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35分の記念日  作者: 芒雲 紘真
第六章:35分のクリスマス会
31/33

ページ30 報告と宿題

正月の静けさはあっという間に終わって、街がまた動き始めた。

コンビニのおせちコーナーが撤去されて、

代わりにバレンタインのチョコレートが並ぶ。

世界の切り替えは早い。

 

新年始まって初の登校日。

俺は朝から妙に落ち着かない気分で校舎に入った。

冬休みの間、頭のどこかにずっとあったものが、学校という場所に戻った途端にまた前に出てきた。

陽菜とのキスのこと。

澪のこと。

おそらく澪は見てしまったんだと思う。

少なくともあの夜は。

でも覚えているかは分からない。

 

クリスマス会の夜から今日まで、澪とは普通に連絡を取っていた。

メッセージのやり取りも、口調も、いつもと変わらなかった。

だから余計に、わからなかった。

澪が何を思っているのか。

俺に何か言いたいことがあるのか。

それとも覚えていないのか。

記憶障害という言葉が、頭の隅をよぎった。

その都度、自分がひどく情けない人間に思えた。

 

「望月。」

声をかけられたのは、教室に入ってすぐのことだった。

講師の一ノ瀬だった。

廊下に立っていて、俺を見ていた。

新年の挨拶を言う暇もなく、「ちょっといいか」という顔をしていた。

——来た。

頭の中で警戒音が鳴った。

新年最初の登校日に呼び出しがかかるなんて、冬休みの粗相以外にない。

そして俺の冬休みの粗相といえば一つしかない。

「なんですか?」

できるだけ平静な声で答えた。

「冬休み、笹川さんの様子はどうだった?」

「え?」

思考が一瞬止まった。

今、俺と澪の間で何かあるかと言われたら、表面上は何もない。連絡も取っていた。普通に話していた。でも、俺から澪に対してやましいことがあるとすれば——陽菜とのキスだ。

もしかして澪に見られていたのか。

その上で一ノ瀬に相談したのか。

だとしたら「様子はどうだった」という聞き方は変だ。

でも一ノ瀬のことだ。

遠回しに聞き出そうとしているのかもしれない。

この人は正面からぶつかってくる時と、ゆっくり迂回してくる時がある。今がどちらなのかを見極めようとしながら、俺は答えた。

「特に何も無いですよ」

平然を装った。頭の中で何を考えているかを悟られないように、表情を動かさないようにした。

一ノ瀬はその一言から何かを感じ取ったように、少し間を置いた。

「望月、何も聞いてないのか?」

——確信に変わった。

間違いなく「キス」の件だ。澪から俺に対して、一ノ瀬に言うことがあるとすればそれしかない。大人しく白状しようかとも思ったが、「何も聞いてないのか」という問いへの答えとして白状するのはおかしい。聞かれたことだけに答えるべきだ。

「特に何も聞いてないです」

「今日、バイトか?」

「はい」

「なら放課後に立ち寄る。そこで話そう」

廊下での会話はそれだけで終わった。

一ノ瀬が教室の奥へ消えていく背中を見送りながら、俺は密かに敗北感を味わっていた。何かを探られて、何かを読まれて、何も言い返せなかった。このやり取りが対決だとするなら、完全な俺の負けだった。

――――――


放課後。

バイトが始まってから、俺は言い訳を考え続けた。

エプロンをつけながら考えた。

豆を挽きながら考えた。カウンターを拭きながら考えた。咄嗟のことだった、自分から望んだわけじゃない、澪には申し訳ないと思っている。

……。一応の筋は通っている。でも言い訳はどこまでいっても言い訳だ。

ちょうどまとまりかけた頃に、ドアベルが鳴った。

一ノ瀬だった。

いつものようにカウンター席に座った。いつものようにコーヒーを一杯頼んだ。俺はいつものように丁寧に淹れた。カップを置いて、向かい合った。

「さて、望月」

一ノ瀬はコーヒーに口をつけてから言った。

「なあ望月。なんで愛は憎しみに変わるんだと思う?」

「え?」

「すまない。急すぎたな。」

そうだ、急すぎた。

「憎しみか動悸で犯罪を犯した人の多くが、元は愛していたと言ったそうだ。つまり、憎しみとは愛の派生であり、愛からしか生まれない。」

颯太はポカンとした。

何を言ってるのか何を伝えたいのかさっぱ(分からなかった。

「まあ、これは俺からの宿題だ。」

それだけ言うと、一ノ瀬はまたコーヒーを口に運ぶ。


「笹川さんの記憶障害が治せるかもしれない。」

「え?」

今度もまた急だった。

驚きを隠せない。

さっきまで陽菜とのキスのことを咎められると思っていたのに。

「本当なんですか?」

「ああ。らしい。もちろん俺じゃなくて、お医者さんが言うにはだけどな。」

「澪は?」

「もちろん知ってる。だからお前が知らないのが意外だった。」

コーヒーの湯気が、静かに立ち上っていた。

一ノ瀬先生はカップを両手で包んで、少し間を置いた。

「ほぼ100%の確率で、記憶障害は解消される。

 だが、もちろんリスクもある。」

――今までの記憶が消えるかもしれない。――

 

店内の音が、遠くなった気がした。スピーカーから流れていた音楽も、外の車の音も、全部が一瞬だけ遠のいた。

記憶障害が、治る。

それは、澪がずっと抱えてきたものが消えるということだ。毎朝リセットされていた時間が、積み重なるということだ。これからは一緒に過ごした時間を、全部覚えていられるということだ。

嬉しいはずだった。

でも。

「……そうですか」

俺はそれだけ言った。

声が平坦になっていた。自分でもわかった。嬉しさと、それとは別の何か——うまく名前のつけられない感情が、胸の中で混ざり合っていた。

一ノ瀬は俺の顔を見ていた。何も言わなかった。ただ見ていた。

カウンターの上に、コーヒーの湯気だけが残っていた。


「澪に忘れられたら、俺の愛が憎しみに変わるって言うんですか?」

颯太はさきほどの一ノ瀬の話を思い出した。

一ノ瀬がこんな大事な話をする前に、無駄な話をするわけがない。

「さあね。」

一ノ瀬がコーヒーを口に運ぶと、それが最後のひと言だった。

「おかわり、頼めるかな?」

颯太がコーヒーを入れて戻ってくると、一ノ瀬の姿はなかった。

席にお金だけが置かれていた。

丁寧に飲んでいないおかわり分も入れた分よりも多く。


コーヒーを移動させた。

外の見える奥側の席。

澪がよく座る席。

そこにコーヒーを置き、自分で飲んだ。

 

目の前に澪がいる気がした。

初めて陽菜と一緒に来てくれた澪。

ケーキを美味しいと楽しそうにする澪。

日記を書いている澪。

色んな日の色んな澪が自分の前の席に座って楽しんでは帰っていく。そんなイメージが見えた。


「いた。」

おぼんで頭を叩かれた。

「デートはバイトの後でね。お客さんもいるから。」

マスターだった。

そうだ。今はバイト中だ。

「それにしても脳内デートだってのに、なんで分かるんだよこの人は」、と颯太は思った。


そして今考えるべきことは一つだ。

「なぜ愛が憎しみに変わるのか。」

その答えを探すこと。

そうすればきっと全てが見えてくる気がした。

「もしかして、こうなることを見通してあの話をしたのか?」、と颯太は思った。

自分の周りにいる大人は凄くて怖い。

でもだからこそ間違えてでもいい、自分の答えを探そうと思えるんだと思う。

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