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35分の記念日  作者: 芒雲 紘真
第二章:35分の日記
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ページ8 事故と友だち

橘陽菜、14歳。

これは、10年近く前の陽菜と澪の中学時代の話。

陽菜には嫌いなものが二つあった。


男っぽいと言われること。

性格がサバサバしているということは陽菜も自覚していた。女っぽいと思われたい訳じゃない。でもなよなよしているのが女だという男どもの見解が気に食わなかった。

 

もう一つは、そんななよなよした女。

いわゆる天然というやつは陽菜には、ただのあほに見えた。女の子っぽいキャラクターのグッズもいつまで付けてるんだよと思っていた。男の仮面ライダーくらいには卒業するべきものだと思う。

 

陽菜のクラスで特に気に食わなかったのが、笹川澪だった。

男にちやほやされて、どんな相手にも笑顔を撒き散らす。Theモテる女の子って感じで腹が立った。

今思えば、ただの嫉妬だったのかもしれない。

クラスの男子たちは澪の周りに集まっては楽しそうに笑っていた。

澪はそのどれにも、心から嬉しそうに笑い返していた。

作った笑顔じゃない。

その点だけは陽菜も認めざるを得なかった。

それがまた、腹立たしかった。


ある時、陽菜の帰宅に澪も着いてきた。

いつもは部活があるから気づかなかったが、この日は試験期間でみんな同じ時間に帰る。

どうやら、澪と陽菜の家は同じ方向らしい。

「橘さん!」

話しかけたのは澪だった。

「帰る方向一緒なんだね!一緒に帰ろ!」

会話越しにもビックリマークが見えた。

「私、一人で帰るのが好きだから。」

半分は本音、半分は澪への拒否反応だった。

「嫌だ!一緒に帰りたい!仲良くなりたい!」

澪のこの反応に陽菜は驚きはしなかった。

そうだ、この子はそういう子なんだ。

「嫌なもんは嫌なの。」

陽菜の反抗心に火がついた。

「一緒に帰る」

「一人で帰る」

この問答を繰り返すうちに家路へと進んでいく。

結果的に澪の要望が叶っている。

ゲームなら陽菜の負けだ。

陽菜が手を打たないとと考えている時、ぐすっと声が聞こえた。

「え?」

陽菜が後ろを振り返ると澪の目には涙が浮かんでいた。

それは欲しいものを買って貰えない幼稚園児のようだった。

14歳にもなって恥ずかしくないのか、と陽菜は本気で思った。

「私、橘さんに何かした?なんでそんなに避けるの?」

澪の言ったことは正論だった。

陽菜は直接的に澪からなにかされた訳ではなく、生理的に澪を避けていた。

しかし、今の陽菜にとってこの言葉は火に油を注いだ。

「あんたみたいに、いつもみんなからチヤホヤされているやつには私の気持ちなんて分かんないよ。」

陽菜は初めて声を荒らげた。

急な陽菜の強い反抗に驚いたのか、澪は立ち止まった。


「ぶぶー」

車のクラクションが聞こえた。

 

立ち止まったのは横断歩道だった。

車は急ブレーキを踏んで勢いはなかったが、細い体の澪を飛ばすには十分な速度だった。

「危ない!」「澪!」

何か声を掛けられたら変わっていたのかもしれない。

でも、まだ名前なんて呼んだことは無かったし。

それよりもあんなタイミングであんなこと言わなくても良かったのかもしれない。

陽菜は強く後悔していた。

この一瞬が、ずっと頭に焼き付いていた。

澪が車に弾かれた瞬間の、あの音。そして自分が最後に発した言葉。

チヤホヤされているやつには分かんない。

あれが最後に澪に向けた言葉になるかもしれなかった。

そう思うと、陽菜は自分の言葉がひどく幼稚で、どうしようもなく醜く感じた。

 

澪の怪我は大したことはなかった。

車の勢いが失速していたことと、バックがクッションになったことで、怪我は数箇所の打撲で済んだ。念の為、数日の間入院するらしい。

陽菜は見舞いに行った。

罪悪感がそうさせた。

入院病棟の廊下は静かで、白い蛍光灯がどこまでも続いていた。

陽菜は澪の病室の前で少しだけ立ち止まった。

何を言えばいいのか分からなかった。

謝ればいいのか、でも何に謝るのか。

あんなことを言ったことか。

あの場所に立ち止まらせたことか。

どちらもだった。

どちらも、自分が悪かった。

 

