第五話「もう戻らない選択」
回数が増えるのは、理由があるからじゃありません。
理由が、いらなくなったからです。
回数は、数えていなかった。
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最初は一度だけ。
その次は、確認。
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気づけば——
理由なんて、なくなっていた。
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「今日、来れます?」
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送信。
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数秒で既読。
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『いいですよ』
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それだけで、十分だった。
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——おかしい。
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分かっている。
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頻度が増えている。
間隔が短くなっている。
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前は、少し迷っていた。
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今は——
迷う時間すら、短くなっていた。
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「慣れましたね」
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部屋に入ってすぐ、高瀬が言う。
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「何がですか」
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「来る理由、作るの」
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言葉が、刺さる。
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否定できない。
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「別に、仕事の話もありますし」
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言い訳。
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自分でも分かるくらいに、薄い。
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「そういうことにしておきましょうか」
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軽く流される。
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それ以上、追及されない。
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でも——
それが逆に、逃げられない。
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視線が、自然とテーブルに向く。
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ある。
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いつもの場所に。
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小さな瓶。
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それを見るだけで、
頭の中が静かになる。
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考えることが減る。
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「今日はどうします?」
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聞かれるまでもなかった。
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「……使います」
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間髪入れずに答える。
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高瀬が、少しだけ笑う。
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「早いですね」
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その一言で、
自分がどう見えているか分かる。
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でも——
気にならなかった。
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グラスを受け取る。
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もう、躊躇はない。
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口にする。
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変わらないはずなのに、
すぐに分かる。
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近い。
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前よりも、はっきりと。
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「やっぱり」
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高瀬が呟く。
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「もうこれなくても、いけるでしょ」
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一瞬、止まる。
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「……どういう意味ですか」
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「思い出せるでしょ」
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言われて、気づく。
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思い出す。
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あのときの感覚。
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少しだけ——
再現できる。
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完全じゃない。
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でも、
前より確実に近い。
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「ほら」
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試すように言われる。
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やってみる。
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ほんの少し。
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似ている。
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それだけで、十分だった。
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「ね」
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高瀬が、満足そうに言う。
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「もう“きっかけ”いらないでしょ」
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その言葉が、
妙に現実的だった。
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いらない。
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確かに、そうかもしれない。
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でも——
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「……でも、あった方が」
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言いかけて、止まる。
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自分で理解してしまう。
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欲しいのは、“これ”じゃない。
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この状態に入る“スイッチ”だ。
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「それが依存ですよ」
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さらっと言われる。
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「分かっててやるやつ」
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否定できなかった。
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完全に、理解している。
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おかしいことも。
危ないことも。
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それでも——
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やめない。
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やめる理由より、
続ける理由の方が、強くなっていた。
会社。
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パソコンの画面を見ながら、
ぼんやりしている。
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文字が頭に入ってこない。
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思い出している。
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関係ないはずのことを。
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「佐伯さん?」
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呼ばれて、はっとする。
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「大丈夫ですか?」
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同僚の声。
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「……大丈夫です」
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反射的に答える。
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でも、自分でも分かっている。
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大丈夫じゃない。
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集中できていない。
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それでも——
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頭のどこかで、
別のことを考えている。
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“次はいつにするか”
帰り道。
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スマートフォンを見る。
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特に連絡はない。
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なのに——
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自分から、開いている。
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メッセージ画面。
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少し考えて、
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『明日、空いてますか』
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送信。
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一瞬の間。
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すぐに既読がつく。
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『空いてますよ』
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その文字を見た瞬間。
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安心している自分がいた。
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——もう、完全に分かっている。
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私は、
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やめる気がない。
もう止める理由は、全部分かっています。
それでもやめないのは——
自分が一番分かっているはずです。
次回、日常が壊れ始めます。




