前向きはんせーかい。
ランナとルイは、拠点としていたモンブの村唯一の宿屋へ戻ってきた。
古びた二階建ての建物である。二階は客室が左右に並び一階は受付の他、酒場となっている。
村民も利用できる憩いの場であり、男達が安酒を飲みながら村の現状を憂いていた。
二人は落胆の溜息や冷たい視線を無視して夕食を早々に済ませると、逃げるように場を後にして連泊している部屋へと向かった。
壁は所々剥げており、埃の匂いがする二人部屋だ。テーブルへ置いた私物の携帯型照明器具には、ルイによる炎の聖霊魔法で火球を灯したので、燭台の蝋燭に火を灯すよりも明るく室内が照らされている。そもそも燭台用の蝋燭は有料であり、勇者支援で値段は多少安くなるが火球の方が明るいため、最初から使うという選択肢はない。
装備品を外してそれぞれ衣服を脱ぎ、下着姿になった二人。隣同士の簡素な木製ベッドの上で横になっていたルイが、憂鬱な面持ちで口火を切った。
「ネックス王国王都勇者学園を晴れやかに卒業し、勇者になって旅に出て結構経ちましたが、実際問題やられてばかり。これからどうしていけばいいんでしょうかね」
ベッド上で体を起こし、小袋の中から取り出した勇者学園公式のネックス王国版邪鏡地図を眺めていたランナが、難しい顔になって答える。
「そうねぇ。色々考えたけど、邪鏡を壊して旅するのに二人だけってのがやっぱり厳しいよねーって、改めて思ったわ」
ルイはがばっと起きると、ランナのベッドへ身を乗り出した。
「そんなことはとっくにわかっています! 最初の邪鏡破壊に失敗してから数日後に、あの二人が抜けた日からッ」
怒り口調で言い放つと、納得いかない過去を思い出してぐぬぬと唸り声を上げる。
邪鏡結界内へ入れる限界人数は大体四人であるため、パーティーも基本は四名で組まれる。
当然ランナとルイ以外にも旅を共にする同期の仲間はもう二人いたが、彼と彼女は恋人同士だった。
ミルンの眷属との初戦闘で命からがら逃げた経験がトラウマになったのかその日とった宿での朝、爆睡して起きないランナとルイに置手紙を残し、袂を分かつことになったのである。
ちなみに、
『向いてないっぽいので勇者は辞めて、故郷の村に帰って二人で暮らします』
と書いてあった。
ランナは苦い過去と元仲間に対し、乾いた笑いを漏らした。
「ダナとエライザね。今でも仲良くやってるならそれでいいやって感じよあたしは。てか、最初から躓いてたのね、あたし達って」
ため息を吐きつつ地図を小袋の中に戻したランナは、
「それよりもさ、見せたいものがあったのよ」
三つに割れた物体を取り出すと、ルイに差し出した。
石で作られていて、何らかの文字が描かれており、割れていなければランナの手首から指先くらいまでのサイズだ。
ルイは訝し気な表情で見つめた。
「何ですかソレ。割れちゃってますが、石板? のように見えますが」
「うん。モンブの村に着く前にさ、あたしが街道脇の木によじ登って実を取ろうとして落ちて、そのまま斜面を転がって川まで落ちたの覚えてるでしょ?」
あわや悲劇……もとい喜劇となったかもしれない例の事故を、ルイは忘れもしない。呆れるしかない相棒の自業自得で恥ずかしいエピソードだ。
「えぇ。勇者にあるまじき間抜けな理由で大怪我をしたかもしれなかった、あの出来事ですね。ランナの黒歴史が割れたソレと何の関係があるんです」
「言い忘れてたけどこれが川のすぐ近くに落ちててさ、只ならない空気を発してるのを感じたのよ」
ランナは不思議そうな面持ちで、自身の手の平にある石板らしきものの残骸を改めて眺めた。
「へぇー。私は何も感じないですけどね」
「今は何も感じないけど、その時は不思議な存在感があったの。で、何なのかわからないけど価値あるものなんじゃないかと思ってさ。どこかの町に着いたら雑貨屋か行商にでも鑑定してもらおうってね。それが吹き飛ばされて落ちた時に割れちゃったワケよ」
ランナは残念そうに肩をすくめる。
ルイは一応ランナから残骸を受け取り、まじまじと眺めてみる。
「やっぱり石板だったものですよねぇ。聖霊文字が書かれているようですが……うーん、見たことのない意匠です。どこかの遺跡から持ち出されたけど、色々あって川のほとりに流れついたとかでしょうか」
「遺跡のものですって?」
「考えられるとしたらです。だとしても、今となってはただの割れた石ころでしかないですよ」
推測した後に興味を失い、無価値にしか感じられない残骸をランナへ返した。
「えーでもさ、落ちてこれが割れた時に袋の中が一瞬光ったっぽい感じがしたんだけど」
「いやーありえませんって。運よく互いに木の上へ落ちましたが、冷静じゃいられない状況でしたしランナも気を失いかけたと言ってたじゃないですか。見間違いですよ」
朧げな記憶をルイに一蹴され、ランナは肩をおとした。
