ページ15 水族館と告白
カランコロン。
買い出しにしては少し遅い気がする。
マスターが帰ってきたかと、颯太が入口に目を向けると来たのは大輔だった。
大輔は何やら思い詰めたような表情で颯太の前まで歩み寄る。
「ごめん。」
大輔の顔が勢いよく消えたかと思い、目線を下げると綺麗な直角になっていた。
「言いすぎた。就活で焦っててイライラするの当たってしまった。」
そして顔を上げて「あと、代わってくれてありがとう」と付け加えた。
「お、おう。」
颯太はその勢いに思わず返事をしたが何に対してか自分でも分からなかった。
「俺の方こそ迷惑かけてごめん。」
「別にそれはいいんだけど、俺はお前が傷つくのが嫌だったんだよ。今は楽しくても覚えて貰えない相手にいつか傷ついてしまうんじゃないかって。」
長い付き合いだし、大輔がいいやつなことも知ってる。
だから分かる。本音で言ってくれてるんだろうと。
こいつが親友で良かった。
じゃないといつか周りだけでなく、自分の想い人にさえ迷惑をかけてしまう。颯太は思った。
カランコロン。
今度こそマスターの帰還だ。
「颯太くん、今日はもう上がっていいよ。」
颯太も疲れていたし、お言葉に甘えて上がろうとしたらマスターが付け加えた。
「帰りに海辺の道を通って帰りなさい。まだ待ってると思うよ。」
誰が、何のために。
その答えは颯太の中ではすぐに出た。
胸の中で何かがわっと広がった。
さっきまでカウンターにもたれて、澪の「大丈夫ですよ」という一文をぐるぐる反芻していた颯太が、一瞬で別人になった。
颯太はエプロンを大輔に渡し、すぐに店をあとにしようとした。
マスターから鞄を忘れていると指摘を受けて、鞄を取ってから店を出た。
それくらい颯太は夢中だった。
颯太は振り返らなかった。
もう走り出していた。
「あれ?大輔くん来てたの?」
「ええ、まあ」
そう言うと2人は走る若者の背中を見送った。
「青春だね。」
「ですね。」
傷ついてもきっと颯太はその道を行く。
思い過ごしだったな、と大輔は独り言を呟いた。
「せっかくだし一緒に片付けようか。」
「はあ。……青春、ですね」
大輔の表情は笑っていたが、声には少しだけ苦さが混じっていた。
その表現にマスターは名前をつけた。
「うん。青春だね。」
夜の道は人が少なかった。
街灯の光の下を、颯太は全力で走った。
革靴が少し滑る。それでも足を緩めなかった。
まだ待ってると思うよ。
待っている。澪が、待っている。
デートをキャンセルした日に、澪が海辺にいる。
それはどういう意味なのか。
颯太には分からなかった。
でも、走る理由はそれで十分だった。
星の美しさも、街の喧騒も颯太には何も写らない。
ただ目の前にあるのは笑顔のあの子だった。
「お疲れ様。」
海の見える場所にたどり着くと、そこに澪が座っていた。
防波堤の端に腰かけて、膝の上に日記を乗せている。
波の音だけが聞こえる場所で、澪は一人、海を眺めていた。
颯太が近づく足音に気づいたのか、澪がゆっくりと振り返りそれだけ告げた。
颯太は、立ち止まった。
息が上がっていた。
走ってきたことが、丸わかりだった。
「お疲れ様。」
何に対してかは分からなかったが、澪にそう告げた。
でも、澪の表情は少しだけ表情が和らいだ。
颯太は彼女の隣に黙って座った。
しばらく、二人は何も話さなかった。
ただ、波の音を聞きながら、海を眺めていた。
息が整うにつれて、颯太は澪の横顔をこっそり見た。
怒っているわけでも、泣いているわけでもなかった。
ただ静かに、海を見ていた。
その穏やかさが、颯太には少し不思議だった。
「ごめんなさい」
唐突に2人の息が合う。
それに驚き、目を合わせ笑う。
「なんで颯太くんが謝るの?ちゃんと連絡してくれたじゃん。勝手にこんなとこで待って困らせてるのは私なのに。」
「じゃあなんで、待っててくれたの?」
颯太は自分で言って恥ずかしくなった。
誰も待ってるなんて言ってない。
今が夜でよかった。
きっと顔が真っ赤だろうというのが、耳の熱さから分かる。
「何でだろう。」
澪はさっき出た伝えなきゃいけないことが言葉に出来なかった。
怖さなのか、覚えてないことかもしれない申し訳なさなのか。
いや、本当は分かっている。
分かっていないけど、分かっている。
これを口にするのがとても重たい。
2人は海を見つめた。
星空という被写体を、海のキャンバスが綺麗に模写していた。
波が打って、キャンバスの絵がが被写体とズレる。
それを見て、颯太は残念に思った。
海という画伯ですら、完璧にこの空を映すことは出来ないのだと。
それなのに自分ごときが澪の気持ちなんて分かるわけないと。
澪は反対に感激していた。
こんなにも綺麗に空を映し出せる海に。
自分も同じように心に映るものを言葉にできたらいいのにと。
「ぽちゃん」
海に波紋が広がる。
その波紋の上には1匹の魚が跳ねていた。
その光景があまりにも綺麗で、時間が止まっているように感じた。
「綺麗」
またしても言葉が重なる。
でも今度は顔を合わせることなく、2人はその光景に見とれていた。
イルカより小さく、クラゲほど長く留まることのない一瞬の出来事でも2人はこれを忘れることは無いと思った。
「今日も約束、守ってくれた。」
「え?」
澪の言葉に颯太は息を飲む。
「水族館。一緒に見れた。」
これが水族館なわけが無い。
普通ならそう言いきれてしまうはずなのに、颯太は納得してしまった。
横で微笑むその笑顔は、さっきまでの笑顔ともケーキを食べた時とも違っていた。
まるで沈むかのようにその笑顔は颯太の中に落とし込まれていった。
「水族館行けたから次はお散歩したいな!公園とか街とか!」
「気遣ってる?」
颯太は笑いながら答える。
「遣ってないよ!ただ、」
ただ一緒にいたいだけ。
その言葉が急に出なくなった。
すると突然、颯太が立ち上がる。
「澪さん、俺と付き合ってください。」
澪の体が急に火照る。
まさかの言葉と勢いに思わず、首を縦に振ろうとする前に颯太が続けた。
「答えはすぐじゃなくていい。これから毎回澪さんに告白するから。だから、もし覚えてたらその時に返事を下さい。」
本当は今すぐにでも返事をしたい。
自分の想いを伝えたい。
でも澪は言葉にすることができなかった。
「何回でも何十回でも、澪に初めての告白をするから。」
「ぽちゃん」
また、幻想的な音が響く。
首を横に振れば、またあの景色が見られるはずなのに。
真っ直ぐにこちらを見るその瞳から目をそらすことができなかった。
そして昨日までの自分を羨んだ自分を恥じた。
きっと今日が、澪の中で1番の想い出だ。
「うん。また会おうね。颯太」
静かなはずなのに波の音は聞こえない。
聞こえるのはお互い、自分の鼓動の音だけだった。




