田植えはアイテムボックス経由で
トラクターから降りてきた涼音さんの母親が頭を下げて「今日は、来てくれてありがとうね」と話しかけてきた。
俺は、軽く「興味がありましたので」と返す。
そしてトラクターの方を見る。
動画やニュースで見た事がある田植え機であったが、実際に本物を見る機会は殆どないので、興味ありまくりだ。
「これで苗を植えるわけですか」
「そうね」
菊池涼音さんの母親が頷くと、苗を植えるまでの流れをレクチャーしてくれる。
その結果、俺や涼音さんはトラクターが入れられない小さな田んぼや、角や曲線の場所に手で苗を植えていく要員だった。
「これが苗ね。涼音は、佐藤さんに苗の植え方を教えてあげて」
「うん。あ、佐藤さん! これを履いてくださいね」
膝まである長靴を取り出した涼音さんは、俺に差し出してくる。
俺は受け取りながらも新品ではない事に少しだけ嫌な予感がしてスキル【鑑定】をすると水虫菌が確認できたのでアイテムボックスにぶちこんで水虫菌を殺してから、長靴を再度取り出して履く。
「え? 何か、ありましたか?」
「いえ。別に何でも」
本当のことを言っても角が立つだけなので、誤魔化しておくことにしよう。
中腰になって苗を植えるが、40歳を超えた肉体が速攻で悲鳴を上げる。
20代の涼音さんとは、ステータスで肉体が強化されたと言ってもダンジョン外では関係ないので、苗植えの肉体における消耗速度は肉体年齢に依存するのできついのだ。
時折、アイテムボックスの中に【水魔法】で生成した水を転移保管し、その水魔法で手を洗ってキュウリを食べて肉体の疲労を治しつつ頑張る。
「……大丈夫ですか? 佐藤さん」
「――うっ……。だ、大丈夫です……」
すでに食べたキュウリの数は20本を超えた。
流石にお腹がいっぱいだ。
だが、手で植える苗の数は殆ど減っていない。
ちらりと涼音さんの方を見れば、俺の5倍近い速度で苗を植えている。
そして涼音母親は、トラクターで苗を植えている。
かなり遠くて、植えているという風景しか見ることができないが。
「アイテムボックス起動」
「――え?」
「MAP範囲を指定。苗をアイテムボックス内に収納……転移し配置……」
極限まで精神が疲労していた事もあり、つい農作物や貝類、穀物を範囲指定して収穫、転移配置していた事を思い出しながら、視界に見える範囲――、俺と涼音さんが手作業で植える予定の範囲に苗の配置を指定して転移配置する。
一瞬にして、手作業で植える予定の苗の山が目の前から消えて、その代わりに手作業で植える予定の田んぼの中に等間隔に苗が配置された。
「……こ、これは!? もしかして、佐藤さんが?」
「……すいません。思わず……」
もう、肉体と精神的に限界を感じていたので、つい楽な方法を選んでしまった。
楽しいのは最初だけであった。
やはり、農業をしたことがない40歳を超えた老体には苦しかった。
「――い、いえ! す、すごいです! これって、佐藤さんのスキルですか?」
「まぁそうですね……」
「そうなのですか!? 本当にすごいです! 2日は手作業での苗植えが続くと思っていたのですけど」
「そうなのですか」
まぁ、あれだけ苗があるのだから、それは当然か。
「それにしても随分と苗がありますね」
「ここら辺の苗植えは、他の農家さんからも委託されていますから」
「あー、そうなんですか」
話によるとサラリーマンとして働いてるご家庭もあるらしく、田植えから収穫までお願いされているとか。
そりゃ広大な範囲になるわな。
そんなツッコミを疲れた思考の片隅で思いながらも気合でキュウリを食べて肉体を修復する。
一応、キュウリにより肉体は修復されたが、折れた心までは修復されることはない。
農家様、本当にリスペクトだ、
今度から、農家様と呼ぼう。
「涼音様、これから何かすることがあります?」
「どうして様付けなのですか?」
「いえ。なんとなく」
「それよりも、佐藤さんは一瞬で苗を広範囲に植えてしまいましたけど、他の箇所も可能ですか?」
「まぁ、可能ですね」
そうして連れていかれたのは植える苗が山のように置かれた場所。
「これを全部、植えるんですか?」
「はい。数日かけて植える予定です」
「なるほど。では、アイテムボックスに入れます」
涼音様の許可をとってアイテムボックスの中に苗を収納したあと、田んぼへと移動し、アイテムボックスを起動。
MAPを展開したあと、等間隔に苗を配置するように指定し確定ボタンを押す。
次の瞬間には、アイテムボックス内から転移した苗が全て見渡す限りの田んぼに等間隔に配置された。
「終わりました」
「……あ、あの……、佐藤さん」
「何でしょうか?」
「私の家に婿に来ませんか! 今なら、私がついています」
「はははっ。また御冗談を」
とりあえず一週間以上かかる田植えをスキル【アイテムボックス】を使い10分で終わらせた。
涼音さんの母親からは、かなり感謝された。