8話わよ!
「――やっと終わったわー!」
椅子の背にもたれて、アタシは大きく両腕を伸ばした。カリカリ書き続けていたペンを放り出した瞬間、心の底から安堵の声が漏れる。
「お疲れ様」
隣から穏やかな声がかかる。振り向けば、彼はほんの少し口角を上げていた。
「……ふぅ。助かったわ。アンタ、意外と教えるの上手いのね?」
素直に言うのは癪だから、わざと軽口っぽく言う。でも心の中では、本当にありがたかった。
「そうなのかな?」彼は肩をすくめて笑った。
「でも、昨日のお礼に少しでも役に立ててよかったよ」
「そう言えば――僕の名前は天野 湊って言うんだ。よろしく」
急に改まった調子で言うから、思わず目を丸くした。
「……ふふっ、いまさらじゃない?」
つい笑いが漏れる。
「アタシは、四季――……“彩葉”よ」
「よろしく、四季さん」
真面目に言われると、なんだかくすぐったいわね。
「さんはやめて。四季でいいわ。堅苦しいのは苦手なのよ」
「そっか。じゃあ……四季って呼ぶようにする」
「ええ、よろしく、天野」
オレンジ色の瞳を細めて、アタシはにっと笑った。
それにしてもずっと机に張り付いてたせいで、体が固まった気がする。
「……さすがに長時間座りっぱなしは疲れるわね。ちょっと動くわ」
立ち上がり、腕をぐーっと上に伸ばす。肩を回し、腰をひねり、軽く屈伸。ほんのストレッチでも、血がめぐって気持ちいい。
「そう言えば、天野は何か好きなスポーツとかあるの?」
体を伸ばしながら、何気なく尋ねてみる。
「そうだなぁ……」
天野は少し考え込むように目線を上げてから答えた。
「小中の頃はいろいろやってたけど、これっていうのはないかも。強いて言えば……スポーツ全般は好きかな」
「へぇ〜、奇遇ね」
アタシは思わず笑みを浮かべた。
「私もスポーツ全般が好きなのよ。……っていうか、体を動かすことが大好き」
拳を軽く握って胸の前で構える。
「走るのも得意だし、勝負ごとは一切妥協しないわよ」
「てか、ぽくないわね?」
アタシはストレッチしながら湊をちらりと見やる。
「趣味は読書です〜、みたいなインドアタイプだと思ってたけど……案外、動けるタイプ?」
「はは……」
彼は苦笑いする。
「まあ、趣味が読書なのは違いないかな」
「でも、どっちもだよ。家でゲームしたり、本を読んだりもするし……外で走ったり、体を動かすのも好きだから」
「ふぅん……」
アタシは腕を組み、ふんっと鼻を鳴らす。
「……それは、いいことね」
少しだけ間を置いて、視線を窓の外にやる。
「アタシの知り合いには、運動が得意な人がいなくてね。読書好きで運動音痴なのと、ゲーム好きのインドアと……あともう一人は、んー……なんだろ。フラフラ歩き回るのは好きならしいけど、スポーツ自体には興味ないみたい」
「へぇ、意外だね」
天野は不思議そうに眉を上げる。
「四季って、スポーツ仲間とかたくさんいるイメージだったのに」
その瞬間――ほんの一瞬、天野の表情がピタリと止まった。
その言葉に、思わず曇った顔になるのを自覚した。オレンジの瞳が揺れて、ほんの少し伏せられる。
「……そうね……」
アタシだって、本当は部活に入ったりして、もっと体を動かして……いわゆる“青春”ってやつを送りたい。別に、みんなが嫌だとかそういうわけじゃないけど――やっぱり……何も気にせずに走ったり、笑ったり、大会にでたりしたい。
でも、しょうがない。そういうのは……“生まれつき”だから。
けれど、すぐに胸を張って顔を上げた。
「――あぁ、でも最近だとね!お昼にバスケ部の人と勝負して、見事勝ったのよ?」
にっと笑みを浮かべ、腰に手を当てて自慢げに言う。
「凄いでしょ?アタシはそれぐらい凄いのよ?」
「バスケ部の子に?……それ、ほんとにすごいね」
驚いたように天野が目を丸くする。
「でしょ?」
アタシは鼻を鳴らして胸を張る。
「ふふん、それだけじゃないんだから。テニスもサッカーも陸上も……バレーも水泳も!」
指折り数えながら次々並べるうちに、気分がどんどん弾んでいく。
「この学校って女子の部活が多いから、挑戦しがいがあって楽しいのよ!」
思わず声が大きくなる。
「……それ、もう道場破りじゃん」
天野が呆れ顔で苦笑する。
「なによ、それ!」
アタシは眉を吊り上げるけど――すぐにニッと笑って返した。
◇◇◇
「……そう言えばさ」
ふと時計を見上げて口を開く。
「HRまであと十五分ぐらいなのに、殆ど人がこないんだね」
いや、正確には何人かはいる。
けれど、圧倒的に少なすぎる。四十人のクラスなのに――僕と四季を合わせても十人も来ていない。
そんなガランとした教室で、四季は肩をすくめて言った。
「大体いつもこんなもんよ。十分前くらいになるとチラホラ入ってきて、五分前には一気に押し寄せてくるの。みんな意外とギリギリでやってくるのよね」
「だから今日は本当にびっくりしたのよ」
ジト目で僕を見てくる四季。
「いや、それはこっちの台詞だよ?」
思わず苦笑する。
「ドア開けたらいきなり大声出して、しかも睨まれたんだから」
「ちょ、ちょっと!嘘言わないでよね!大声なんて出してないし……それに睨んでなんかないわよ!」
四季は顔を赤くして慌てて否定する。
――この四季は、多分昨日のお昼休みのあと、五限で教科書を見せてくれた時の人なのかな?
話してみると気さくで、すごい話しやすい。
あの時は少し怖い感じがしたけれど……今思えば、転校初日で授業に遅刻したうえに、教科書まで見せてもらったんだ。
迷惑をかけていたのは確かで、邪険にされても仕方ないよな。
◇◇◇
昨日は授業に遅刻してきて、正直「なんなのよコイツ」って正直思ったわ。
でも授業はちゃんと真面目に受けてたし、でも実際の授業はちゃんと聞いてたし、ノートも一生懸命取ってた。
今日だって、わからないところを分かるまで何度も丁寧に教えてくれたし。
思ってたより頭も切れるし、案外悪くないじゃない。
それに、体を動かすのも好きって言ってたし――。
……今度、遊びにでも誘ってやろうかしら?天野の得意なものでもいいし、アタシの得意なもので実力差を見せるのもいいわね。
そしたらもっとアタシのことをちやほやするはずよ!
あー、想像できるわね。天野がアタシを尊敬の眼差しで見てるのが……ふふん、悪くないじゃない。
……でも。
途中で“変わったり”したら、皆んなにも迷惑だし……それに天野本人にだって、困らせちゃう。
……はぁ。やっぱ、やめとこ。
今まで通り、程々の距離感を維持しないと。仲良くなったって、どうせアタシたちのことなんて理解できないんだから。




