴というのは走るのには向かないものだということを、あの時はあらためて思い知らされた。走り込むたびに靴が外れそうになってしまうのだ。風に流されてあちこちに移動するネクタイを何はともあれ後ろに流し、私はけっこう一生懸命走った。
そんな私を、道ばたを歩く若い人達が、不思議なものを見るような目をしてみつめているのだ。息がきれ、体も汗ばむほどに動かしていたが、頭だけは妙に冷えていてその時の様子を何かの絵を見つめるように憶えている。
病院にかけこみ、入ったすぐの所にある受付で場所をたずね、廊下だけは走らずに分娩室へ向かった。
お産はまだ終わっていないようで、部屋の外で私は待たされた。だが早産ではなかったことに私は妙にほっとした。早産は流産につながる印象がやはり、根強く私にはあったらしい。
そして、椅子に腰掛け、私は君が生まれてくるのを待つことにした。
あの時の気持ちというのは面白いものだな。心は妙に冷静なのだ。というか、大したことはあまり考えられない。くだらないことが浮かんでは消え、そしてどちらかというととても冷静なのだ。
ただ、足は貧乏ゆすりしているし、煙草を吸おうとして、分娩室の前だと思ってやはりやめにして、そんなことを限りなく繰り返していた。自分でも落ちついているのか、いないのか、とても解らなかった。
そして、子供を持つというのは、どういう意味なのかと考えだした。
君が生まれるということは、まだ私にとっては、他人が家族の一員となるのとあまりかわりのないものだった。少しショックかも知れないが、血のつながりというものが、あまり私には実感ができなかったのだ。ただ、なるべく自由に、私のように束縛されないように育てることができれば、とだけはその頃から強く考えていた。
しばらくはそんなことを取り留めもなく考えていたのだが、君はなかなか産まれてこなかった。私はしだいに焦り始めていたが、その一方で、いやお産とはこのぐらい時間がかかるものではないのか、とも考えていた。
だが、それは全くの無知だった。
私がそうして扉一枚外で考えているとき、お前と妻は必死に戦っていた。
あとで医者に聞いた話によると、もともとお前はなんら問題なく出産されるはずだったのだという。体つきもけっして大きくはないし、妻も帝王切開しなければいけないほど華奢というわけではなかった。
だが、なかなか産まれてこない。
医者は特に問題はない、少し時間がかかっているだけだと思っていたらしいのだが、予想をはるかにこえ、お前は産まれてくる気配すらなかった。
これ以上は危険だと察知した医者は、すぐに帝王切開に切り替えるよう看護婦に言いわたしたその瞬間、お前の母の様態が急変した。
母体を助けるための処置と、帝王切開が同時に行われた。
その慌ただしい様子は私にも知れたが、私は単純にももうすぐ産まれるためなのだと、納得していた。妻が生死の瀬戸際にいたというのに。
母の様態は、生命を司っていた糸が緊張の連続に耐えられず切れてしまったように、急速に死へと向かっていた。痙攣が始まる、全身にチアノーゼが起こり始める。転げ落ちる命を止めることは、誰にもできなかった。
奇しくも、お前が産まれたのと母の命が絶えたのは、同じ時だったという。お前が母体の中からすくい上げられ、へその緒が切れ、泣き始めたその瞬間、母の心臓は停止した。
やっと聞こえたお前の声に、私はなんとも言えない感慨を覚えていた。
大きく、高く、響きわたる声。
何かを作りだしたような、何かから解放されたような気持ち、叫び声。
やがて、君は保育器のガラスの中に入れられた姿のまま、私の前にあらわれた。
看護婦の真剣な眼差しなど気づきもせず、私は真っ赤な顔をした君を見た。
嬉しい。
心から、嬉しいと思った。
だが、そんな思いを無視して、保育器は去っていってしまい、代わりに待っていたのは、気まずそうな表情をした医者だった。
その時の気持ちを、君は解ってくれるだろうか。
衝撃というのはね、どうやら、大きすぎるとなかなかやって来ないものらしい。
ひどく冷静で、頭の中は海の底に広がる世界よりも、もっと静かだった。
その頭が、医者からの言葉を静かに受けとめていく。
説明が終わり静かになったとき、私は扉の向こうへ歩きだした。
とびらを向こうは、違う世界だった。
母はね、真っ白だった。
雪のように真っ白で、君が出てきたところだけ少し赤かった。
看護婦の人にすぐに押し出され、もと座っていた椅子にすべてを任せて寄りかかるしかなかった。
でもね、相変わらず頭は冷静だったのだよ。
何も頭の中に浮かんでこなくて、ただ何故こんなに冷静でいられるのかと、さらに深く落ち込んでいたのだ。
1時間ほども何も考えずに座り込んでいると、看護婦がベッドを用意したから少し休むといい、と優しく声をかけてくれたのをきっかけに、私はやっと歩き出した。
どこを歩いたのかは、未だにはっきりと覚えていない。
ひどく冷静なくせに、何も考えられない。出口がどこにあるのか解らないのだ。
ふと気づくと、横のガラスの向こうに、君と同じような保育器の中に入った新生児達の姿が見えて、私はそのガラスに顔をつけた。
君には悪いが、君が保育器とともに去ってからこの時に至るまで、私は君のことをすっかり忘れていた。
だがガラスに顔をつけたとたん、みんな顔は同じように見えるのに、君がどれなのか何故か解った。
そして、見つめていたら、涙が溢れたきた。
ただもう溢れてきて、一生分の涙が流れるかと思った。
君が産まれるというのは、こういうことだったのだ。
ぼやける視界の向こうで、私はひたすら君だけを見つめ続けたのを憶えている。
私は生きなくてはならない。
柔らかな君の命を守るために、私は生きなくてはならない。
そして、君のために生きることに、ほんの少しの義務と、なぜか誇りを感じる。
だから、生き続けて欲しい。
こんな手紙に縛られてはいけないが、だが父と母の君への気持ちは、できることなら忘れないで欲しい。
君を、掛け替えのないものとは言わない。
何よりも大事なものとも言わない。
君は産まれたその時から、私達の所有物ではなく、ひとりの人間となったのだから。
父は君と友達になりたいと思っている。
いちばん長い時を過ごすことによって、他の誰にも共有できないものをもつ友達になりたいと思っている。
だから、君はいつでもひとりの人間として、沢山の人と接して生きて欲しい。
そして、全ての人を大切に。
自分を、大切に。