第七話「失っていくもの」
大事なものは、気づいたときにはもう遅い。
それでも、人は止まりません。
きっかけは、些細なことだった。
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「この案件、外されることになったから」
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上司の一言。
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一瞬、意味が分からなかった。
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「……どういうことですか」
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「最近、ミス多いでしょ」
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淡々とした説明。
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責めているわけじゃない。
事実を言っているだけ。
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それが、余計に現実だった。
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「一旦、立て直そう」
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フォローのつもりの言葉。
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でも——
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完全に、外された。
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今まで任されていた仕事。
築いてきた信頼。
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全部が、一気に遠くなる。
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「大丈夫です」
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反射的に答える。
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何が大丈夫なのか、自分でも分からない。
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■壊れていく仕事
席に戻る。
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周りの視線が、少しだけ変わっている気がした。
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気のせいかもしれない。
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でも——
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そう思えなくなっている時点で、
もう正常じゃなかった。
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画面を開く。
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何も頭に入らない。
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指が止まる。
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考える。
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でも出てくるのは——
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全然関係ないこと。
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「……なんで」
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小さく呟く。
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分かっている。
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理由なんて、ひとつしかない。
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■家庭の崩壊
帰宅。
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玄関を開けた瞬間、
違和感があった。
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静かすぎる。
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「……ただいま」
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返事がない。
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リビングに行くと、
夫が座っていた。
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テレビもつけずに。
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「話がある」
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その一言で、全部分かる。
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逃げられない。
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「最近、様子おかしいよな」
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まっすぐな視線。
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「仕事が忙しくて」
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反射的に出る言葉。
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「それだけか?」
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間。
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答えられない。
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「……何かあるなら、ちゃんと言ってくれ」
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心配している。
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そのはずなのに。
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なぜか——
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それが、重かった。
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「何もないから」
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少し強く言う。
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空気が、変わる。
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決定的に。
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「……そうか」
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それ以上、何も言わなかった。
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でも——
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何かが、終わった音がした。
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■それでも
外に出る。
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考えたくなかった。
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何も。
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スマートフォンを開く。
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迷いはない。
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『会えますか』
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送信。
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数秒。
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既読。
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でも——
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返ってこない。
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初めてだった。
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待たされるのは。
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■依存の完成
数分後。
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『今日は無理ですね』
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それだけ。
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理由もない。
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いつもより、少しだけ冷たい。
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「……そっか」
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声に出す。
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軽いはずの言葉が、
やけに重い。
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そのまま、画面を見る。
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閉じない。
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閉じられない。
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頭の中で、何度も繰り返す。
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なんで。
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どうして。
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昨日は、あんなに普通だったのに。
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■気づき
そのとき、
はっきり分かった。
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私はもう、
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“欲しいときに手に入る側”じゃない。
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“与えられるのを待つ側”になっている。
帰り道。
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足が止まる。
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どこにも行く場所がない。
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家にも、
会社にも、
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もう、居場所がない気がした。
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それでも——
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頭に浮かぶのは、
ひとつだけ。
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あの部屋。
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あの時間。
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あの感覚。
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「……行きたい」
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小さく呟く。
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その瞬間、
はっきり理解する。
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私はもう、
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失うものより、
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欲しいものの方が、
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大きくなっている。
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——ここまで来たら、戻れない。
仕事も、家庭も、もう崩れています。
それでも——
まだ、やめようとはしていません。
次回、すべてが終わります。




