最終話「一度だけのはずだった、その先」
ここまで読んでくださった方へ。
これは、特別な人間の話ではありません。
“どこにでもある選択”の、少し先の話です。
終わりは、あっけなかった。
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「今回の件だけど」
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上司の声。
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落ち着いたトーン。
責めるわけでも、怒るわけでもない。
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「一度、離れようか」
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それだけだった。
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理由は、言われなくても分かる。
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ミスの連続。
判断力の低下。
信頼の喪失。
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全部、自分で分かっている。
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「……はい」
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短く答える。
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それ以上、何も言えなかった。
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■仕事の終わり
デスクを片付ける。
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見慣れた景色。
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毎日いた場所。
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それなのに、
もう“自分の場所”じゃない。
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周りの声も、
視線も、
全部が遠い。
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「お疲れ様でした」
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誰かの声。
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それに、うまく返せなかった。
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■家庭の終わり
家に帰る。
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玄関を開ける。
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違和感は、もうなかった。
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静かな部屋。
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慣れてしまった空気。
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テーブルの上に、
一枚の紙。
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離婚届。
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サインは、もう入っている。
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「……そうだよね」
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小さく呟く。
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驚きはなかった。
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止めようとも思わなかった。
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ペンを取る。
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少しだけ手が止まる。
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それでも——
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迷いはなかった。
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名前を書く。
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それで、終わり。
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■最後の連絡
外に出る。
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スマートフォンを開く。
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最後に、一度だけ。
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『会えますか』
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送信。
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少しして、既読がつく。
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でも——
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返事は、来ない。
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数分。
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十分。
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それでも、来ない。
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■理解
そのとき、
はっきり分かった。
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終わったのは、
仕事でも、
家庭でもない。
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最初から——
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私は、
選ばれる側じゃなかった。
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■残ったもの
部屋に戻る。
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何もない空間。
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音も、温度も、薄い。
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座る。
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動かない。
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スマートフォンだけが、光っている。
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通知は、来ない。
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もう、来ることはない。
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■それでも
思い出す。
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あのときの感覚。
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完全じゃない。
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でも——
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近づける。
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何度も、繰り返す。
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思い出す。
再現する。
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でも足りない。
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決定的に。
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「……なんで」
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分かっている。
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足りないのは、
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“あの場所”で、
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“あの人”で、
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“あの瞬間”だ。
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■最後
最初に壊れたのは、理性だった。
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でも本当は——
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壊したかったのかもしれない。
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全部。
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仕事も、
家庭も、
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“普通”でいる自分も。
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一度だけのはずだった。
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本当に、そう思っていた。
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それなのに私は、
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すべてを失ってまで、
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あの夜に、戻ろうとしている。
通知の来ない画面を見つめながら、
私は今日も——
存在しない“続きを”待っている。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これは、誰かに壊された話ではなく、
自分で選び続けた結果の物語です。
もしどこかで「分かる」と思ったなら、
それが一番怖いのかもしれません。




