ページ26 失恋と他認
高瀬彩花には彼氏がいた。
藤原大輔。
顔はもちろん性格もよく、自慢の彼氏だった。
彼女である彩花にはもちろん優しいが、友達思いなところも魅力的だった。
付き合い始めた頃、大輔は颯太の話をよくした。
「あいつ、変なんだよな。真面目なのか抜けてるのか分からなくて。でも一緒にいると飽きない。」
そういう話し方をする人間は、大抵その相手のことが好きだ。
友達として、という意味で。
彩花はそう思っていた。だから最初は気にしなかった。
でもある日、彩花の女の勘が働く。
いつも楽しそうに話している颯太くんの話に恋の匂いを感じた。
そしてある日から会話に出てきた颯太くんの彼女「澪」の存在を知る。
彩花は嫉妬した。
もしかしたら恋の匂いは澪に対するものではないかと。
でも友達の彼女だし、私もいるし。
第一、大輔はそんな人じゃない。
だから澪を煽ってダブルデートを決行した。
真実を確かめるために。
ダブルデートの日、彩花はずっと観察していた。
大輔が颯太とどう話すか。大輔が澪とどう話すか。
颯太と澪が並んでいる時の大輔の目が、どこを向いているか。
乗り物の列に並んでいる時も、ランチの席でも、彩花はさりげなく確認し続けた。
大輔は普通だった。いつも通りだった。
颯太とじゃれ合って、澪には丁寧に接して、彩花には笑いかけてくれた。
でも、何かが引っかかった。
言葉にできない何かが、ずっと彩花の胸の中に棘のように刺さっていた。
案の定、澪と2人きりにすると楽しそうに話していた。
でもその顔は恋をする相手に向ける顔というより、彩花と話している時と同じ顔だった。
じゃあ何が引っかかっているのか。
観覧車に乗った時、彩花にはようやく分かった。
先に観覧車を降りた大輔が、こちらのゴンドラを見る。
見ていたのは彩花ではなかった。
そこで気づいた。
彩花の恋のライバルの存在は、大輔自身も気づいていない。
いや、気付かないふりをしているのではないかと。
大輔が見ていたのは颯太だった。
颯太が澪に何か言って、澪が笑う。
その瞬間に大輔が見せた表情を、彩花は見逃さなかった。嬉しそうとも、寂しそうとも取れる顔。どちらとも言えない、曖昧な表情。
ああ、そういうことか。
彩花はゴンドラの窓ガラスに額を当てながら、静かに目を閉じた。
怒りではなかった。悲しみでもなかった。
ただ、腑に落ちた。それだけだった。
遊園地の帰りに聞いてみた。
「大輔はさ、私以外に好きな人いるでしょ。」
大輔は少しムスッとして答えた。
「もしかして澪さんと楽しそうにしてるの見て嫉妬した?」
大輔はいつもの包容力のある笑顔に戻った。
そんな笑顔も気を遣ってくれるところも好きだった。
「澪ちゃんじゃなくてさ。」
彩花は真剣な顔をしていた。
それが映ったのか大輔も真顔になる。
初めて見る深刻そうな表情だった。
それでも大輔が口を開くことはなかった。
「別れよう。」
「え?なんで?」
彩花の急な発言に大輔は戸惑いを隠せなかった。
しばらく無言が続いた。
2つの影だけが夜の街の明かりによって動かされていた。
「私、大輔のこと好きだよ。」
「じゃあ何で別れるなんて言うんだよ。」
「好きだから。だから大輔が心から望んで私の隣にいて欲しい。」
やはり大輔は何も言わなかった。
表情は見えなかったが、もしかしたら泣いてたのかもしれない。
あの大輔が?ないない、と彩花は心の中で笑った。
大輔が泣くとしたら、こういう時じゃない。
彩花にはそれが分かっていた。
大輔が泣くとしたら、もっと後で、もっと一人の時だ。
誰にも見せない場所で、声も出さずに。そういう人間だと、付き合っていれば分かる。
だから今は泣いていない。
でも、震えているかもしれない。
彩花はそう思った。
「もしそうだったら嬉しいな。」
そう言葉にした。
その時にはもう大輔は隣にいなかった。
一人で帰りながら、彩花は泣いた。
泣くつもりはなかった。
でも信号待ちをしていたら、突然来た。
正しいことをしたと思っていた。でも正しいことが正しい気持ちをくれるわけじゃないと、その夜初めて知った。
大輔のことが好きだった。今も好きだ。
だから手放した。
矛盾しているようで、でも彩花には他の選択肢がなかった。
好きだから、中途半端に隣にいてほしくなかった。
心から望んで隣にいてくれる人間でなければ、好きな人の隣には立てない。
それが彩花の、唯一の我慢できないことだった。
