表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35分の記念日  作者: 芒雲 紘真
第七章:35分の記念日
35/37

ページ34 風と海

人が何かを諦める時に感じるのは「喪失感」だと思っていた。

実際、学生時代はそうだった。

部活の大会で負けた時、受験に失敗した時。

その時でしか得られないものを諦めるしかない。

それゆえの喪失感。

颯太の中で、大人になる瞬間というものがひとつ増えた。

諦める時に感じるのが「喪失感」ではなく、「妥協」に変わってしまった瞬間。

澪のことを諦めたわけじゃない。

でももし諦めるとして、なにか区切りがあるとしたら何もない。

強いて言うならば、記憶という繋がりが無くなったこの瞬間なのかもしれない。

今までの大会や受験といった、もう挑戦できないものではなかった。

この先の人生で、一生挑戦することが出来る。

だから諦めるとしたら、それは妥協でしかない。

颯太のスマートフォンにメールが届く。

「末筆になりますが、望月様のこれからのご活躍を心よりお祈り申し上げます。」

最後の一文だけ読んでメールを閉じた。

大人になったといっても、喪失感を感じる諦めは経験することになる。

風に煽られる。

かかしだったら、すぐに倒れてしまいそうな風だ。

倒れても起こしてくれる人なんているのか。

自力で起き上がることを覚えるのも大人になるということなのかもしれない。

とりあえずこんな時はあそこだ。

颯太は「カフェ・ドゥ・ソレイユ」に足を運ぶ。

待っていたのはいつも通りマスターと、そのマスターの淹れたコーヒーを嗜む先客だった。

「よお。」

そう言って先客はカウンターの隣の席に颯太を誘う。

「宿題の答えを聞きに来た。」

そう言うと先客はマスターの出したコーヒーを颯太に出し直す。

「答えは出てません。」

颯太はコーヒーを飲む。相変わらず美味い。

「でも何かは出てるんだろ?」

まるで心を読まれたようだった。

この場所でコーヒーを飲みながら心を読まれる。

いつもマスターにされることだ、驚きはしない。

それにこの人もそうだ。

専門学校の講師で、澪のカウンセラー。

一ノ瀬先生。

「恋は現在進行形で、愛は過去形。」

颯太は文章ではなく、それだけ答えた。

文章にするまでは答えが導き出せていないから、これは途中式のようなものだった。

「じゃあ、未来は何か。それが分からないから答えが出てないってことか。」

またもや心を読まれた。颯太はただ首を縦に振る。

「まあいいんじゃないかそれで。」

一ノ瀬はコーヒーを飲み込む。

「俺の答えも言っておこうか。」

「え?」

颯太は思わず声に出ていた。一ノ瀬はその反応の意味をすぐに理解して、返した。

「この宿題の答えはひとつじゃない。望月は望月なりの答えを見つけるといい。」

颯太はコーヒーを飲み込む。一ノ瀬はそのまま続けた。

―――

愛とは自分で貯めることが出来ない。誰かから貰うことで溜まり、それを受け入れることで大きくなる。さらにその愛を誰かに与えることで、また誰かの愛を貯めていく。その愛が枯渇した状態で、他の誰かを愛そうとした時に、その愛は憎しみに変わってしまう。

