再会
「湊人、そろそろ着くぞ」
左斜め前の声により意識が覚醒する。
いつの間にか眠っていたようだ。
「おはよう主」
隣の席に座る相棒のタカの姿をした式神、雷飛に一瞥した後、眼鏡をずらし寝ぼけ眼をこすりながら車の窓を覗く。
黒塗りの高級車は現在トンネル内を走行中。ここを抜ければ目的地。長さ自体はそこまでなく、すぐにその全貌が明らかとなる。
暗いトンネルから日の下へ。
眩しさに目を細めながら外を見る。
そこは彼が暮らす都市部とは真逆の景色。
立ち並ぶ民家、その奥には漁港と広大な海――。
ここは昔から漁業が盛んな土地、水槽村。
湊人がここにある目的のためにやってきた。
「十年振りなんだっけ? ここに来るのは」
「……ああ、やっと――」
雷飛の質問に答えようとした口が、海に異変が起きたことに気付き止まる。
「――あれは……?」
「どうした?」
「海に何かいます」
そう返すと、助手席に座るスーツ姿の中年男性も運転席越しに外を凝視しだした。
海から何かが迫り上がってくる。
それは黒々とした、人型の異形――。
海からここまで結構な距離があるが、その位置からでもはっきりと視認出来る。そのことから、あの異形はかなりの大きさであると窺えるだろう。
「今すぐ漁港に向かえ!」
スーツの男性が運転手に指示を出したことで、車は進路を変える。
漁港には漁師や海女などの漁業関係者と、一匹のイタチの姿をした式神がいた。
「あ、誠」
人々が心配そうに海を見つめている中、こちらに気付いたイタチがスーツの男性に駆け寄ってくる。
「風刃、お前がここにいるということは――」
「うん。もう行ったよ、主様」
「なら僕も――」
「いや、いい」
加勢に入ろうとしたところ、スーツの男性――改め鱗界誠に待ったをかけられた。
「丁度良い、俺の姪っ子の実力をよく見ておけ」
にやりと笑い鞄から取り出してきたのは双眼鏡。
それを受け取り眼鏡の上から覗き込む。
「ありゃぁ海坊主か?」
「うん、おそらくは」
「あんなのに襲われたら一溜まりもねぇだろうなぁ」
雷飛の言う通り、もし近くに漁船などがあったらそこの船員は絶望的だっただろう。だが幸いなことに、あの異形の周囲に人や船は見受けられない。
肩に乗った雷飛と短いやりとりをしていると、事態は動きだした。
今まで正面を向いていた海坊主が、突然下方を気にし始める。
どうやらそこに気に障るものが出現したようで、それを捕まえようと海に両手を突っ込んだ。
直後、耳をつんざく悲鳴。
海中で何が起きているのか、ここからでは分からない。だが海坊主が痛みに悶えていることだけは理解出来た。
巨体が膝をついたことで海面は大きく波打つ。
そのすぐ後、波間から小さい何かが飛び出してきた。
青い髪、青い瞳、青い肌――。肋骨のあたりにはエラが確認出来る。
手には水かきと鋭い爪、身につけているものは胸部を隠す白い布のみ。
これだけでも充分人外めいているが、最も特徴的なのは下半身だ。魚の形状をしていた。
いわゆる人魚である。
しかし湊人は知っていた。
彼女がただの人魚でないことを。
高く跳躍した少女は海坊主の背中目掛けて急降下し、自身の体長の二倍はある槍を突き刺した。
突如襲ってきた激痛に、身を屈ませていた海坊主は今度は勢いよく立ち上がる。
そこでようやく気付いた。異形の手首から先がなくなっていることに。
既に結構な重傷を負っている海坊主に対し、少女は更に追い討ちをかける。
背中に刺した槍を掴んだまま、自重を活かし滑り落ちた。
結果、背中に長い長い切り傷が新たに誕生する。
それがトドメとなったのか、響き渡る断末魔。
絶命した異形の身体は塵となり徐々に朽ちていく。
海坊主の消滅を確認した漁港の人々は歓声を上げた。
「やったぞ! どうだうちの清衣は」
誠も我が事のように喜んでいる。
「――ええ、感服いたしました」
ゆっくりと双眼鏡を外す。その後も湊人は、眩しいものを見る目で彼女がいた場所を眺めていた。
「さすがは鱗界の狛人ですね」
◇
太古より、妖怪の危害から人々を守ることを生業にしている人間がいた。
それらの中で、より強大な対抗手段を得るために妖怪と交わった者が存在する。
以降彼らの家系には定期的に妖怪の特性を強く受け継いだ人間が生まれるようになった。
いつしかその特殊な人間達は、神社を守護する狛犬になぞらえてこう呼ばれるようになっていった。
“狛人”と――。
◇
村を脅威から救った立役者が漁港に戻ってきた。
「おーい清衣」
感謝と称賛を贈る村民に囲まれた彼女を誠が呼びかける。
「叔父さん、帰ってたんだ」
こちらに気付いた少女の姿が大きく変わる。
青い髪と瞳はそのままに、肌は象牙色に、服装はTシャツとデニムパンツへと。手に付いていた水かきはなくなり、鋭利な爪は丸くなった。
「主様ー!」
人外の姿から人間に戻った少女のもとにイタチが元気よく駆け寄り、彼女の首へと収まる。
こちらへと近付く少女と目が合った。
「君は……」
僅かに驚いた顔をする彼女。
自身と同じ、人と妖怪が交じった気配に反応したのか、それとも――。
「もしかして、湊人くん?」
――ああ……。
気付いてくれた。
覚えていてくれた。
眼鏡越しの赤い瞳を輝かせる。
「――はい!」
嬉しさから自然と顔が綻んだ。