やっぱりね、しんどいね。
邪鏡結界に包まれた森の中で、肉を断ち切る斬撃音に魔法攻撃の炸裂音、人間の叫び声と化け物の金切り声が響き渡っていた。
ランナとルイが邪神ミルンの眷属、黒鼠の群れと遭遇――戦闘に突入したのだ。
赤色の丸い瞳を禍々しく輝かせた黒鼠は、ずんぐりした体躯に太く短い四肢、長い尻尾の先まで全身が漆黒の体毛に覆われている。尖った鼻先と上下の顎に二本ずつ生えた前歯が愛らしくも見えるが、サイズはランナ達と同程度に大きく凶暴だ。
そんな危険な化け物がわらわらと群れをなして襲ってくるのだから厄介だが、ランナとルイは強靭な眷属と戦うために厳しい修練を積んだ若き勇者、臆せずに立ち向かっていた。
「だぁぁぁぁッ!」
ランナが襲いかかってきた一体の黒鼠へ、裂っぱくの気合を乗せて青銅剣を水平に打ち込む。
肉を断ち切られ断末魔の叫びをあげた黒鼠の肉体は、一瞬で霧散した。
「やぁッ!」
切る、絶命。切る、絶命。切る、絶命。切る、絶命。切り伏せる、絶命。
黒鼠を撃破し続けるランナ。彼女の非凡な剣技が冴えている……というよりかは、破邪の聖湯の効果によるところが大きい。
破邪の聖湯とは、邪神の眷属のような邪悪な存在が嫌がるゴリンの木の葉を水に入れ、煮出して作った液体のことである。武器をソレに浸すと、邪悪な存在に対しての威力が増すのだ。
だが――
「はぁはぁ。もー激ヤバでしょッ、次から次へときりがないッ」
ランナが肩で息をしながら、うんざりした口調で呟く。
体力が取り柄な彼女でも、森の奥からぞろぞろ出てくる黒鼠と休みなく戦っているため、限界が近い。
「ルイ、あたしそろそろしんどくなってきたんだけどッ」
「私もですよランナ! いくらセンス抜群の魔法使いとて、多すぎる眷属の猛攻にあっぷあっぷです」
ルイも同様に呼吸を乱している。
普段はやる気がないが、いざという時は涼しい顔で危機を乗り越える天才魔法使いを自称している彼女の妄想通りに戦いは展開しない。
黒鼠達は身を寄せて歯を鳴らし、威嚇しながらじりじりと近づいてくる。
「激ウザイわね。黒鼠め、あと何体倒せばいいのよッ!」
「こんな数、まともに相手してたらジャルロックの洞窟には到底たどり着けません。もう逃げるしか……」
「ぐ……諦めちゃ駄目よルイ! 私達の勇者道はこんなところで終わらないんだからッ」
ランナが無理やりに己を奮い立たせ、弱気なルイを励ました。
「ちょっと待って下さい。あれ、この音は――何か来てますよ!?」
しかしルイの耳には入っておらず、取り乱した声で制された。
地を揺るがす音が聴こえてきたからだ。
前方だった。何かが木々を薙ぎ倒しながら、ランナ達へ一直線に向かってくる。
嫌な予感が最高潮に達した二人の顔色は、サァっと青くなっていた。
倒れる樹木から鳥が飛び立つ。そして現れた規格外の存在を、二人の勇者は愕然とした面持ちで見上げる。
「で、デカーッ!?」
数テンポ遅れ、ランナは仰天して飛び上がった。
「アレが話にあった黒鼠の親玉ですか、なんという……」
ルイも驚愕のあまり、腰を抜かしそうになる。
現れたのは、彼女の言う通り黒鼠の親玉だった。
ランナ達と同程度に大きい黒鼠の五、六倍はあろうかという巨大さだ。
親玉黒鼠は立ち上がると、狼狽える勇者達を威圧するように見下ろす。爛々と輝いた瞳で睨みつけると、低く唸るような咆哮を轟かせて空気を揺るがした。