「橘さん!」

澪は嬉しそうに陽菜を迎えた。

「ごめん。」

「何が?」

とぼけているのか、本心から私が悪いと思っていないのか。

「私のせいであんな事故に」

「え?そうなの?私覚えてなくて」

あとから聞いた話だが、少し頭を打って事故時の記憶が無いらしい。

でも飛んでいるのは事故時のものだけで他の記憶はちゃんとあるらしい。

「まあ覚えてないけど、私が変に絡んだんだよね、ごめんね」

陽菜はこの子が人気なのが分かった気がした。

陽菜の「ごめん」は罪悪感からくるものだが、澪の「ごめん」は相手の事を思っての言葉だ。

同じ「ごめん」でも、重さも温度もまるで違う。

陽菜はそれを感じて、少しだけ恥ずかしくなった。

澪はベッドの上で膝を抱えて、陽菜をまっすぐ見ていた。点滴の管が腕に繋がっていて、それでも表情は明るかった。

痛くないのか、と聞きたかったが、聞けなかった。

代わりに陽菜は、持ってきたみかんを袋ごとテーブルに置いた。

「あ、好きなの。みかん。」

澪が顔を輝かせた。

「べつに。病院にはこれが無難かと思っただけ。」

「嬉しい。ありがとう、橘さん。」

「あんた」、と言う言葉を陽菜は飲み込んで言葉を書き換えた。

「澪さえ良ければさ、友達にならない?」

「うん!絶対だからね!」

「私のことは陽菜でいいよ。」

「よろしくね!陽菜ちゃん!」

澪と友達になれた。

 

そう陽菜は思っていた。

 

次の日も見舞いに行った。

「橘さん!」

まるでデジャブのように昨日と同じ反応を澪は見せた。

「陽菜でいいよ。」

その言葉への反応は陽菜が思っているものと違った。

澪の顔に、昨日初めて陽菜と名前で呼ばれた時のような、あの輝きがあった。

 

昨日と同じ輝き。

全く同じ。


それはつまり、澪には昨日のことが無いのと同じだということだ。

陽菜はその瞬間、自分でも気づかないうちに息を止めていた。


この違和感の正体が分かったのは澪が退院して学校に行きだしてから2、3日過ぎた時だった。

 

澪の記憶障害。

 

この時は35分の制限は分からず、もう新しい記憶が引き継げないのかと思っていた。

それでも陽菜は澪と友達でいようと、隣にいようと思った。

あの日の病院で思った純粋な気持ちでなく、またしても罪悪感から沸いた気持ちだった。

だから最初は義務感だった。

 

自分がああいうことを言ったから、自分が立ち止まらせてしまったから、隣にいなければいけない。

そう思っていた。

でも毎日澪に会うたびに、陽菜は気づいていった。

澪は覚えていないのではなく、毎回、陽菜と初めて会う人間として接してくれていた。


それなのに不思議なことに、澪は毎回同じように陽菜に懐いてきた。距離の縮め方が自然で、おかしいくらい早かった。

多分この子は、誰に対してでもそうなのだ。

でも、と陽菜は思った。

覚えていなくても、陽菜は毎日来ていた。それは事実だ。どれだけ記憶がリセットされても、毎日陽菜がそこにいることは変わらない。澪の記憶の中にはなくても、澪の日常の中に、陽菜はいた。

それが積み重なるうちに、義務感はいつのまにか消えていた。

それから数年。

他の友人が澪を避けていく中で陽菜だけは友達であり続けた。

少しづつだが陽菜と澪の距離は縮まり、今では澪が下の名前で呼ぶのは陽菜だけになった。


あれだけ澪をチヤホヤしていた連中も簡単に澪の元から離れていった。

自分を覚えていてくれない相手と、友達でい続けることは疲れる。

そういうことだ。

もしかしたら陽菜もあの事故に関わってなければそうだったのかもしれない。

でも今の陽菜には、そんなことはどうでもよかった。

「陽菜ちゃん!」

陽菜はこの笑顔を守れるのは自分だけだと思った。

これからも一生をかけて澪の隣に居続けるんだ。

その確信は、中学の頃から今日まで一度も揺らいだことがなかった。

 

だからこそ、今日の病院で、あの男——颯太に対して、あんなにも強く当たってしまった。

颯太が悪い人間だとは思っていない。

ケーキの味が本物であることも、澪を大切にしようとしていることも、陽菜には伝わっていた。

でも、だからこそ怖かった。

中途半端に優しい人間は、中途半端に澪の中に残る。

ケーキのように何千回も繰り返されるなら、まだいい。

でも「あの人誰だっけ」という宙ぶらりんな感情が澪の35分に残り続けたら。

それがいちばん、澪を苦しめる。

 

陽菜は窓の外を見た。

病院の夜は早く、廊下の電気だけが白く滲んでいた。

 

颯太が何を選ぶのか。

陽菜にはまだ分からなかった。

でも、どちらを選んでも、陽菜は澪の隣にいる。

それだけは決まっていた。

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