―――

一ノ瀬の意見を聞き、颯太は理解した。

しかし納得は出来なかった。

それは自分の答えではないし、自分の答えには繋がらないからだ。

一ノ瀬が店を出てしばらく、コーヒーを飲みながら考えた。

何についてかは分からない。

とにかく考えた。

自分の将来のこと。

澪の将来のこと。

二人の将来のこと。

考えても何も見つからなかった。

だからとりあえず外に出てみることにした。

宛もなく歩いた先は病院だった。

分かっていた、ここに来てしまうことは。

澪の病室のドアに手をかけると声が聞こえた。

陽菜と、そして大輔と彩花もいるようだった。

三人とも澪との新しい関係に歩き出していた。

止まっているのは颯太だけだった。

そう思うと、病室のドアから手は離れ、足は屋上へと向かっていた。

――――――


病院の屋上。

この場所は苦手だ。

素直になりなさいと言われている気がして、今の自分が嫌になる。

照れくささで言えなかった「ありがとう」。

意地で言えなかった「ごめんね」。

素直になるというのが、そんな単純なことじゃなくなったのも大人になったということなのかと颯太は思った。

「はぁ。」

大きなため息をついた。

白い息の空に溶けた。

もう春に向かっているというのに、空気は冷たい。


足音が聞こえてきた。

先客がいたのか。

気が付かなかった。

黄昏ていたことへの恥ずかしさと、ポエムなんて読まなくてよかったという安心感がこみあげる。

いや、多分もうすぐ読んでいそうなくらい自分の世界に入り込んでいた。

「何か悩み事かい?」

聞き覚えのある声だった。

目線を足元から上げていく。胸元あたりで記憶が蘇った。

澪の父親だった。

「いや、その……。」

颯太が言葉を選んでいるうちに、静寂が広がった。

いくら颯太のターンとはいえ、この静寂を破る言葉も勇気も見つからない。

澪の父親はフェンスに近づいて、颯太の隣に立った。

海の方を向いたまま、口を開いた。

「病院に来てないみたいだけど、

 澪のこと諦めてくれるようになったのかい?」

問いというよりは、確認するような声だった。

「就活と重なっちゃって。」

前半の部分のみ答えた。

後半の問いには肯定も否定もせずに。

海風が吹いた。

澪の父親は少しの間、黙っていた。

フェンス越しに広がる街と海を眺めたまま、何かを測っているような間だった。

「君は澪のことを好きになるのと、記憶障害を知ったの。どっちが先だった?」

当人の親にこんなことを答えるのは恥ずかしかったが、この場所は嘘を許さない。

「好きになるのです。」

「じゃあ、記憶障害だと聞いてどう思った?」

風が止んだ。

颯太は頭の中でその時のことを思い出していた。

覚えていない。

ただあの時にはもう澪の魅力に惹き込まれていて、

ただただ一生懸命だった。

「俺は落ち込んだよ。なんで俺の娘なんだって。そして何度も現実逃避をした。」

また、風が吹く。

「でも君は向き合った。そうだろ?」

風が颯太の髪をかきあげる。

まるで今まで忘れていた、1番大切なものを思い出させるように。

「あの時、言った言葉をもう一度伝える。

 俺は今後も澪に彼氏など認めない。」

風がまた止んだ。

前との雰囲気の違いに、今気づいた。

タメ口に一人称の俺。

前よりもこの人を近くに感じた。

「颯太くん、君以外にはね。」

また風が吹く。

今度は前からではなく、後ろから。

まるで颯太の背中を押すように。

「もう一度聞くよ。颯太くん。

 君は本当に澪を諦めるのかい。」

今度はただの問いとは違う。

覚悟を問うものだった。

「いいえ。諦めません。絶対に。」

「なら行きなさい。」

以前のような丁寧な口ぶりに戻る。

それはこの言葉をまるで待っているかのようだった。

「失礼します。」

颯太はそれだけ言って、病室へと向かった。

――――――


颯太と澪の父親が屋上で話している頃、一ノ瀬が澪の病室を訪れていた。

「はじめまして。カウンセラーの一ノ瀬です。」

「はじめまして。」

記憶が無くなっている澪にとっては本当に「はじめまして」だった。

澪は颯太の時と同じく、一ノ瀬を見てアルバムに手を伸ばしだした。

一ノ瀬がそれを止める。

「笹川さん、海を見ましたか?」

「海?」

澪の病室の窓からは、海が一望できた。

「手術前の笹川さんにお願いされたんです。

 『海が見える部屋にしてくれ』と。」

それは手術前、屋上での澪のお願いだった。

一ノ瀬は理由は聞かなかった。

彼女自身のお願い。

きっとそれを彼女自身で分からなければいけないことだと思ったからだ。

カウンセラーとしては失格だろう。

それでも、()()()を見守ってきた1人の大人として、信じてみたくなった。

科学や医療では証明できない、何かを。


病室に、陽菜と大輔と彩花の3人がお見舞いにくる。

一ノ瀬が1人、窓から海を眺めていた。


ベッドに澪の姿は無かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