ページ12 リセットと初デート?
一週間ぶりのデート。
場所は先週と同じ水族館。
颯太のデート相手の澪は前日の記憶を35分しか引き継げない。
だから同じ場所で覚えるまでデートする。
それを提案したのは颯太だった。
澪にとっては初めての水族館デート。
颯太にとっては二度目のデート。
でもそんな違和感は颯太には関係なかった。
好きな人とデートをする、ただそれだけだった。
髪の毛はセットせずに自然にした。
服装は先週と同じく、白いシャツに緑の羽織、黒いパンツ。
先週は鏡の前で三十分費やした。
今日はものの五分で終わった。
同じ格好をすること自体が目的になっている。
出来るだけ同じにすることで澪に早く覚えてもらおう、というのが颯太の考えだった。
髪型も、服も、待ち合わせ場所も。
何もかも同じにする。
そうすれば、35分のどこかに自分が残れるかもしれない。
待ち合わせ時間には10分前に着いた。予定通り。
先週が早すぎたため1つ後の電車にしたらちょうどよかった。
澪が来た。
日記を手に持って、少し早足で歩いてきた。
颯太の姿を確認すると、足が止まった。
「あの…、もしかして、望月颯太君、でしたっけ?」
颯太の名前を、日記を頼りに思い出す彼女。
颯太は、またもや胸が締め付けられるような、複雑な気持ちになった。
先週も同じだった。
同じ場所で、同じ顔で、同じように日記を確認して、同じように名前を確認した。
違うのは、颯太の中に先週の記憶があることだけだ。
水族館に入ると、先週と同じルートを辿った。
ただ、少し変えたのは澪が好きなものは長めに時間をとった。
「次はくらげだよ!好きって言ってたでしょ。」
そう言うと、澪は不機嫌そうになった。
なんでだろう。
くらげが好きじゃなかった?
物言いがまずかった?
颯太の中で疑問が解けない。
くらげを見ても、その機嫌は治らなかった。
「同じがいい。」
澪が呟く。
その瞬間に謎が解けた。
まずった。
くらげが好きって言ってたのはあくまで颯太の中の澪だ。
同じがいいと言ったのは、同じ記憶を持ってデートをしたいという、わがままだろう。
そのわがままな言葉の裏には、記憶が継続しないことへの不安や孤独感が隠されているように感じた。
彼女は、一人だけ先週のことを知らない、という事実が寂しかったのだ。
颯太は、澪のわがままを受け入れた。いや、受け入れたというよりも、その寂しさを埋めてあげたいという気持ちが勝った。今の颯太は、彼女のどんなわがままも受け入れられるくらい、彼女に惚れこんでいた。
「ごめん。次は何見たい?」
颯太は振る舞い直した。まるで初デートかのように。
「じゃあくらげ!」
「なんか、好きだなあ。クラゲ。」
「どんなところが?」
「どこに行くか決めてなさそうなところ。」
颯太は笑った。
先週と全く同じこのやりとりに。
いや、いつまでも続いてくれそうなこの時間に。
それから、颯太たちは毎週のように、水族館に通った。
二回目、三回目、四回目……回を重ねるごとに、颯太は澪の好きなものや、ちょっとした癖を覚えていった。
クラゲが好きで、イルカショーの時にはいつも興奮したように手を叩く。
ペンギンの歩き方を真似して笑い、大きなジンベイザメの水槽の前では、いつまでも動かずに眺めている。
五回目には、颯太はクラゲコーナーの手前で足を遅くするようになった。
澪がそこで長く立ち止まると分かっていたから、急かさないようにした。
あくまで初デートの澪を喜ばせたいその一心で。
七回目には、イルカショーの前に颯太の方から「最前列行きますか」と聞いた。
澪が嬉しそうに頷くのが分かっていたから。
澪はその度に、まるで初めて言われたように喜んだ。
颯太は毎回その反応を見て、不思議な気持ちになった。
嬉しさと、少しの切なさが、毎回同じ割合で混ざる。
慣れるかと思ったが、慣れなかった。
そんな毎日を過ごすうちに、颯太は水族館のことを完璧に覚えてしまった。
どこの水槽にどんな魚がいるか、ショーの時間、美味しいレストランのメニュー。
全てが颯太の頭の中にインプットされていた。
澪のことも、どんどん覚えていった。
好きな食べ物、嫌いな音、笑い方のくせ、眠そうな時の目の細め方。
颯太の中に「澪」という人間が、日々厚みを増していった。
でも澪の中の颯太は、毎朝ゼロに戻る。
その非対称さを、颯太は受け入れようとしていた。
受け入れていた、と言いきれるかどうかは、まだ分からなかった。
そのためにバイトを頑張って稼いだお金は、あっという間に消えていった。
毎回の入館料、二人分のランチ、帰り際に澪が気に入ったグッズを買うときにさりげなく払った代金。
一度計算しかけて、やめた。
後悔なんてなかった。
このために、颯太はバイトをしていたんだ。
バイトのシフトも、デートの予定に合わせてやりくりしていた。
最初は土曜日だけだったものが、だんだん曜日が変わり、平日にも入るようになった。
澪に合わせていたからだ。
颯太は澪のスケジュールを日記越しに把握していた。
病院の日、専門学校の授業の日、何もない日。
何もない日に合わせて、颯太は自分の予定を組んだ。
それは無理をしているとは思っていなかった。
でも、他の予定が少しずつ後回しになっていることには、薄々気づいていた。
大輔とも、最近あまり話せていない。
バイトでは一緒のシフトになることもあるが、颯太の頭はいつも澪のことで占められていた。
大輔が何か話しかけてきても、上の空で返事をしていることが増えた。
大輔は何も言わなかった。
でも、颯太には分かっていた。
大輔が何かを言いたそうにしていることが。
ある夜、バイト後に大輔と二人で店を出た。
しばらく並んで歩いた後、大輔が口を開いた。
「その子と、毎日行ってるのか、水族館。」
「まあ。」
「……そうか。」
それだけで、その夜は終わった。
颯太には大輔の「そうか」が引っかかった。
何を言おうとして、何を飲み込んだのか。
聞けなかった。
颯太はその夜、自分の日記を開いた。
毎日少しずつ書き溜めていた澪の記録。
今日の澪の反応、笑った場所、食べたもの。
ページが増えるたびに、颯太の中の澪がはっきりしていく。
それと同時に、頭の片隅に小さな問いが浮かんだ。
この積み重ねは、いつか澪に届くのだろうか。
颯太はメモを閉じて、天井を見た。
答えは出なかった。
明日もデートの日だ。
颯太はそれだけを考えて、目を閉じた。




