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IT用語がわからない  作者: 雲居 残月


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第4話 スクレイピング

 人生には潤いが必要だ。一生懸命働いたあとはストレスの発散が求められる。私は最近、新しい楽しみを手に入れた。職場と自宅のあいだにあるバーに行って、お酒を飲むことだ。

 所長に挨拶をして職場を出た私、白名井若菜(しらない わかな)は、しばらく歩き続けた。そして、薄暗がりにぼんやりと明るい立て看板がある店の前にたどり着いた。

 そのバーの名前は『IT』という。常連にはほど遠い新参者の私だけど、顔見知りになった人もいる。少しのお酒と、意味不明のトーク。私はそうした潤いを求めて、今日も扉を開けてお店に足を踏み入れた。

 明かりを抑えた店内。テーブル席には人が全て座っていてグラスを傾けている。カウンター席は半分ほど埋まっていて、今日は少し客が多いかもと思った。

「いらっしゃいませ」

 イケボのマスター情野技雄(じょうの わざお)さんが、カウンターの向こうから挨拶をしてきた。私は軽く頭を下げて、どこに座ろうかと席を探した。

 カウンター席に座っていた赤いドレスの美女が振り向いて、私にギラギラとした目を向けてきた。ああ、獲物を捕食する肉食獣の目だ。私はなぜか狙われている。狩りの対象の小動物と思われているのかもしれない。

「若菜ちゃん。私の隣が空いているわよ!」

 常連客の横江(よこえ)ソレルさんだ。どうしようかなと思って、他の席を探す。少し離れた場所に座ろうとすると、ソレルさんは泣きそうな顔でプルプルと震えてこちらを見てきた。

「若菜ちゃんの席はここ!」

 ソレルさんは、自分の隣を指差す。

「私、お話、面白くないですよ」

「このバーは、ふつうのバーに輪をかけて男性比率が高いのよ」

 言われて周囲を見渡した。確かに、そのようだ。そういえばマスターが、プログラマーが多いと言っていた。プログラマーは男性が多いのだろう。

「貴重な同性の話し相手なのよ」

「まあ、言われてみればそうですね。一人でちびちびとお酒を飲むよりは、話し相手がいた方がいいですものね」

 ソレルさんの手招きに従い、隣に座る。ソレルさんは、嬉しそうに微笑んでいる。この人、本当に美人だよなあと思った。

「メニューです」

 マスターがメニューを私の前に置いてくれた。今日のオススメの欄には『スクレイピング』と書いてある。なんだろう。まったく想像がつかない。私は助けを求めるようにソレルさんに顔を向けた。

「どうしたの、若菜ちゃん?」

「ソレルさん。スクレイピングって何ですか?」

 私が尋ねると、ソレルさんは嬉しそうな顔をした。そして体を私に傾けて語りだした。

「スクって魚は知っているかしら? アイゴの稚魚で、沖縄ではこのスクの水揚げがニュースになるの。そして、日本のネット界で、このスクの水揚げは、有名なインターネット・ミームになっているの」

 ミームとは、伝達されて増殖していく文化情報のこと。インターネット・ミームは、ネットでみんなが共有しているジョークなどのことだと、マスターが教えてくれた。

「そのスクは、どう有名なんですか?」

「スクの水揚げのニュースがね、『スク水揚げ』と表記されて、『スク水』『揚げ』と区切られて、界隈がざわつくのよ! 男って好きよね、スクール水着が!」

 ソレルさんは、まんざらでもないという表情をする。

「スクレイピングのスクって、その魚のスクなんですか?」

「そうよ。そこまで言えば、スクレイピングの意味は分かるわよね」

 私は、ソレルさんに促されて、梅干しのような脳みそをフル稼働した。

「スクとレイピング。最後のングはingだろうから、スク、レイプ。ひいいいいいいい。魚のスクを、レイプしている!!!!!」

 私はガクガクと震えた。

「人間って怖いわよね。変態の度合いが天元突破よ。悲しいわね、私たちも人類なの」

 ソレルさんが、絶望した顔をする。

「横江さん。白名井さんをからかわないでください」

 マスターがツッコミを入れて、私はからかわれていることに気がついた。

「えっ? もしかして、ソレルさん。その話って嘘なんですか?」

「スク水の話は本当よ。私もスクール水着時代があったわね」

「それ、嘘ですよね。ソレルさん、生まれたときから妖艶な美女をやっていそうですもん」

 私がツッコミを入れると、ソレルさんとマスターは、くの字になって笑いをこらえた。

「えー、間違った知識のままでは申し訳ないですので、私が簡単に解説します」

 姿勢を正したマスターが話しはじめた。

「スクレイピングは、一般的にウェブスクレイピングのことを指します。スクレイプとは、こすったり削ったりすることを意味します。スクレイパーなら、壁紙を剥がしたりする金属やプラスチックのへらのことですね。

 スクレイピングとは、ネット上の情報を集めて、ゴリゴリと整形して抽出する行為を指します。具体的には、ウェブブラウザーで表示されるようなデータを自動で収集して、不要な部分を削ったり順番を変えたりして加工して、一定の書式に整えます」

「データを集めて、……どうするんですか?」

「検索エンジンのデータにしたり、AIの元ネタにしたり、競合他社のサイトに掲載されている情報を入手したり、目的はそれぞれですね。

 ただ、スクレイピングを禁止しているウェブサイトも多いです。情報を置いてあるサーバーに過剰な負荷がかかります。それに、サイトのデータを丸ごとコピーされたりしますから。デジタルデータならではの問題と言えます」

「ほへー、なるほど。スクレイピングって、そういうものなんですね」

 私は感心して声を出した。

「それで、今回のカクテル『スクレイピング』は、どういうものなんですか?」

「牛乳を使ったカクテルの上に、チョコレートを削ったものを振りかけたものです。小さなデータが積み重なった様子を表現しています。注文なさいますか?」

「はい。それでは『スクレイピング』をお願いします!」

 私が注文すると、ずんぐりとした丸みを帯びたグラスの中に、白いカクテルが注がれ、その上に削り節のように削ったチョコレートの破片が山盛りにされていった。

「どうぞ、『スクレイピング』です」

「ありがとうございます。うわっ、これ甘くて美味しいですね!」

 子供舌の私にも飲みやすいカクテルだ。

「そういえば、若菜ちゃんって、何のお仕事をしているの?」

 ソレルさんが、大人な雰囲気のカクテルを傾けながら尋ねてきた。そういえば話していなかったな。言っていいのかな? 所長に駄目とか言われていなかったかなと考える。まあいいや。所長さんは優しいし、と思って口を開く。

「探偵事務所で働いています」

「えっ、探偵だったの?」

 その言葉のあとには「こんなにポンコツそうなのに」という言葉が見え隠れしている。

「ううっ、分かっているんです。そうなんです。私、ハードボイルドな世界の住人には見えないんですよね!」

「まあ、ハードボイルドというより、半熟卵という感じだし」

 私は、塩を掛けられたナメクジみたいに、しおしおとなる。

「それで、どんなことをしているの?」

 興味津々といった様子で、ソレルさんが尋ねてくる。

「ふふーん、秘密です。個人情報をあつかう仕事ですから」

「うん、まあ、そりゃあ、そうよね。じゃあ、どんな職場なの?」

「うーん、それはそのうち話します!」

 秘密は女性を謎めいた美女にする。ソレルさんは、少しずつ私の情報を削り取ろうとして話し掛けてくる。私はニコニコして誤魔化しながら、お酒とお話を楽しんだ。


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