ページ20 夕日と現実
観覧車を降りると、ここで解散しようと彩花が提案をする。
三人もその提案に乗り、ダブルデートは終わった。
終わったのに終わってなかった。
心がモヤモヤする。
澪と大輔の楽しそうな先程の風景。それを思い出したと思ったら、ふと未来が見えた。澪の隣には、颯太ではなく大輔がいた。
「あひょ」
急に間抜けな声が出た。
「あはは」と目の前で澪が笑っている。それを見て、さっきの間抜けな情けない声が自分のものと分かった。
脇腹をつつかれたのか。
これがイチャつきか? 沸点の低い颯太の恋愛脳は先程の悩みから一転して、こんなことで湧き上がる。
「ほんとに脇腹弱いんだね。」
まるで誰かから聞いたかのような言い方だ。
颯太の恋愛脳は冷めるのも早い。先程は沸点と表現したが、液体よりも固体の方が近いだろう。鉄の熱伝導率はとてもよく、熱しやすく冷めやすいというし。
おそらく大輔から聞いたのだろうと、颯太にも簡単に予測できた。それがモヤモヤを強くする。
颯太には芽生えてしまっていた。澪は自分のものだという気持ちが。
独占欲や傲慢と似ているが少し違う。特別感。それがモヤモヤを産んだ元凶だ。水族館のデートまではこの特別感は颯太一人のものだった。しかし、澪の好意にも取れるようなLINEや仕草が二人の間の特別感を生み出した。
この特別感は不思議なことに、「嫌だ」という感情を生み出す。この「嫌だ」は嫉妬だ。
羨ましいと嫉妬の違いはこの「嫌だ」という感情があるかないかだと颯太は思う。羨ましいは、自分も欲しいという感情だ。嫉妬は、自分のものを取られたくないという感情だ。今颯太が感じているのは間違いなく後者だった。
「颯太くん、ぼーっとしてる。」
澪が颯太の顔を覗き込んだ。
「ちょっと考え事。」
「なんの?」
「秘密です。」
澪は少しだけ口を尖らせた。その顔がまた可愛くて、颯太はまた沸点まで戻った。熱しやすい。
二人は遊園地の出口に向かって歩き始めた。大輔と彩花の姿はもう見えなかった。
夕方の遊園地はオレンジ色の光に満ちていた。アトラクションのライトが少しずつ点き始めて、観覧車がゆっくりと回っている。颯太はさっきあのゴンドラに乗っていたことを思い出した。遠くから見ると、なんでもなく見える。
「颯太くん。」
澪が歩きながら颯太に言った。声が少し改まっていた。
「重大発表、今でもいい?」
忘れていた。
「ちょっと今は。」
「じゃあいつならいい?」
その質問の意図が一瞬分からなかった。
「別にいつだっていいじゃん。」
少し強めの返しをしてしまった。その声量に颯太は自分で驚く。
そしてそのおかげで頭が少しクリアになった。
いつでもいい訳がない。
澪は記憶がないんじゃない。35分だけ引き継ぐ。
だから澪にとってはいつでも大切に過ごしたい時間。
もしかしたら記憶に残るかもしれない時間だから。
「ごめん、やっぱり聞きたい。重大発表。」
澪は口を尖らせていた。
そして急にハッとなって、そして笑った。
「もしかして颯太くん嫉妬したの?」
ドキッとした。
それは恥ずかしさでもあり、怖さでもあった。
「なんで分かったの?」
「女の勘ってやつ?」
そう言って今度は少し気恥しそうに笑う。
「ごめんなさい。観覧車の様子見えて楽しそうだったから。」
「そっか。でも大輔くんとは友達になったよ。いや、むしろ私のライバル。」
「ライバル?」
「うん、だって颯太くんのこと詳しすぎるんだもん。あれはもう好きだね。」
なんだそれと颯太も笑った。
笑いながら想像した自分のことを楽しそうに話せる2人を。それってまるで颯太の記憶があるみたいじゃないかと。
「基本大輔が話して澪さんが聞く感じ?」
澪は一瞬プクっとしてから、答える。
「ううん、私からも話したよ。」
最近だと思う、あのプクっとする癖のようなものは。
それに、澪からも颯太の話をしたということ。
「もしかして澪さん俺の記憶ある?」
澪はまたプクっとした。
そして「へっ?」急に顔を赤くした。
「いや、その、あの」となにやら焦っていた。
何かの図星をつかれたような。
「重大発表、してもいい?」
また、同じ質問が来た。
「うん。」
颯太は短くそう答えた。
それが自分の聞きたいことを聞ける気がしたから。
「私ね、覚えてるの。水族館。」
幾度となく一緒に行った水族館。
でもここで言っている水族館が、ただの水族館じゃないことはすぐに分かった。
2人だけの、颯太と澪だけの、特別な水族館。
「颯太くんが告白してくれたものも覚えてる。」
「え?」
颯太は少しだけ困惑した。
そこだけは予想外だった。
「じゃあ、その後告白した時も覚えてたの?」
「ごめんなさい。覚えてた。分かってた上で知らないフリして告白してもらってた。2回目の告白を覚えてた時に言おうと思って。」
「じゃあ、2回目覚えてたの?」
そう聞くと、澪は大きく首を横に振った。
「彩花ちゃんに『颯太くん貰っちゃおうかな』って言われて思ったんだよね。颯太くんを取られたくないって。」
颯太は何も言わなかった。
そして無意識に明かりの下を避けた。
無償に顔を見られたくないと思ったからだ。
もう夕日も落ちてきて、夕日で誤魔化せていた頬の色がバレてしまう。
「だから。」
澪が颯太の方を向いた。
「私、颯太くんと付き合いたい。」
颯太は何も言えなかった。ただ、澪の手を強く握りしめた。
澪が少し驚いた顔をして、それからまた笑った。颯太の手を、澪も握り返した。
二人はしばらくそのまま立っていた。遊園地の出口の手前で、観覧車を背にして。言葉はなかった。でも、言葉はいらなかった。
「……颯太くん、手が震えてる。」
「震えてません。」
「震えてるよ。」
「震えてるかも。」
「うふふ。」
澪が笑う。颯太も、笑った。
その日の帰り道、颯太と澪は並んで駅まで歩いた。繋いだ手は、途中まで離さなかった。澪は日記に何かを書いた。颯太は覗かなかった。でもきっとそこには、今日のことが全部書いてある。そう思うと、颯太は少しだけ誇らしかった。
駅で別れて、颯太が振り返ると、澪はもう改札の中にいた。こちらを振り返ることなく歩いていく。それでよかった。颯太には澪の後ろ姿を見送る時間がとても好きだった。今日という日が、明日の澪の中にある。そう信じられる気がした。
次の日、颯太のスマホにメッセージが届いていた。
1つは澪から。
遊園地の感想が記されていた。
「これからよろしくね。」
最後のひと言で昨日が現実なんだと実感した。
今までも現実だった。でもどこか空虚な世界で生きているような気がしていた。
夢を見ていたような。
今更になって、胸が熱くなった。
そしてもう1つは大輔からだった。
「彩花と別れた。」
こちらも現実だった。