「やっぱりそうなのかなぁ。価値がありそうなものなら大金に換えて、高い装備品とか買えたかもって期待してたのにぃ」
ルイはランナの夢想話がおかしくて吹き出す。
「流石にそれは夢の中の話ですよ。確かに意味ありげなもの感は出てますけど、色的に聖霊石の類でもないでしょうしね」
聖霊石とは聖霊の力が結晶化したものだ。衝撃を与えて割ると、結晶の中に凝縮された聖霊の力が勢いよく発現する。聖霊と契約していない者でも聖霊の力を使える便利な石であるが、ただの石ころのように道端へ限りなく落ちているものではない。自然の聖霊が力を放出した際や聖霊魔法を発現した際、稀にできるもので希少かつ価値が高い。
そして聖霊の種類によって色は違うが、灰色の聖霊石は存在しないのだ。
「何にせよ、わけのわからない割れた石板に価値は生まれませんし、どうせ引き取り拒否ですよ」
ルイの意見を一通り聞いたランナは現実を受け入れた。
「うーん、ルイの言う通りね。珍しいものではあるけど、割れてるしただの燃えないゴミでしかないか」
可能性の低い願望だとは自覚していた。ただ、少しだけ現実逃避がしたかっただけだ。
次いでボロボロの壁際に置いた、自身の安物武具を見ながら溜息をついた。
「あーあ、装備品をもっといいものに変えれば眷属だって倒しやすくなるのになぁ。他の皆はどんな感じでやってるんだろ」
「そこら辺は同期のパーティーにでも会わないと情報が入ってきませんからね。ジャルロックの邪鏡に関しても、私達の前に挑戦したパーティーは失敗して解散したとしか聞いてませんし」
小首を傾げて言ったルイは、枕の脇に置いていた勇者の証である勇者手帳を悩まし気に見た。
「はぁ、向いてないのでしょうか。このままだと私達も勇者をやめるしか――」
続けてどんよりした口調で諦めの言葉を言いかけるも、
「嫌だよ。勇者を辞めるなんて激激激嫌だから!」
ランナが拒否の声を被せて制した。
「ランナ……!?」
ルイは驚きながらもランナと視線を合わせた。
切れ長の黒い双眸は潤んでいる。彼女は泣きかけていた。
「聞いてルイ。前にも話したけど、あたしが勇者を目指すきっかけになった人がいるって言ったよね」
「えぇ、覚えてますとも。何せ英雄パーティの一人ですし」
ルイどころか、母国を飛び越えてガルナン中で知らない者はいない人物である。
「小さい頃にその人から、勇者として旅をしてる最中もたくさん苦しいことがあったって聞いたの。けど最後までガルナンに生きる人のため戦った。そんな人に救われて心から憧れて勇者を目指したんだ。失敗が続いてるから、乗り越えれないから辞めるなんて、そんな半端な覚悟であたしは勇者になったんじゃない。あたし達を信じて待ってる人達だっているんだよ」
命を救ってもらった「勇者のお姉さん」の背中を追って勇者になったランナ。その決意は消えることなく、当然想いは重く強くである。
「それにルイだって本当はこんなところで諦めたくないでしょ。孤児院の皆を守るためと、恩返しがしたいから勇者になったんだって言ってたじゃん」
忘れかけていた初期衝動を相棒へ指摘され、ルイはハッとした表情になった。
「う……でしたね。すいません、弱気になってました。ランナの想いも私が一番理解しているというのに」
軽率な発言を謝り数瞬の間を置いた後、ルイは真剣な顔で意見する。
「でも命に関わることですし、現場での作戦や連携に関しては今まで以上に練らないと。誰かさんみたいな出たとこ勝負の特攻精神じゃ生き残れないですって」
張り詰めた空気が弛緩する。
反論の余地がないランナは、シュンとした表情を浮かべた。
「そうよね、悪かったわよ。突っ込むだけじゃなくて、戦い方とか色々考えなくちゃいけなかったわ」
頬を掻きながら素直に謝ったランナは、気を取り直した。
「じゃあ、そういう戦いの話も含めて今後について――あれ、ルイ?」
真剣に語りかけた途中で、ぱちくりと目を瞬く。
ルイが気を失って倒れたかのように、こてんと横になってしまったのだ。
ランナは相棒に近づいて顔を覗き込んだ。
「嘘でしょ、寝てるわこの子。決意を確かめ合って、改めて連携やら話し合おうって時に」
唖然とした。
ルイは会話途中に降りてきた睡魔に負けたのか、微睡みの中に入ってしまったようだ。
ランナは目を細めて小さく笑った後、彼女へ厚布をかけた。
「ま、いっか。明日にでも話せば」
身体をほぐすように両手を伸ばすと、自身もベッドへ横になった。
(ずっと疲れまくりだもんね。身体も痛いし、今夜はもう寝ましょうか)
糸が切れたようにルイが眠ってしまったのも頷ける。
精神が張り詰める眷属との戦いに加え、旅の長距離移動で疲労も相当蓄積しているのだ。ランナ自身も同じような状態のためすぐ眠りについたが、それでも熟睡には至らなかった。
何故ならば、今夜は夢とは違う世界へ誘われることになったのだから……。