ますます震える二人。しかしこのまま怯えるだけでは終わらないと、ランナは勇気を振り絞って親玉黒鼠と向き合い、剣を構えた。
「う、うぁぁぁぁッ!」
そして恐怖を振り切るように大声をあげながら、大地を蹴り駆け出したのだ。
「あ――ランナ!? 作戦もなしにいきなり突っ込むんですか!」
もはや相棒の声さえ聴こえていない。
「ていッ!」
最接近。ランナは幹のような太い左足を横薙ぎに一閃しようとするが、一瞬で勝負はついた。
「あぐぅ!?」
斬撃をくらわすよりも先に、親玉黒鼠の前蹴りがランナを捉えたのだ。
「ランナーッ!?」
相棒の名を叫ぶ声は届かない。
ランナは森の外側方向へ吹き飛び、何処かへ落下していった。
残されたルイは、わなわなと怒りに震えながら親玉黒鼠と黒鼠の群れを見据えた。
「やってくれましたね。よくも、よくもランナをッ。私は怒るとあなた達より怖いんですよ。追い詰められた獅子の渾身の一撃をくらいなさい!」
左手の人差し指に嵌めた木製の指輪が、金色の粒子を纏い輝いた。
「洞窟に着くまで調整温存してましたが、もはや出し惜しみなしの大放出ですからねッ」
決死の表情で人差し指を動かし、宙に何かを描いた。
自然界に存在する聖霊との契約によって行使する不可思議の力――聖霊魔法発現の儀式である。
聖霊が好むパロントの木から掘られたマジックエフェクターという指輪を嵌めた指で、聖霊と対話するための古代文字――聖霊文字を描くことにより、契約した聖霊の力を発現させるのだ。
ルイは戦闘序盤で繰り出した聖霊魔法よりも、一際強力なとっておきをお見舞いしようとしていた。
「くらいなさい! ライトニングアローッ」
魔法の名称と共に、雷の聖霊の魔法を発現させた。
描かれた金色の聖霊文字から、黄白の雷撃の矢が次々と放たれていく。
数瞬後に炸裂音と共に灰色の煙が発生し、親玉黒鼠や周囲の黒鼠が苦しみ喘ぐような声が聴こえた。
「……よしッ」
周りの木々を巻き込むまでに強大な威力である。
直撃を確信したルイは大規模聖霊魔法を発現させた代償に、どっと疲労感に苛まれ膝をついたが、表情は歓喜に緩んでいた。
(絶対仕留めましたよ! この聖霊魔法は結構な威力ですからね!)
自信はあった。しかし煙が晴れた瞬間、目を見開いた。
「え、えぇ! 黒鼠が親玉を庇ってますッ!?」
予想外の展開に開いた口も塞がらない。
雷撃を受けて黒焦げになり、ドサドサと崩れた後に肉体が消滅していく黒鼠の群れの間から、無傷の親玉黒鼠が出てきたのだ。
子が壁になり親の身代わりになったようで、親玉黒鼠は悲しむような声で鳴いた後、ルイへ狙いを定めて突進した。
「逆でしょ普通……ひッ――」
ルイの全身が竦み上がる。
「ヤバい、ヤバいですよ間に合わない!?」
迫りくる脅威へ対処するため聖霊文字を何か描こうと急いで指を動かすも、親玉黒鼠が激突する方が早いようだ。
「ちょ、ちょっと待って降参ストップストップー!」
人語など理解できない止まらない爆走親玉黒鼠は、ルイを思いっきりはねた。
「あれーッ!?」
衝撃と共にルイが飛ばされた方向は、偶然にもランナと同方向だった。
勇者とは、邪神ミルンの眷属らと戦うために厳しい修練を積んだ者達――しかし実力はピンキリであり、必ず打ち勝てるとは限らなかったのである。