家に帰って、鏡を見た。
泣いた跡がある。
マスカラが少し滲んでいた。
彩花は鏡に向かって、一回だけ笑った。
「よくやった。」
自分に向かってそう言った。
それから洗面台に顔を埋めて、もう一回だけ泣いた。
――――――
12月に入った。
すっかり冬で、吐息が白く吐き出される季節。
「あ、」
「あ、」
そこでばったりと大輔に会った。
「よっ!」
「よう、久しぶり。」
別れたカップルというより長年連れ添った友人のような挨拶をかわし、2人は歩き出した。
どちらかが提案したわけでもなく、自然に。
お互いに隣にいた。
別れてから初めて2人で歩く。
しばらくは街灯によって生み出された2つの影が、静かに進んでいた。
街はもうすっかりクリスマスの気配だった。
赤と緑と金色の飾りが、商店街の電線に揺れている。
どこかから流れてくるジングルベルが、二人の歩く速さより少しだけ速かった。
こうして隣を歩くのは、ダブルデートの帰り以来だった。
気まずくはなかった。
でも何かが変わった空気は確かにあった。
それを二人ともちゃんと知っていて、それでも並んで歩いていた。
「彩花の言う通りだったよ。」
「え?」
大輔の急な発言に彩花は驚いた振りをした。
なんの事かは分かっていたが、それは大輔の口から聞きたかったからだ。
「俺、彩花以外に好きな人がいた。んで、この間告っちまった。」
「え?」
今度は本心から驚いた。意外だったから。
大輔は自分の気持ちに気づいても、伝えはしないと思っていたからだ。
「それでどうなったの?」
「まあ、振られたかな。」
「あれだけゾッコンだとねー。」
大輔は自分の好きな人がバレていることに驚かなかった。
「まあ、あれは俺の入る隙間ないですわ。」
「頑張った。頑張った。」
と彩花は大輔の頭をポンポンした。
大輔は少しだけ目を細めた。
怒っているのか、照れているのか、よく分からない顔だった。でも振り払わなかった。
彩花はそれで十分だと思った。
「振られてよかったじゃん。」
「なんで。」
「ちゃんと気持ち伝えたんでしょ。それだけで十分だよ。」
大輔は何も言わなかった。
でも少しだけ、歩くペースが緩んだ。
「変なこと言ってもいい?」
「どうぞ。」
「俺は『恋も愛もどっちもLove』じゃんって思うんだよね。」
「前から思ってたけど大輔って弱ナルシストだよね。」
「殴るぞ。」
「DV反対〜」
ナルシストに弱と付ける独特の言い回しを無視して、全くその気がないのに「殴る」と笑顔で言い放つ大輔。
DV。家庭内暴力。家庭内でもましてや、恋人でもない相手に対してそれを言い放つ彩花。
彩花は思った。
言葉だけでも何か大輔との繋がりが欲しいと。
大輔は思った。
今は家庭内でもましてや、恋人でもない他人だろと。
「私は『恋は自認で、愛は他認』だと思うんだよね。」
「彩花はずっと強ナルシストだよな。」
「それな。」
2人は本題より先に2人のノリを優先した。
「まあ、でも確かに。それで言うならあの2人は愛だな。」
2人とは颯太と澪のことだった。
「愛だね。」
お互いに自分の恋には触れずに、しばらく黙って歩いた。
颯太と澪が愛だとしたら、自分と大輔は何だったのだろう。
彩花はぼんやりと考えた。恋だったと思う。
でもそれだけでもなかった気がする。
安心とか、信頼とか、そういう言葉の方が近いかもしれない。
でもその言葉は今は使わないでおこう、と彩花は思った。今夜はそういう夜じゃない。
12月になったばかりというのに、街はクリスマスカラー1色だった。
街行く恋人たち。おそらく、今から恋人になろうとしている人達。
それらに「恋」「愛」の区分けの意見をお互いにぶつけあった。
「そこのカップル!クリスマスケーキの予約はいかがですか?」
急な呼びかけに「カップルじゃないです」という反応は見せられなかった。
「大丈夫です」とだけ言い残し、2人はその場を立ち去った。
「俺らも傍から見たら愛なんじゃね?」
大輔の問いかけに彩花は答えなかった。
ただそっと手を繋いだ。
大輔の手は少し冷たかった。
彩花の手も冷たかった。
どちらも温かくない手が、それでも繋がっていた。
温め合っているのか、確かめ合っているのか。
彩花には分からなかった。
でも離さなかった。
大輔も離さなかった。
「しょうがないからもう1回付き合ってあげてもいいよ。」
「なんで上からなんだよ。」
街の灯りを媒介に1つの影が自ら動いていた。




