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月夜話  作者: 京夜
7/11

其之七 「 かみなり、ごろろ 」


 夏も終わりかけ、最近は雨が降ることが多くなってきていた。季節の変わり目はひと雨ひと雨ごとに何となく肌寒くて、だんだんと秋が近付いてくるのを感じやすい。そんなときの雨は、だいたいしとしとと静かにふるか、今日みたいに雷を伴う大雨のことが多いようだ。


 どん がら がら


 太鼓のような音が空にひびく。そして、どんどん暗くなる空から、大粒の雨が降り始めた。外にいた人が逃げる間もなくびしょぬれになるほど、すごい勢いで雨粒が増えていき、いつしかあたりは雨一色になっていた。

 家の縁下でたたずんでいた更紗<サラサ>と芳春<ヨシハル>は、いきなり降りだした雨にびっくりした。暗い雲が立ちこめたかと思うやの、すさまじい雨である。


 ざっ ざぁ ざぁぁ


 目のまえには桜が3本、緑のいろを濃くした葉が雨粒をいっしんに浴びていた。葉にたまった雨粒が、ぽとぽとぽとと下にはえる苔に落ち、そして土にしみこんでいく。

「すごい雨ですね」

 もうすぐ10才になる芳春が呟く。いつもより大きな声で言ったはずなのに、雨の音にすぐにかき消されてしまった。

「静かでいいわね」

 22才の更紗は、吹いてきた風に髪をなびかせ、落ちついた口調で呟く。そんなに大きな声ではなかったが、きれいな声ははっきりと芳春の耳にとどいた。

 しかし、静かとはとても言えない。雨の音、雷の音で、声を張り上げなくてはいけないというのに、と感じた芳春は聞き返さずにはいられなかった。

「静かですか?」

「自然の音以外、なにもしないじゃない」

 芳春はくるりとあたりの音を聞きわたす。

 家の中には他に人はいなくて、物音一つしていない。車の音も、人の足音も、話し声も、虫の声さえも聞こえない。雷雨のやかましさに慣れてくると、芳春はあまりにも静かな気がしてぶるっと身震いした。

 更紗は、涼しげなワンピースの裾と、少し色の落ちた茶褐色の髪とを風になびかせながら、ちょっと笑みさえ浮かべ空を見つめていた。

 こんな時、更紗がとても落ちついているのを見ると、芳春は本当に落ちつくことができる。昔、まだこの家に居候していなかったとき、芳春はたいがい大きな家で一人しかいなくて、雷の時は恐さのあまり、布団の中で泣き続けていた日があった。

 たった一人の存在がこれほど安心感を与えるのかな、と芳春はちらりと横の更紗を見た。

「あっ、落ちた」

「えっ」

 どぉぉん おん! と地響きにも似た音が体を揺らすと、芳春は胸がきゅうといたくなってしまった。やっぱり恐い。そうだというのに、更紗はすっかり嬉しそうに、

「ねえねえ、何かうきうきしない?」

 という。芳春はつい、大きな声で「しませんっ!」とこたえた。

 手をぎゅっと握る芳春を見て、更紗はちょっと笑い、そして迷惑なことに、芳春をからかいたい気分にかられたようだった。

「昔ねぇ、芳春君ぐらいの年頃の子供達が遠足に出かけたの。そうしたら急に曇りだして、雷になってしまって、先生達は急いでみんなに金属をとるように指示したんだって。その時ある子がね、『せんせいっ! これも取るんですか!』って自分のバッジを高々と持ち上げたの」

 更紗はそう言いながら、自分の手をあげた。芳春は気が気でなくて、大きな瞳を潤ませていた。雷がもうすぐそこまで来ている。

「そうしたら、その手をあげた子に、どっかぁぁん!!」

 ひときわ大きな雷が、すぐ近くのビルの避雷針に落ちた。芳春はあまりの音に耳に手をあて、つぶった瞳からは涙がこぼれ落ちた。本当に恐かったらしい。

 いつまでも、おんおん、と雷の名残音がこだましている。そして、あたりの景色はいっそう灰色の世界につつまれ、水を含んだ土の香りがあたり一面に広がっていた。

 雨はもう、滝のように流れ落ちている。バケツで水を落としたって、こうはなるまい。

 更紗はきゅうに芳春がかわいそうになった。まさか本当に泣いてしまうとは思っていなかった。

「ごめんっ! そんなに恐かった?」

「少し……」

「ごめんね。ちょっと、からかいたかっただけなんだけど」

 更紗は、両手で芳春を抱きしめた。ふわっとした雲の中に飛び込んだような、芳春は気持ちがした。

「安心して、落ちた場所から70メートル以内は、もう安全なんだって。それに、電気の通りやすさに関係なく、高い場所にあるものに落ちる性質があるから、この家は大丈夫だし。あとね、あとね」

「……更紗さん、もう大丈夫です」

「そう?」

 自分から離れた芳春の顔は、真っ赤に染まっていた。甘い香と柔らかい肌に抱きしめられていることが、ひどく恥ずかしいことのように芳春は思えたらしい。

 母親に抱きしめられたことがないのに、もう恥ずかしい年なのかな、と更紗はちょっと残念に思い、芳春の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 少し、雷の落ちた光と音の差がひろまってきた。もう雷は通り過ぎていったようで、雨もゆるやかになりつつあった。

「ほら、向こう側、もう晴れてきてるよ」

 芳春はそちらの方向を見て、言葉もなくうなずいた。雨雲の端がしだいによってくるのが見える。

「…………」

 上空には、すごい風が吹いているようだ。雲の群れが来たときと同じように、あっという間に流されていく。そして見えたのは、太陽からの眩しい光りと、きり雨だった。

「にわか雨になった」

「『にわか雨』は、正しい表現じゃないなぁ」

「どうしてですか?」

「『にわか雨』は『にわかに降り出して、すぐに止んでしまう雨』のことであって、『晴れているのに雨が降っている天気』のことを厳密には、さすわけじゃないから」

「じゃあ、どうやっていうのですか?」

 更紗の得意げに笑った横顔に、さぁっと陽光がさした。眩しいほどの肌の色に、芳春はちょっとだけ目を細めなければならなかった。

「狐の嫁入り」

「きつねのよめいり?」

「そう」

 二人はふたたび雨ふる晴れた空を見つめた。

 その遥かとおく、かすかに見える山の中で、あのすました顔をした狐達が結婚衣装を身にまとい、幸せな行列をくんでいる様子を思い浮かべると、芳春はさっきまでの気持ちが雲といっしょに流れさり、何となく嬉しい気持ちになった。

 狐の花嫁の笑顔に、この晴れた空とかすかに降る雨が、ものすごく似合っているような気がするのだった。

 山奥のふかい緑のあぜ道を歩く、狐の嫁入り。

 更紗にもう一度だきしめられ、自分の母もそうしてお嫁にいったのだろうか、などということを芳春は思い出していた。



 晴れた空の下の、そんなお話。


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